私の家族とニュージーランドのレスリー家との交流記です。
ニュージーランドとの草の根交流4


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 レスリー家の次女Bethは、2000年末から2001年1月にかけてやってきました。

2001年末に来たレスリー家の次女ベス。


 年末から年始にかけては我が家にいました。我が家は男の子ばかりなので、O先生の配慮で、彼の友達のお嬢さんがいる家庭から小学校へ通いました。

 さて今度は、この交流の最後を飾る、わが
3男Dの登場です。

 我が家の兄たちは小学校6年生でNZへいきましたが、3男Dは、もともと3月生で、体力的にも精神的にも中学校に入ってからの方がいいというわけで、今年、中学1年生になって出発することになりました。

 中学生になって英語を学習しはじめて、少しは分かるのも強みです。また、こちらの夏休み、NZの冬にいくよりは、やはり、NZの夏にいく方が、いろいろ経験ができ るというわけで、この12月、向こうのクリスマス休暇に併せて出発になりました。
 
 水泳はもちろん、NZの北島の中央部にあるタウポ湖という湖で、何と水上スキーを練習させてもらえるということで、水泳パンツを持っていきます。レスリー家は、特別な富豪というわけではなく、中流の上ぐらいの家庭です。その家族のレジャーに湖で水上スキーというのは、やはり、日本とは違って自然に恵まれているNZならではのものでしょうか。
 なにしろ、この国は、面積は27万平方キロと日本の3分の2ほどしかありませんが、人口は、僅か350万人しかいません。

 そこら中が自然といった感じのNZです。

 さて、
3男Dですが、12月14日(金)に、関西国際空港からNZへ向けて飛び立ちました。(帰国は12月29日予定。)中学校の終業式は12月26日ですが、8日も欠席して、あえて、冒険に挑戦です。
 5月の家庭訪問のとき、欠席することを担任のK先生に説明したら、「いい経験と引き替えなら、全く問題ありません。」とのことでした。暖かいお言葉です。
 「勉強の遅れ?」、もともと遅れていますから、そんなに影響ありませんって。

 さて、土産は何かな?


 3男Dには、兄たちにない経験をさせようと言うわけで、まず、出発地を名古屋空港から関西国際空港へ変更しました。
 関西国際空港駅についた、JR西日本の特急「はるか」。東京の成田エクスプレスと同じく、出入り口近くに大きな荷物を置くスペースがあります。

 関空(KIX)の海外出国カウンター。年末年始の繁忙シーズンの直前ということもあって、旅行客はまばら。明るい大きな建物。
 
 今回の飛行機は定番のNZ航空としました。

 

 アテンダント・サービスを3800円で頼んだので、NZのオークランド国際空港での乗り換えも、NZの職員等が面倒見てくれます。出国ゲート(後方)は、職員用から。

 向こうの方に、NZ航空98便がいるのですが、分かりませんね。関空は、「屋上の送迎デッキ」という他の空港のパターンはなく、北東の離れた所に展望ビルがあります。


 3男Dも兄たちと同じように、Fielding intermediate school に通学しました。 ただし、12月はニュージーランドでは1年の学期の終わり(年度末)にあたり、日本では、思い切って中学校を8日も欠席して出かけたのに、現地では、すぐに年度末休暇(クリスマス・年末年始をはさんで、2月はじめまで続く。夏休みでもある。)に入ってしまい、現地の学校へは僅かに3日間しか行けませんでした。

 Fielding intermediate school のBowling先生。
 長男、次男、3男と全員この先生にお世話になりました。ありがとうございました。  


 12月、初夏のレスリー家の庭。これまでの長男、次男の時と違って、夏の太陽です。
 ただし、日本と違う点があります。これは、家の北側です。太陽が「北中」する南半球では、太陽が当たるのは北側です。
 ニュージーランドのクリスマスツリー。雪はありませんね。


 次女ベスがペットにしている牛のアトリックス。

 馬車の御者はそう簡単ではなさそうです。 


 夏ならではのジェットボート。びしょぬれです。 


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