アイオワ州の友人スティーブ(アイオワ州の州都デモインの公立リンカン高校の世界史・経済の教師)が、2002年の9月に、居住地のSouth East Polk(サウス・イースト・ポーク)学校区の教育委員会の教育委員に再選されました。
今回は、アメリカの教育委員の続編です。(前編はこちらをどうぞ←)
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スティーブと二人のお嬢さん。
右、姉のメアリーグレース。
左、妹ヒラリー。(たぶん。10年前とは見違えるような立派なお嬢さんになって、見分けがつかない。10年前はこちら←)
アイオワ州立大学で。姉は3年生、妹は2002年の秋から1年生。 |
彼が最初に教育委員となったのは、1999年9月です。任期は3年で、この2002年の9月に任期が切れました。South East Polk学校区の教育委員会には、全部で7人の教育委員がおり、この時任期切れとなった3人分の選挙が行われ、彼は再び立候補して再選されました。
前回にも続いてこの話題を紹介するのは、このアメリカの教育委員というシステムに、民主主義の原点の魅力を感じるからです。
スティーブは任期の最後の年(2001年9月〜02年8月)は、7人の委員の互選で選ばれる教育委員長に選任されていました。このため、念願かなって、この6月に高校を卒業した下の娘の卒業式において、彼自身の名前の入った卒業証書を彼自らが教育委員長として娘に渡すことができました。
その一方で、彼は、教育委員の再選の準備をします。
彼は、私とウマが合うくらいですから、何につけても興味関心を持ち、そして、何か意見を持つと黙っていられないタイプです。
自分で、「too argumentative and confrontational」(議論好きでなんにでも立ち向かう)な性格だから、とても学校中では管理職等には出世できないといっています。これは、「出る釘は打たれる」日本ではもちろんですが、アメリカでも、学校の内部という比較的保守的な所では、同じ状況みたいです。
その分、いやそれだからこそ、州都デモイン市内の高校の一教員である彼が、居住している学校区(同じPOLK郡内でもデモイン市内とは別)の、教育委員になるというのですから、アメリカという国は、奥深い国です。
彼は、まず、立候補に必要な署名を集めました。立候補には、有権者100人の署名が必要です。このSouth East Polk学校区には、約25000人の有権者が住んでおり、区内には、高校が1校、中学校が1校、小学校が7校あります。
有権者の数と学校の規模からいって、日本なら、人口3万人程度の町の教育委員会という感じです。
アメリカの学校区ごとの教育委員会公選制度は、そもそも合衆国憲法第10条修正条項が、連邦政府に所属しない権限は州政府の権限であると述べているのに基づくもので、州政府が教育に関する権限をもち、地方の住民にその権限を任せている仕組みなのです。
<教育委員の選挙に関することのまとめ>(小学生の発表みたいですね。失礼)
委員の数はおきな学校区では7人、小さい学校区では5人。
任期3年の7人の教育委員の場合は、一度に改選されるのではなく、1年ごとに2人・2人・3人と改選される。
選挙は毎年9月に行われる。
各委員は選挙に際して、自分の主張を説明する選挙運動を行い、新聞紙上の記事・ダイレクトメール・道路上の看板などを使って有権者に訴える。
選挙費用は、大統領選挙などと同じように、支持者からの寄付によってまかなわれる。学校区ごとに上限金額が決められていて、それ以上使うと、すべての選挙費用の寄付者・出費に関する報告をしなければならない。これは、South EAst Polk学校区では、750ドルとなっている。
South East Polk学校区の今回の選挙では、Robert Skinner、Jack Scrignoli、 Steven Hanson、 Valarie Campbell(結果的に前の3人が当選) の4名が立候補しました。
一般的には、州都デモインのような大きな学校区では、労働団体の支援を取り付けたり、マイノリティグループが積極的に特別な候補を応援したり、大規模な選挙運動が展開されます。
スティーブは、これまでの3年間の実績、とりわけ最後の1年の教育委員長としての実績に自信があったので、とくに費用をかけた選挙運動は行いませんでした。
彼が3年間に力を注いだことのひとつは、アルコールやマリファナを持ってくる生徒に対する処罰(退学)の厳罰化と、同時に、生徒の事情聴取の際にその一部始終を録音して、あとで疑問点が生じたらその録音を検証し、処分の妥当性を証明するという仕組みをはじめたことです。
これにより、学校の「zero tolerance policy for fighting」(我流の訳ですが、「喧嘩に対しては容赦しない方針」となるでしょうか。)をより徹底して進めるという政策です。
こレが評価された結果、スティーブは特別な選挙運動がなくても、555票を獲得し、第2位で当選しました。第1位は、600票でした。
4人への総投票数は、2200票でしたから、有権者約25000人から算出すると、投票率は、9%程になります。
この数字については、スティーブ自身は、今回はとくに単純な争点が少なく、とくに低投票率だったといっていますが、高い時でも、20%〜30%程度だそうです。
この投票率を低いと見るか、高いと見るか?
というのは、教育には国民全員が関心はあるとはいいながら、現実的には、学齢期の子どもを持つ有権者以外はあまり関心はありません。それを考えると、今回の9%は低いとしても、通常であれば、教育委員の選挙というのはこのくらいの数字に落ち着くのではないかと思えます。
さて、教育委員にはどのような人がなるのでしょうか。日本のような地域の特別な名士なのでしょうか。
South East Polk学校区の7人の委員の職業は次の通りです。
元小学校の事務職員(女)、学校のソーシャルワーカー(女)、看護婦(女)、弁護士(男)、医師(男)、セールスマン(男)、そして高校教師のスティーブです。
これは、どうみても、特別なメンバーというわけではないようです。
<教育委員会の権限、教育委員会会議などについて>
教育委員の役職には全く給与は払われず、ボランティアである。
教育委員会はこの学校区では毎月第3木曜日に午後7時から開催される。特別に必要な場合は、第4木曜日に臨時会が開かれる。会議時間は短くて2時間、長いときは4時間ぐらいになる。
議案書は毎月10p近い厚みのものを事務局が準備し、開催1週間前に教育委員のもとに送付する。(予習が大変)
協議・議決する対象は、学校区の予算、教育方針、カリキュラム、卒業のための条件、生徒の退学等の処分に関する規定などです。
教育委員会議は生徒の処分問題を除いては公開で行われ、いつも何人かが必ず傍聴に訪れ、その人々を通して、教育委員会の審議の内容は、コミュニティの多くの人の知る所となっている。
委員会は教育長から事務職員まで、事務局のスタッフを雇っている。スタッフには教員経験者は多くない。
これらの多くの内容は、どこの学校区の教育委員会でも同じで、たとえ、DesMoines Public 学校区でも同じです。
日本の教育委員会制度とSouth East Polk 学校区のそれとの違う点を指摘して、今日の報告を終わろうと思います。(SEP学校区たった一つのことしかわかりませんが、スティーブからもらった手紙の説明等から、およそ全米共通かどうかはわかります。)
当たり前ですが、日本の教育委員は、首長の推薦で議会の承認により任命されます。South East Polkも含めた学校区のみならず、アメリカ全体は選挙です。選挙であるため、教育委員はコミュニティーの多くの人に知られていますが、日本では、ほとんど知られていません。岐阜県教育委員会の教育委員長を知っている一般の方は、まずいません。
日本は教育委員になる人は特別な人・地方の名士が多いですが、アメリカではもっとごく普通の人がなっているようです。
最後に、教育委員会議に必ず傍聴人が出て、その内容が、コミュニティーに流れていっていることです。日本では傍聴人は、ほとんどいないと思います。会議時間は昼間ですから、普通の勤め人が気軽に傍聴に行くことはできません。
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