これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に研修で出かけた北方領土色丹島の訪問記と、ついでに回った、北海道東部の旅行記です。


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F 幼稚園・中学校訪問 

 
○色丹島は自然が豊か

 色丹島は、納沙布岬から北東に73q。
 長さ24q、幅9.5q、面積253.3平方qの小さな島ですが、何しろ人口は僅か2000人です。
 手つかずの自然があちこちに残っていて、なかなか見事な景観の所がいっぱいです。

 小さい島ですからそれほど高い山はありませんが、それでも斜古丹山は標高413bあります。

 全島が高山植物地帯にあり、変化に富んだ海岸線など、もし、観光客の誘致に本格的に取り組めば、観光資源には事欠きません。

 冷涼なため、農業はほとんどできません。馬や牛は飼われています。
 そして、魅力のある資源が、いうまでもなく漁業です。

 北方領土周辺の海域は、二つの暖流と一つの寒流が交わる所であるため、世界3大漁場の一つに数えられています。
 特に、鮭、鱒、鱈、タラバガニ、ハナサキガニ、昆布、ホタテなどの宝庫です。

 冷涼な気候と言いましたが、気候はそれほど厳しくありません。海流の影響を受けるため、2月の平均気温はマイナス6度前後と、北海道の内陸部や本州の寒いところよりもよほど暖かい気候です。
 日本との比較ではなく、ロシアの他の地域と比較をすれば、もっと、違う見方ができます。ウラル以東のシベリアと比較すれば、北方領土とくに色丹島は、冬には一番暖かいところなのです。
 
 但し、すでに触れたように、夏の気温も上がりません。海流が交わる関係で夏には海霧がかかって日照時間が少ないことや、オホーツク海から冷気が入ってくることから、一番暑い8月でも、平均気温は16度ほどです。この冷気が日本まで来ると、東北地方は、冷害となって米が取れません。

マタコタン湾の絶景 21日、私たちはここにピクニックに訪れ、昼食を取った。気温は9月にしては異例の20度近くにまで上がり、みんな長袖の上着を脱ぎ捨てた。お花畑、水鳥。広がる沼地。

 右は斜古丹の町。日本の昭和30年代以前の田舎の風景のよう。右は、日本人墓地と後方にこの島最高峰の斜古丹山(413b)。この時山の方角からいきなり銃声が連続して聞こえました。山にこだましてすごい音。事務局員が説明します。「これはロシア国境警備隊の演習の射撃音です。」
「あれは、ロシア製のAM47自動小銃の音だろう」この解説は、もちろん、元自衛隊員の広島県K先生です。さすが。


 ○幼稚園訪問
 さて、私たちは、教育関係者交流団ですので、一番楽しみにしていたのが、色丹島の教職員との交流です。色丹島の人々にとっても、日本から教育関係者が大量にやってくるのは初めてですから、期待しているのが分かりました。
 20日(金)午後、まず、斜古丹にあるロマーシカ幼稚園を訪問しました。建物は古く、園庭にも子どもたちが遊べる器具はほとんどありません。

 それでも、子どもたちの表情はもちろん明るく、俗に言う「お人形さんのように可愛い子」ばかりです。どこの国でも、小さな子どもは可愛いものですが、ロシア人の金髪と言うより白髪に近いような髪の子どもたちの可愛さは又格別です。お遊戯と歌の歓迎を受けて、心が和みます。

 ザモルコーワ園長によれば、1歳半から6歳の子どもたちが在籍しているとのこと。保育園と幼稚園をかねていて、園児は、朝食・昼食・午後のおやつの3食を園で食べます。朝は7時半から午後6時までの開業です。
「どうしてそんなに早くから子供を預かるのですか」「ロシアの女性は朝早くから仕事に出かけるのです。」
3食の食費は、1ヶ月300ルーブル(1ルーブルは5円です。つまり、1500円。)

 長く預かるため、先生方は早番遅番の7時間交替の勤務シフトをしいています。先生は全員女性で、日本の幼稚園と同じように、就学前に、ある程度の読み書き、算数、音楽を学習します。
 園長先生は、日本の最近の教育を意識して、「日本ではそうではないかもしれませんが、ロシアでは、道徳・しつけも幼稚園で厳しく行います。」と自信満々に説明していました。
 こんなところでも、日本の教育改革の在り方が問われています。 


 斜古丹のローマシカ幼稚園の園児たち。我が訪問団は、中学の社会科の先生方が中心とあって、女性は1名のみで後は男です。
 園長や園児の存在よりも、一番左端に写っている女性、音楽担当のウラジミーワ先生が、とてもとてもとても美人で、そちらの方ばかりに視線が集まっていました。
 この夏に色丹島に来たばかりです。


 ○小中学校訪問 
 翌21日(土)の午前、同じく斜古丹にあるセレブリャンナヤ小中学校を訪問しました。
 色丹島には、小中学校は、斜古丹と穴澗にそれぞれ一つずつあるだけです。それぞれ生徒数は、154名と90名で、これまでは、小学校5年生・中学校6年生の11学年制でした。現在、12学年制へ移行中です。職員は校長先生以下14名で、驚くことに男の先生は1名だけでした。

 11学年のうち9学年までが義務教育で、全ロシア共通です。これは、日本と同じことになります。
 実は、この小中学校は、1994年の北海道東部沖地震で校舎が崩壊し、現在は元幼稚園の建物等を借りている気の毒な状況でした。

 1994年の地震で崩れ廃墟となった元の小中学校   今の小中学校 幼稚園の同じ校舎を間借り 

 左は、歓迎の歌を歌ってくれた小学校高学年の子どもたち。校長先生曰く、「ロシアは多民族国家。ロシア国家の縮図のような学校で、たくさんの民族の子どもがいる。この4人は、別々の民族に思われます。
 右はパソコン室、失礼な言い方だがこんな辺境の学校にも、20台ほどのパソコンを備えたパソコン室があります。但し、島では、この時点ではインターネットへの接続はできていませんでした。(のち開通)
 


 ○ロシア語の勉強
 
小中学校では、これまた若くて可愛い地理担当のディアナ先生から、ロシア語の授業を受けました。このあと、ホームビジットですから、みんな真剣です。

 但し、ロシア語はアルファベットとは異なる32個もある独特のロシア文字を使いますから、読むのも大変です。
 「ドーブラエ ウートラ(おはようございます)」、「ミニャ ザブート○○(私の名前は○○です)」、「オーチン フクスナ(とてもおいしいです)」など、ホームビジットに欠かせないことばを即席で習いました。

○校長先鋭との質疑応答
 日本と違って、欧米のミーティングは、質疑応答が中心です。
 校長先生が、45分はある「説明の時間」の最初に、「どうしましょう、みなさんからの質問を受けましょうか。」と言ったのには、一同少なからず驚き。
 通訳が機転をきかせて「まず始めに説明、それから質問」という形となりました。但し、日本と違って、質疑応答の時間はたっぷりです。
 
 その結果次のことが明かとなりました。 

  1. ロシアでは先生の給料が安く、男の先生はほとんどいない。給料は、校長先生で1ヶ月3000ルーブル(1万5千円)、普通の中年の先生で、2000ルーブルぐらい。この学校の職員の平均年齢は38歳。とても高い。(日本はもっと高いとの声あり)教師へのなり手が少なく、人手不足で、校長も週15時間以上授業している。幸い給料の遅配はない。

  2. いろいろ教えたいが、ここの小中学校では設備がない。体育の道具も実験器具もない。

  3. 校舎が狭くて、全員一度に教えられないため、2部制を取っている。

  4. 先生の研修は、ソ連時代はちゃんとあり、サハリンの大学へ行っていたが、1990年代半ばからは、資金がまわってこなくなり事実上できなくなった。

  5. 14人の職員のうち、6名は、この島で25年以上働いている。

  6. 授業中は規律も重視し、日本とは違ってしてはいけないことがいろいろある。(具体的にはどんなことがあるか質問しようとして時間がなかった。残念。)

  7. 生徒の学習ができてない場合は、義務教育でも落第させる。昨年は1名が9年生を2回やった。日本では、小中学校ではどんなに休んでも進級できるのが信じられない。

  8. みんな大学へ行きたいと行っているが、その割りには、勉強はあまりしていないものもいる。

  9. 9年生を終えるときに試験を受けて、10年生以上に進む場合はそれに合格しなければならない。

  10. 給食は全ロシア共通で装備しなければならないが、この学校にはその設備がない。

  11. 夏休みはここだけ特別で80日間ある。大陸では42日。

  12. 教科書はロシア連邦政府推薦のものを使う。

  13. 斜古丹は、国境警備隊の基地のある町なので、生徒の3分の1は国境警備隊の家庭の子どもである。

 校長先生の次のことばが印象的でした。
「 ここは教師として労働条件・環境は最悪である。同じ教師をやるなら大陸の方がいいだろう。でも、ここに子どもたちがいる限り、それを見捨てて、どこかへは行けない。ここへ教師として赴任する希望者は少ないから。そう思って私たちの世代はがんばってきた。
 去年赴任した若い教師が、教員より水産工場の方が給料がいいからといって、すぐにやめてしまった。これには少なからずショックを受けた。」

  情熱に支えられた教育と世代の断絶、どこの国も同じらしい。 

 ロシア語の授業日本との交流の結果、ロシア人の日本に対する関心も高まっている。

 子どもたちからのプレゼント、この時点では、この絵が何を描いたものかは分からなかった。

 斜古丹は国境警備隊の基地の町、
左は斜古丹湾で煙幕を張って活動する警備艇。
右は、斜古丹湾の夕焼け。湾口のはるか沖合に見えるのは、何とここから70キロ以上離れた国後島の爺爺岳(ちゃちゃだけ)標高1822メートル。先頭の地図の赤い矢印の方向が、爺爺岳です。 
 (色丹島の地図へもどる )
 右上の貝殻の絵の意味が分かります?湾口はるか沖の、爺爺岳なのです。


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