私の家族とニュージーランドのレスリー家との交流記です。
ニュージーランドとの草の根交流3


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  D こどもたちの交流 1998年次男Y NZへ  |目次へ戻る |

 レスリー家には2男2女がいますが、下3人の長男Barry、次男Alex、次女Bethは、我が家の3人の息子とほぼ同じ年代です。そこで、次からは、我が家とレスリー家とで残る二人を交流させることも決まりました。

 その結果、1998年の夏には、当時小学校6年生だった次男Yと、レスリー家の次男Alexが、それぞれ2〜3週間ぐらい、お互いの家庭に行き、それぞれの学校へも一緒に通いました。

 長男に続いて2回目の交流ですが、新たな不安もありました。
 まず、今度は、次男Yがたった一人でNZへ行かなければなりません。僅か3週間とはいえ、まだ英語も知らない6年生の少年が、たったひとりでうまく過ごせるでしょうか。

 また、来日する
Alexの学校の問題もありました。

 長男BarryはO先生の御世話でO先生の息子さんと同じ学校へ通いましたが、次男Alexは我が家の子どもたちと一緒の学校へ通う計画になります。その交渉をしなければなりません。
 私は、次男Yが6年生になったばかりの4月、息子たちが通う岐阜市立西郷小学校にお願いに行きました。
 「9月にニュージーランドから、Alexという少年がやってきますが、1週間次男Yと同じクラスに置いていただくわけにはまいりませんか?」

 全くプライベートなお願いですから、ひょっとしたら「ダメ」といわれるかと心配しましたが、日本の小学校もずいぶん寛容でした。
「給食も食べてもらいますから、1週間分給食費払ってくださいね。」
 条件はこれだけで、彼は次男の6年生のクラスに混じって一緒に勉強しました。
 面倒な役を引き受けていただいた、N先生。どうもありがとうございました。
 


 旧名古屋空港出発ロビーで搭乗手続きをする次男Y。信じがたい話だが、3週間後戻ってきた直後は、彼は、うまく日本語が話せなかった。(--;)

 レスリー家の今でくつろぐ家族。
 右手前は、長女のハンナ。一番奥が次男Y。


 両家の交流におけるメインの「行事」は、それぞれの国の料理を紹介することでした。
 次男Yは、うどんを作りました。わが3人の息子のうちで料理に最も興味をもっていた次男Yは、結構のまずまずの「作品」を作ったようです。
(ちなみに、三男Dは「カルメン焼き」に挑戦し、失敗しました。)
 うどん、醤油など原材料は、日本から持っていきました。

 右の写真の男性は、やっと写真に登場しました、レスリー家のご主人グラハムさんです。


 ニュージーランドの魅力の一つは、農業体験でしょうか。トラクターを運転してご機嫌の様子です。

 ご覧のとおり、牛ですね。

 うまれたばかりの可愛い羊です。

 人間より羊の方がたくさんいる国です。

乗馬です。

これは、エミューという大きな鳥のファームです。

 首都ウェリントン近くの海岸で海釣り。しかし、小舟に乗るのがはじめての次男Yはすぐに船酔いし、リタイア。海のない岐阜県人としてはやむ得ません。

 長男Kと同様、次男も現地の学校Fielding intermediate schoolへ行きました。これは迎えに来たスクールバスです。


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