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<アメリカからの情報>

004 教育委員続投  2002年11月09日記述          | 目次へ戻る |

アイオワ州の友人スティーブ(アイオワ州の州都デモインの公立リンカン高校の世界史・経済の教師)が、2002年の9月に、居住地のSouth East Polk(サウス・イースト・ポーク)学校区の教育委員会の教育委員に再選されました。
 今回は、アメリカの教育委員の続編です。(前編はこちらをどうぞ←)

 スティーブと二人のお嬢さん。
 右、姉のメアリーグレース。
 左、妹ヒラリー。(たぶん。10年前とは見違えるような立派なお嬢さんになって、見分けがつかない。10年前はこちら←
  アイオワ州立大学で。姉は3年生、妹は2002年の秋から1年生。

 彼が最初に教育委員となったのは、1999年9月です。任期は3年で、この2002年の9月に任期が切れました。South East Polk学校区の教育委員会には、全部で7人の教育委員がおり、この時任期切れとなった3人分の選挙が行われ、彼は再び立候補して再選されました。

 前回にも続いてこの話題を紹介するのは、このアメリカの教育委員というシステムに、民主主義の原点の魅力を感じるからです。

 スティーブは任期の最後の年(2001年9月〜02年8月)は、7人の委員の互選で選ばれる教育委員長に選任されていました。このため、念願かなって、この6月に高校を卒業した下の娘の卒業式において、彼自身の名前の入った卒業証書を彼自らが教育委員長として娘に渡すことができました。

 その一方で、彼は、教育委員の再選の準備をします。
 彼は、私とウマが合うくらいですから、何につけても興味関心を持ち、そして、何か意見を持つと黙っていられないタイプです。
 自分で、「too argumentative and confrontational」(議論好きでなんにでも立ち向かう)な性格だから、とても学校中では管理職等には出世できないといっています。これは、「出る釘は打たれる」日本ではもちろんですが、アメリカでも、学校の内部という比較的保守的な所では、同じ状況みたいです。

 その分、いやそれだからこそ、州都デモイン市内の高校の一教員である彼が、居住している学校区(同じPOLK郡内でもデモイン市内とは別)の、教育委員になるというのですから、アメリカという国は、奥深い国です。

 彼は、まず、立候補に必要な署名を集めました。立候補には、有権者100人の署名が必要です。このSouth East Polk学校区には、約25000人の有権者が住んでおり、区内には、高校が1校、中学校が1校、小学校が7校あります。
 有権者の数と学校の規模からいって、日本なら、人口3万人程度の町の教育委員会という感じです。

 アメリカの学校区ごとの教育委員会公選制度は、そもそも合衆国憲法第10条修正条項が、連邦政府に所属しない権限は州政府の権限であると述べているのに基づくもので、州政府が教育に関する権限をもち、地方の住民にその権限を任せている仕組みなのです。
 
<教育委員の選挙に関することのまとめ>(小学生の発表みたいですね。失礼) 

  • 委員の数はおきな学校区では7人、小さい学校区では5人。

  • 任期3年の7人の教育委員の場合は、一度に改選されるのではなく、1年ごとに2人・2人・3人と改選される。

  • 選挙は毎年9月に行われる。

  • 各委員は選挙に際して、自分の主張を説明する選挙運動を行い、新聞紙上の記事・ダイレクトメール・道路上の看板などを使って有権者に訴える。

  • 選挙費用は、大統領選挙などと同じように、支持者からの寄付によってまかなわれる。学校区ごとに上限金額が決められていて、それ以上使うと、すべての選挙費用の寄付者・出費に関する報告をしなければならない。これは、South EAst Polk学校区では、750ドルとなっている。


 South East Polk学校区の今回の選挙では、Robert Skinner、Jack Scrignoli、 Steven Hanson、 Valarie Campbell(結果的に前の3人が当選) の4名が立候補しました。
 一般的には、州都デモインのような大きな学校区では、労働団体の支援を取り付けたり、マイノリティグループが積極的に特別な候補を応援したり、大規模な選挙運動が展開されます。

 スティーブは、これまでの3年間の実績、とりわけ最後の1年の教育委員長としての実績に自信があったので、とくに費用をかけた選挙運動は行いませんでした。
 彼が3年間に力を注いだことのひとつは、アルコールやマリファナを持ってくる生徒に対する処罰(退学)の厳罰化と、同時に、生徒の事情聴取の際にその一部始終を録音して、あとで疑問点が生じたらその録音を検証し、処分の妥当性を証明するという仕組みをはじめたことです。
 これにより、学校の「zero tolerance policy for fighting」(我流の訳ですが、「喧嘩に対しては容赦しない方針」となるでしょうか。)をより徹底して進めるという政策です。
 
 こレが評価された結果、スティーブは特別な選挙運動がなくても、555票を獲得し、第2位で当選しました。第1位は、600票でした。

 4人への総投票数は、2200票でしたから、有権者約25000人から算出すると、投票率は、9%程になります。
 この数字については、スティーブ自身は、今回はとくに単純な争点が少なく、とくに低投票率だったといっていますが、高い時でも、20%〜30%程度だそうです。

 この投票率を低いと見るか、高いと見るか?
 というのは、教育には国民全員が関心はあるとはいいながら、現実的には、学齢期の子どもを持つ有権者以外はあまり関心はありません。それを考えると、今回の9%は低いとしても、通常であれば、教育委員の選挙というのはこのくらいの数字に落ち着くのではないかと思えます。

 さて、教育委員にはどのような人がなるのでしょうか。日本のような地域の特別な名士なのでしょうか。
 South East Polk学校区の7人の委員の職業は次の通りです。
 元小学校の事務職員(女)、学校のソーシャルワーカー(女)、看護婦(女)、弁護士(男)、医師(男)、セールスマン(男)、そして高校教師のスティーブです。
 これは、どうみても、特別なメンバーというわけではないようです。
 
<教育委員会の権限、教育委員会会議などについて>

  • 教育委員の役職には全く給与は払われず、ボランティアである。

  • 教育委員会はこの学校区では毎月第3木曜日に午後7時から開催される。特別に必要な場合は、第4木曜日に臨時会が開かれる。会議時間は短くて2時間、長いときは4時間ぐらいになる。

  • 議案書は毎月10p近い厚みのものを事務局が準備し、開催1週間前に教育委員のもとに送付する。(予習が大変)

  • 協議・議決する対象は、学校区の予算、教育方針、カリキュラム、卒業のための条件、生徒の退学等の処分に関する規定などです。

  • 教育委員会議は生徒の処分問題を除いては公開で行われ、いつも何人かが必ず傍聴に訪れ、その人々を通して、教育委員会の審議の内容は、コミュニティの多くの人の知る所となっている。

  • 委員会は教育長から事務職員まで、事務局のスタッフを雇っている。スタッフには教員経験者は多くない。

 これらの多くの内容は、どこの学校区の教育委員会でも同じで、たとえ、DesMoines Public 学校区でも同じです。
 
 日本の教育委員会制度とSouth East Polk 学校区のそれとの違う点を指摘して、今日の報告を終わろうと思います。(SEP学校区たった一つのことしかわかりませんが、スティーブからもらった手紙の説明等から、およそ全米共通かどうかはわかります。)

  • 当たり前ですが、日本の教育委員は、首長の推薦で議会の承認により任命されます。South East Polkも含めた学校区のみならず、アメリカ全体は選挙です。選挙であるため、教育委員はコミュニティーの多くの人に知られていますが、日本では、ほとんど知られていません。岐阜県教育委員会の教育委員長を知っている一般の方は、まずいません。

  • 日本は教育委員になる人は特別な人・地方の名士が多いですが、アメリカではもっとごく普通の人がなっているようです。

  • 最後に、教育委員会議に必ず傍聴人が出て、その内容が、コミュニティーに流れていっていることです。日本では傍聴人は、ほとんどいないと思います。会議時間は昼間ですから、普通の勤め人が気軽に傍聴に行くことはできません。

005 アイオワでの教育長の決め方  2003年02月23日記述 | 目次へ戻る |

 サウスイーストポーク学校区教育委員のスティーブからの情報の続きです。(前編は、上へどうぞ。↑
 
 岐阜県では、知事の号令のもと、これまでの文部科学省中心の中央主権的な「国家教育」から脱皮して、それぞれの地域の独自性を生かした、「自治体教育」を実現すべく、行政レベルでは一丸となった努力が続けられています。

 その方向性をより明確にするためでしょうか、県教育委員会事務局の長である教育長が新しくなりました。2002年の10月にそれまでの日比教育長が退任され、新しく高橋教育長が就任されました。高橋教育長は、前職は県の出納長で、規定により知事の推薦を受け議会の同意を得て就任されました。

 教育委員会の委員はというと、これは、新しく入った高橋委員(2001年4月より、教育長も特別職として、教育委員を兼ねています)の他は、加藤、土屋、山本、田島、渡辺(いずれも県内の会社の経営者級の方です)の5人の委員で、これまでと替わりありません。但し、この2月24日から、教育委員長が、前任の加藤さんから田島さんへ交替となりました。

 これらの人事は、各学校の先生方にはあまり興味がないところかもしれません。
 新教育長はともかく、新教育委員長の名前を言える先生は、あまりいません。私も、23年間はそうでした。(-_-;)

 さて、普通、各地域の住民は、日本の各地の教育委員会で、教育委員や教育長がどうやって決められているかは、あまり知らないのではないかと思います。私だって、一応県の職員ですから、県の動きは知っていても、反対にもっと身近なはずの、自分の住む岐阜市の教育委員長や教育長は、誰がどうやって就任しているかは全く知りません。
 自分の子どもが通学する中学校や教育の話には興味があっても、それを動かす市の教育委員会について、何も知らないのが普通の市民の姿です。

 これから話をするスティーブ活動については、それが制度として好ましいとか、アメリカのやり方がいいとか、そういうレベルの位置づけをしようというものではありません。
 ただ、少し日本とは違った活動が行われていることに興味をもち、みなさんにも紹介しようというだけのものです。

 スティーブが教育委員を務めるアイオワ州サウスイーストポーク(SEP)学校区の現教育長が、「自分はフロリダへ引っ越すので今期限り(2003年6月まで)で教育長を辞めると言い出したのは、昨年の11月です。当初はもう1年教育長を務めるということで教育委員も了解していたので、スティーブには驚きの決断でした。

 これを初めて聞いた私は、最初は、「時間がない」と書き送ってきたスティーブの気持ちがよく分かりませんでした。日本なら、教育長が辞めても、退職校長とか、事務局の有力者とか、阿吽の呼吸で教育長になる序列があって、誰かが順送りでなればいいと普通に思っていたからです。

 ところが、アメリカ、いや正確にはアイオワではそうではなかったのです。
 後任の教育長は当然、公募という形がとられなければなりませんでした。
 しかも、事務局にそれを執行する常勤のスタッフがいないので、公募して人材を探すことをある会社に依頼して教育長の候補を集めるというのです。

「それは普通のやり方か?」という私の疑問に、
「8000ドルから12000ドルの範囲(約100万円から150万円)でそれをすることが認められている。」という答えが返ってきました。

 12月から1月にかけて、新聞広告等によって、新教育長募集の呼びかけがなされました。
 正確には分かりませんが、かなり多くの人物が候補に名乗り出たようです。現教育長によって履歴書等必要書類が整理され、まずは書類選考によって候補者の絞り込みが行われました。
 この結果、2月始めまでに、最終候補として5人が面接を受けることになりました。

 候補者のその前の職業は、退職校長とか、どこかの学校区の元・前教育長などですから、その点は、日本とは大きな違いはありません。

 ところが、大きな違いはその最終選考の方法にあります。

 最終選考の面接は、2月3日から7日と10日に行われました。
 各候補は、午前7時から7人の教育委員の内3人と朝食をともにし、それからあらかじめ決められている学校や事務局のセクションを回り、昼食を挟んで、事務局職員、校長先生方、普通の教員、児童生徒達のグループと会って、いろいろ話をし、質問に答えるのです。もちろん、彼がどんな人物か、その都度評価を受けます。

 候補者は夕食を自分で取った後、午後7時頃から、今度は7人すべての教育委員と面接を受けます。この時、昼間各グループから受けた評価書が、教育委員の手元にあることは言うまでもありません。
 この1日の最後の長い面接は、夜の10頃まで続くのです。
 
 こんな過酷な「1日面接」を課す理由は容易に想像ができます。スティーブは次のように書いています。
The purpose of the long day was to have many people meet them and ask many questions to gets a look from many sides at each candidates」(原文のまま)
 ※purpose…目的、 candidate(s)…候補者、look…外見。様子

 こうして、5日間、5人の候補を面接した7人の教育委員は、2月10日(月)に再び集まり、午後8時から深夜に及ぶ選考が行われ、教育長候補が決定されました。
 万事情報公開が進んだアメリカでも、この選考過程は秘密です。

 新しい教育長は、現在はウィスコンシン州(アイオワ州の東北隣)に住んでいますが、もともとは、6年前までアイオワ州の州都デモインにすんでいた人物で、今度再びSEP学校区に戻ってきて、執務することになります。
 契約書によれば、彼の給料は、年俸で128,000ドル(およそ1500万円ぐらい)とのことです。

 くどいようで申し訳ありませんが、選ばれる教育長の「1日面接」も大変ですが、選ぶ7人の教育委員の方は、選挙で選ばれた人々であることは間違いありませんが、無給のいわばボランティアです。
 まさしく驚くべき努力です。

 新教育長は2月20日の定例教育委員会で正式に承認され、この日、公表されました。任期は、7月1日からです。

 アメリカは、一昨年の9月11日事件以来、経済が思わしくありません。
 その結果、各州の財政事情が悪化しており、アイオワでも教育予算が単年度で600万ドルの削減(7億円)となり、苦しいやりくりが続きます。

 新教育長が期待通り活躍されることを祈るばかりです。 


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