| 旅行記のメニューへ  | | アメリカとの交流メニューへ  | | 前へ | | 次へ |

014 ハリケーン・カトリーナ未公開写真・経済的影響32005年09月18日記述 

 では、解説です。
 穀物とコーヒーの価格が変動したというのは、次のような理由です。

  1. ルイジアナ州のニューオリンズが洪水により壊滅的な被害を受けた。

  2. ニューオリンズは、人口50万人弱(周辺圏域を含めると70万人、全米20数位)とそれほど大きな都市ではないが、周辺都市も含めてこの地域には重要な港湾施設があり、船舶による物資輸送に重大な障害が生じている。

  3. ニューオリンズでメキシコ湾に注ぐミシシッピ川は、アメリカの中心を貫く長大な河川であり、現代もなお、内国河川水運の幹線である。(河川水運がほとんど意味をもっていない現代日本とは大きく異なる。)この河川輸送自体も、ミシシッピ川の増水等によって、平常の運行が妨げられている。

  4. このため、中南米からニューオリンズを経由してミシシッピ川水運で中西部諸州にもたらされるコーヒー価格は、品不足で上昇し、また、アイオワ州からミシシッピ川経由で輸出される穀物価格にも変動を与えた。

 これだけでは、面白くありませんから、これに関して、歴史地理経済の各分野からいろいろな補足説明をします。


<ニューオリンズの周辺写真>
 ルイジアナ州ニューオリンズとその周囲の衛星写真。高度245.75kmからの撮影。
 
は今度のハリケーンで堤防が決壊したポンチャトレーン湖です。
 
はミシシッピ川です。右下の枝分かれしている部分が河口です。
 北緯30度線と西経90度線が交差する地点周辺がニューオリンズの中心部です。
 ここは今回の洪水で水没しました。
 ちょっと判別しづらいですが、記号の下及び右側の緑色青色の部分、及び、ニューオリンズの東側の
緑色の部分は、メキシコ湾です。
 ※NASAのWorld Windより。
 (この説明はこちらです。


 <歴史>
 まずは歴史です。

 ニューオリンズとミシシッピ川がどういう経緯で開拓されたかが、説明を補足する重要な要素となります。

 まず、ルイジアナ州の名前の由来はご存じですね。
 これは世界史の授業で必ず教える有名なことなのですが、ニューオリンズのあるルイジアナ州の名前は、「
ルイ王の土地」という意味です。つまり、フランス王国ブルボン王朝の国王ルイ14世の土地という意味なのです。
 
 ルイジアナがフランス人によって開拓されはじめたのは、17世紀後半、日本で言うと江戸幕府の第5代将軍徳川綱吉が、将軍になったばかりのころです。
 当時、北米植民地をイギリスと争っていたフランスは、のちに独立13州になる東海岸のイギリス植民地に対抗できる勢力範囲を築こうとしていました。
 右の地図2をご覧ください。
 フランスは、まず、イギリス植民地の北側のセントローレンス川河口近くに入植し、川をさかのぼって五大湖地方に進出しました。
 
 フランスにとってライバルイギリスを圧倒する最もいい方法は何か。
 それは、大西洋とは反対の太平洋に流れ込む川を発見し、北米大陸の西半分を支配し、さらには、太平洋岸に拠点を作ってアジアとの貿易を牛耳ることでした。
 もちろん、現在の常識から考えれば、北米大陸は広大で、しかも、中央部より西側にはロッキー山脈があり、五大湖地方からは太平洋に達する川などはないのですが、当時の知識不足の状態からは、そういう壮大な夢も実現可能と思われていました。
 
 かくて、
1681年12月、ラ・サールを隊長とするフランス人探検隊は、ミシガン湖のほとり、現在のイリノイ州シカゴのあたりを出発し、イリノイ川を西に向かいます。

この探検隊長ラ・サールさんと同時代の人に、カトリック教会の司祭、聖ラ・サールがいます。こちらは、鹿児島ラ・サール高校などの名前由来となった人です。探検隊長ラ・サールさんは、日本では知られてはいません。教科書には登場しません。


 ところが、途中で川の流れは南向きに変わり、その行き着く先は太平洋ではなく・・・、メキシコ湾ということになるのです。

 
682年4月、ラ・サール探検隊は、現在のミシシッピ川河口に到着します。
 彼は、河口に1本の柱を立て、「フランスとナヴァルの国王、ルイ14世の治世、1682年4月9日」と記したそうです。

 その後紆余曲折があり、フランスは、河口ではなく、そこから240kmほどさかのぼった場所に町を建設しました。
1718年のことです。
  ※上の写真には、縮尺がありませんが、実は、右隅のミシシッピ川河口とニューオリンズとは、240kmも離れています。
  ※猿谷要著『ミシシッピ紀行』(文藝春秋 1994年)P32〜35
 そして、町の名前は、当時の国王ルイ15世の摂政、オルレアン公にちなんで、フランス語で、Nouvelle Orleans と付けられました。
ニューヴェル オルレアン、「新しいオルレアン」という意味です。
 オルレアンは、フランスのパリの南方の地名で、英仏100年戦争の時に、
ジャンヌダルクが登場したところです。新大陸の地名を自国の地名に「新しい」を付けて表現するのは、ニューイングランド、ニューアムステルダム、ニューヨーク・・・みな同じ原理です。

ミズーリ州セントルイスも、語源は、「聖ルイ」です。
北米の地名のうち、フランス語に由来するものは、セントローレンス川、五大湖地方、ミシシッピ川の流域に限定して残されています。(山本正三他著『詳説新地理B』(二宮書店 2004年)P172

友人のスティーブの住むアイオワ州の州都デモイン(表記は Des Moines)も、二つの川が合流している部分を示すフランス語です。


 フランスは、ミシシッピ川の流域で川より西の
広大な地域全体をルイジアナと呼び、アメリカ合衆国独立後も、引き続き領有して、開発を進めました。ナポレオン1世も、経営の強化を図りました。
 しかし、企図は失敗に終わり、ついに、領土の売却を決断します。
 
 1803年、
フランスはルイジアナをアメリカ合衆国に売却します。価格は全体で約1500万ドル、1エーカー(約4000平方メートル)あたり3セントでした。

 このあと、 Nouvelle Oreleans のNouvelle が、英語のNewに置き換わり、Orleans の発音がオルレアンから英語風のオーリンズに変わり、
New Orleans ニューオリンズ(ニューオーリンズ)となったのです。
   


<地理>

 続いて地理です。。
 ミシシッピ川がアメリカが州国全体の中で地勢的にどんな位置にあるかを確認しましょう。

 上の地図2ではミシシッピ川の本流と、代表的な支流であるミズーリ川とオハイオ川のみを示しましたが、右の地図3は、もっとたくさんの支流を書き加えました。

 これを見ると、ミシシッピ川の水系が、北米大陸の中心にあることがおわかりでしょう。
 
 小さな支流まで含めると、ミシシッピ川の水系は、全米の何州に流れているでしょうか?



 地図4の水色はミシシッピ水系の州を示しています。
 その数、何と
31州
 この地図に示された水系外の州は、ロッキー山脈より太平洋側の7州、フロリダ、アパラチア山脈の東のサウスカロライナ州、そして、東部海岸北部の8州の17州です。このほかに、アラスカとハワイの両州を加えて、19州は非水系の州です。
 それ以外の31州は、州のどこかにミシシッピ川に繋がる川があるのです。

 
 こういったミシシッピ川の存在を、テネシー州生まれの米国人で現在早稲田大学のジェームス・バーダマン教授は、次のように表現しています。(赤太字は、私が細工しました)

「アメリカ合衆国は、大陸全体に州と都市とが無秩序に散らばる不可解な集合体だと、日本の読者は思っているかもしれない。何しろ、東海岸と西海岸のあいだに4時間以上の時差があるほど広い国のことである。アメリカは、カリフォルニア(に代表される西海岸)とニューヨーク(に代表される東海岸)と、両者のあいだの巨大な空白とから成り立っていると、おおかたの人が思い込んでいたとしても不思議はない。真ん中の地域は広漠としてつかみどころがなく、どのみち重要な都市の大半は東海岸と西海岸にあると、みなさんは思っていないだろうか?
 このような見方は、赤く輝く林檎を見るのに似ている。林檎の片側は東海岸に、もう片側は西海岸に喩えられる。林檎を手に取り、ためつすがめつ眺めれば、それがどんなものなのかよくわかった気がするだろう。けれども、それでは外側だけしか見たことにならない。内側は外側とはまったく異なるし、そこには外からはうかがいしれないほど多くのものが詰まっている。
 
ミシシッピ川はアメリカの「心臓部」を流れており、この地域は多くの点で林檎の内側によく似ている。一見しただけでは目に入ってこないし、輝いてもいない。しかし、そこには果肉と芯と種子とが含まれている。まさに林檎を林檎たらしめている実質がそこにはある。同じように、アメリカの歴史と民衆を真に理解しょうとするならば、大陸の「芯」、すなわちミシシッピ川を中心とする地域 国の「内陸部にある海岸」を理解することが肝要なのである。ミシシッピ川流域はアメリカ経済の屋台骨であり、また何よりも重要なことに、国家の精神的な中心でもある。ミシシツピ川流域は、かつて「フロンティア」西漸の出発点となった地域であり、今日では「普通のアメリカ人」が暮らす地域となっている。」

※ジェームス・バーダマン著 井出野浩貴訳『ミシシッピ=アメリカを生んだ大河』(講談社選書メチエ 2005年)P5

 
 ミシシッピ川は、
アメリカというリンゴの芯のようなものとは、巧みな比喩です。

 ミシシッピ川は、18世紀後半には、北米大陸の交通の重要な「道」となりつつありましたが、特に、1803年、合衆国がフランス領ルイジアナを購入し、ミシシッピ水系のほとんどが合衆国領となってからは、その役割は飛躍的に増加します。

 おりしも、教科書にも出てくる、ロバート・フルトンが、
ハドソン川に蒸気船を初めて走らせました。それを知ったヘンリー・シュリーヴという、これは教科書には出ていない人物は、ハドソン川に比べて川底が浅いミシシッピ川用に蒸気船を改良しました。
 
 右の写真は、かの有名な東京ディズニーランドのアトラクションの一つ、マークトゥエイン号です。
 この船こそがミシシッピ川用に改良された船です。

 どの点が改良されているか、分かりますか?

 ポイントは二つです。 

  1. ミシシッピ川の浅い川底でも航行できるように、蒸気エンジンを船底部から甲板に移して、船の喫水を浅くした。

  2. 流木などにぶつからないように、回転パドルを船の後部に付けた。(写真の赤い部分、後部外輪)

 同時に各地で水路の改良や、沈底木の除去などが進められ、しだいに安全な航行も実現していきました。

 かくて、ミシシッピは、19世紀の前半には、北米大陸を南北に貫く大動脈となり、また、東海岸からオハイオ川などを下ってミシシッピ川まで来た人びとの西部への出発地ともなりました。ミズーリ州セントルイスは、西部開拓の玄関口となりました。


 年代別のアメリカ都市人口ランキングというのを調べてみると、この時期のニューオリンズの繁栄が確認できます。
 現在の都市人口ランキングでは、約48万人の人口のニューオリンズは、全米30位以内には入れません。
 ところが、1840年のランキングでは、以下のようになっていました。

【アメリカ合衆国都市人口ランキング1840年】

順位

都市名

州名

人口

ニューヨーク ニューヨーク 312,710

ボルチモア メリーランド 102,313

ニューオリンズ ルイジアナ 102,193

フィラデルフィア ペンシルバニア 93,665

ボストン マサチューセッツ 93,383

この表は、アメリカ合衆国のU.S. Census Bureau(トップページはこちらです。)の「Population of the 100 Largest Urban Places 1840 」からつくりました。このページはこちらです。


 なんと、ニューオリンズは、ニューヨーク、ボルチモアについで、
全米第3位の人口となっていました。こんな高いランキングとなったのは、後にも先にもこの時代だけです。
 
 19世紀末に北米大陸に鉄道網が発達すると、ミシシッピ水運は一時衰退に向かいます。
 しかし、1914年からはじまった第一次世界大戦時には、アメリカ国内の鉄道輸送が限界に達し、再び河川水運が見直されることとなり、ミシシッピ水運は復活を果たします。
 それ以後、河川の整備が一層進められたこともあって、今日に至るまで、
アメリカの物資輸送の大動脈であり続けています。
 
 日本と違って河川輸送が現在も可能となっている基本的な条件は、アメリカの河川の川幅の広さと、比較的ゆったりとした流れです。 ミシシッピ川の源流は、河口のルイジアナ州とはまったく反対側のカナダ国境沿いのミネソタ州です。
 源流から河口まで、
6019kmもの距離がありますが、この源流部の標高は、なんと僅か、450mです。
 このため、河川輸送は、他の輸送手段に比べて、圧倒的な運搬物資の量の多さが魅力となり、現代も輸送の主力となっているのです。具体的な数字をあげてみましょう。

 トレーラートラック1台が運べる穀物の量は、約
25トンです。
 列車だと大貨物列車1両に穀物をおよそ
85トンを積載することができ、1列車120両の長大編成にすると、一度に約10000トンを運ぶことができます。
  河川水運はどうでしょう。
 ミシシッピ水系では、昔から四角い平底船が運搬に使われてきました。現代では、バージ(はしけ)と呼ばれる巨大な平底船(動力は付いていません)が、トレーラートラック
58台分、およそ1500トンの荷物を積載します。これを、通常よくもちいられる編成24隻にすると、一度に36000トンの穀物を運ぶことができます。
 現代のミシシッピ川では、バージが時には、45隻も束ねられて、
タグボートに押されて、荷物を運んでいます。
 トラックや、列車に比べると、圧倒的な輸送量です。もちろん、この
規模の利益によって、輸送費は安価に抑えることができるのです。
 ※茅野信行著『アメリカの穀物輸出と穀物メジャーの発展』(中央大学出版部 2004年)P168
 水系全体では、およそ、500の
タグボートと、14000のバージが活動しています。 

 また、これは偶然ですが、ミシシッピ川本流が水運に適していた別の理由に、この川には、滝がなかったことがあります。ナイアガラのような滝があっては、いくら大河といえども、水運はできません。
 
ミネソタ州セントポールには、河口からさかのぼって行くとはじめてとなる滝があります。したがってここで船による輸送は終わりになりますが、現在でも、河口からここまで5000km以上も船で航行できるのです。

 もっとも、セントルイスから北には、水量と川幅を確保するため、合計29もの
ダムと閘門が建設されており、船はパナマ運河のように、閘門ごとに水位の異なる川面を通過しなければなりません。閘門にはサイズがあり、一度に通過する船の量が制限を受けます。

 このため、バージは、セントルイスより下流では、最大45隻ひとまとめにして航行することができますが、上流では、15隻ひとまとめと決められています。 
 ※中西部からの穀物の輸送は、バイテク情報普及協会のサイトの「トウモロコシが出荷されるまで」をご覧ください。
   こちらです。 (収穫からバージでの輸送、外洋船への積み替えなどが写真で解説されています。)


<経済>
 下の図は、アメリカの穀物(小麦、大豆、とうもろこし)の地方別輸出量です。

ブッシェルは容積の単位で、1ブッシェル=36.24リットルです。日本の単位で言うと、約2斗です。 
ブッシェルを重さに換算すると、トウモロコシの場合、1ブッシェル=60ポンド=27.2155kg です。


 メキシコ湾岸からの輸出は、
全輸出の65%を占めています。

 この図の数値は、1985年と、ちょっと古いものですが、その後から現代に至るまで、穀物輸出の総量は変動しても、
メキシコ湾岸からの輸出の割合は、65%から75%になっており、アメリカからの穀物輸出の中心であることには、変わりありません。

 この穀物輸出の大動脈が、麻痺してしまったのですから、大きな影響が生じたことは簡単に想像できます。

 では、実際にはどういう状況が起こったのでしょうか。その後何が起こりつつあるのでしょうか。

 
 まず、湾岸地域の輸出です。
 
輸出量は、次のような劇的な変化となりました。
    

グラフをのぞく以下の記述のうち、詳細な数値に関しては、「三井物産フューチャーズ ファンダメンタルズレポート」(こちらのサイトです。)、「アメリカ大豆協会 週報」(こちらのサイトです。)を参考にし、一部引用しました。


<アメリカの全穀物輸出のうちメキシコ湾岸が占める割合の変化 2005年>


8月17日

8月25日 9月1日

72.5%

65.0% 3.6% ※

※このうち、ルイジアナからは0%


 ハリケーン・カトリーナ襲来直後から、穀物輸出の大半を占めていた湾岸地域からは、ほとんど輸出がされなくなってしまいました。
 
 9月1日段階で、一部のメディアは次のように報じました。
「シカゴ穀物先物市場では、国内余剰懸念により先物価格が低落傾向にあり、日本に於いては将来の穀物不足から逆に先物価格が上昇している。」

 また同時に、ミシシッピ川そのものの増水による航路の安全への不安(流木・沈底木の危険のためしばらくの間、夜間は航行を制限)や、バージそのものが被害を受けたことから、
バージの運賃が上昇しました。
 9月11日の「DesMoines Register」(アイオワ州の州都デモインの新聞)は、バージの運賃が、一部地域では、1ブッシェルあたり65セント、また一部では、同じく80セント上昇していると報じました。


 穀物に関しては、ルイジアナ州やミシシッピ州では、ハリケーンにより大豆やトウモロコシやサトウキビに直接の被害がありました。これらは、いずれも、穀物供給への大きなマイナス要因です。
 しかし、一方で9月12日、
USDA(アメリカ農務省)は次に様に発表しました。
 
「2005年度は大豆もトウモロコシも、アメリカ全体では豊作が予想される。とうもろこしは史上第2位、大豆は史上第3位の収量が見込まれる。」
 
 実際、「DesMoines Register」によると、アイオワでは、今年の夏は「これまでにない晴天」が続き、通年の3分の1しか降雨量がなく当初は不作が心配されましたが、8月には少量ながらタイミングよく雨が降ったおかげで、トウモロコシ・大豆の収穫予想が上方修正されました。トウモロコシは、9月の発表では、1エーカーあたりの収穫量が169ブッシェルと、8月の発表より5ブッシェル数値が上がりました。
 
 このUSDAの発表のおかげで、シカゴの穀物取引場の価格は、下がりました。このあたりの価格の動きは、穀物価格が、単に台風の影響だけでなく、いろいろな要因によって変動していくことを示しています。
 

 アメリカの穀物市場の価格の具体的な動きです。
 左のグラフは、シカゴのトウモロコシ先物相場の価格の推移です。2005年12月限の先物です。
 これは価格の推移の全体を理解するには好都合な折れ線グラフです。
 水不足が降雨量不足が心配され、収量が落ちるのではないかとていた今年上半期は、相場は比較的高い値段が維持されました。
 8月中にはその心配が薄れ、価格が低下傾向となりました。
 
カトリーナの被害が明らかとなった9月1日以降、価格は少し上昇しましたが、すぐに被害以前に戻りました。
 そして、USDAの豊作予想の発表があると、中旬以降、価格はぐっと下がっています。 

このグラフは、Chicago Board of Trade のチャートから作成しました。サイトはこちらです。


 一方、日本に於いては、農林水産大臣の「日本にはトウモ ロコシ・大豆とも約3ヵ月分の在庫があり、当面の供給に問題は無い」との発言(9月6日)もあり、一時的に急騰した価格も、次第に下がってきています。

 下のグラフをご覧ください。
 これは、東京穀物商品取引所の先物取引のうち、2005年11月限のトウモロコシの取引価格の推移です。
 カトリーナの被害が明らかとなった
9月1日以後、価格は急騰しました。しかし、中旬にはいると、やや下げてきています。 

専門家の方に、「なんじゃこれは」といわれてしまいそうですから、ちょっと解説します。
通常、東京穀物商品取引所のトウモロコシ先物相場は、100,000kg=100トン単位で取引され、価格は、1000kg単位で表現されます。
たとえば、9月22日の終値(新聞等に記載されている価格)は、14960円です。つまり、1トン=14960円です。市場ではこの数値をつかいますが、このページでは、アメリカの取引にあわせて、1ブッシェルという単位を使ってきましたので、それにならって、1ブッシェル(=27.2155kg)あたりの価格に換算した数値を使ってグラフを作っています。

ただし、この価格は、円表示ですから、ドルにするには、115円=1ドルとして、割り算が必要です。
9月22日の1ブッシェル=325円は、ドルに換算すると、2.82ドルです。

東京穀物商品取引所のサイトはこちらです。


 しかし、原油やガソリンの値上げによる運賃の上昇、肥料価格の上昇、世界の他国の穀物生産の作柄(ブラジルが減収との予想)、次のハリケーンの接近などなど、他にも世界の穀物流通に影響をあたえそうな変動要素がいくつかあり、この時点では、ハリケーン・カトリーナの影響がどうだという結論は、まだまだ下せない状態となっています。

 最後に、スティーブの報告にあった、
コーヒーに付いてのアメリカの現況です。
 2005年7月時点では、ニューオリンズの港湾施設には、コーヒー豆の在庫が160万6536袋ありました。これは、ニューヨークの約240万袋についで第2位でした。ちなみに、2005年−06年のアメリカ全体のコーヒー消費予想は、1287万袋とされていますから、ルイジアナには、年間消費量の12.5%が貯蔵されていたことになります。
 当初は、この在庫袋の大半が水につかったと考えられ、値上がりが心配されましたが、その後の報告では、被害は思ったほどひどくはなく、輸送も徐々に再開されてことから、アイオワ州での値上がりも微増にとどまっています。


 といっているうちに、またもや巨大ハリケーン「Rita」が、ルイジアナ州の隣のテキサス州に迫っています。(2005年9月23日現在)湾岸住民には、最悪の夏とならないことを祈ります。

 以上、一般の日本人にはなじみの薄い、「
ミシシッピ水運の重要性」についてのレポートでした。 


| 旅行記のメニューへ  | | アメリカとの交流メニューへ  | | 前へ | | 次へ |