近代ヨーロッパの誕生その2
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<解説編>
 

706 写真の木の船のようなものは何か?                        | 問題編へ |

 答えは、次の文章、「産業革命」に関する教科書記述の中にあります。

「 拡大する市場に向けての大量生産を可能にする技術革新は,まず綿工業の分野で,マンチェスターを中心にはじまった。従来イギリスのおもな工業は毛織物業であったが,17世紀末には,インドから輸入された,より軽い綿布の需要が高まった。綿布と,その原料である綿花は,大西洋の三角貿易で重要な商品となり,綿工業がイギリス国内に発達した。
 1733年,ジョン=ケイ(John Kay 1704〜64ころ)によって飛び抒(ひ)が発明されると,綿織物の生産量が急速にふえて綿糸が不足した。その結果,ハーグリーブスの多軸紡績機(ジュニー紡績楓1764年ころ),アークライトの水力紡績機(1769年),クロンプトンのミュール紡績機(1779年)などがつぎつぎに発明され.良質の綿糸が大量に生産されるようになった。そこでふたたび織物機械の改良がうながされ,1785年,力織機がカートライトによって発明された。
 また18世紀初めにニューコメンが蒸気カによるポンプを発明していたが,1769年にワットが蒸気機関を改良すると,これが水力にかわって,紡績機や力織機などの動力として利用され、生産の効率をさらに高めた。」

 ※佐藤次高・木村靖二・岸本美緒著『詳説世界史』(山川出版 2004年)P205−206

 下は、斜め上から見た写真です。

 正解は、抒(ひ)です。英語では、shuttle(シャトル)です。
 下の写真は、真ん中の糸が巻き付けてある部分を上に上げて撮影したものです。

 日本史でも世界史でも、産業の説明に関しては、政治史ほどには時間をかけることができず、授業ではついつい教科書の言葉だけを「解説」していくことになります。
 その「解説」も、「本当にわかる」といったものからはほど遠いのが実情です。

 かくいう私も、高校時代に、生糸・綿紡績・毛織物・飛び抒・織機などの用語は、受験のために「暗記」しましたが、紡績と織物の違いもわかりませんでしたし、ましてや抒やら「飛び抒」などというものは、何のことか全くわかりませんでした。
 すべて、教師になって自分で調べてわかりました。

 そういう授業の欠点を補うものの一つが、この現物教材の「抒」です。

 抒(または梭とも書く)は、布を織る際、緯糸(横糸)を通す道具です。
 織物(機織り)は、人間が古い時代から発明した技術ですが、交互に上下させた経糸(縦糸)の間に緯糸を通してつくっていきます。当たり前ですね。

 緯糸を左右に行ったり来たりさせるこの抒を、英語では、もともとshuttle といいました。
 したがって、同じく入ったり来たりする、バドミントンの羽は、shuttle−cock(cockは樽の栓)です。入ったり来たりする宇宙船は、space−shuttle です。
 
 脱線しますが、『古事記』には、スサノオノミコトが乱暴し、アマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れてしまう有名なくだりに、次の部分があります。

 天照大神が神聖な織物をあそばされる御殿で神様に奉る御衣を織らせていらっしゃったとき、その御殿の棟に大穴をあけて、毛色のまだらな馬の生皮をいまわしい方法で剥ぎとって、それをこの穴から投げ込まれたのです。このとき、はた織りにお仕えする女の人がこれを見て驚き、はた織機の紡錘でほと(女陰)をついて死にましたので、これをご覧になった天照大神は、ことの異常さにおそれを感じられ、天の岩屋戸を開いて、その中に入られ、閉じこもってしまわれました。

  ※太田善麿著『古事記物語』(社会思想社現代教養文庫 1971年)P38

 上の引用文の紡錘が、抒のことです。

 織機は、緯糸の上下も、抒を使って経糸を通す動作もすべて手作業でした。何千何百年の間。

 その一部を効率化したのが、教科書の記述にあるジョン・ケーの飛び抒です。
 1704年生まれのケーは、父親が経営する毛織物工場で、織機の研究をしていました。そして、1733年飛ぶ抒を発明したのです。
 
 これはどんな技術だったのでしょう。飛ぶ抒といっても、抒が空中を飛んでいくのではありません。
 普通の教科書や辞書のたぐいには、あまり詳しく書いてありませんので、外国のウェブサイトを翻訳して説明します。

 たとえば、緯糸を右から左へ送ることを想定してください。
 飛び抒以前の方法では、織り手が右手で抒を経糸の向こう側を通してそれをまた自分の左手で受け取って左側まで持っていくという方法でした。
 つまり、抒を手渡しするしか方法がなかったのです。
 この方法では、緯糸を通すのに時間がかかることはもちろん、織物の幅に限界が生じます。つまり、自分の手で抒を渡せる幅以上には織物の幅を広くできないのです。

 ジョン・ケーの技術革新は次の点です。

  1. まず、織機に抒を走らせる板を取り付けました。

  2. 次に、織機の両端に反対から来た抒が一度ストップしてまた反対へ向かうことができるような箱を取り付けました。

  3. さらに、抒にひもを付けて、そのひもを小さな滑車を使って織機の上部に回し、織り手が片手でひもを引っ張って抒を動かす仕組みを考案したのです。ひもを右側に引けばシャトルが右に、左に引けばシャトルが左にといった具合です。

 実物の絵がないとわかりづらいですね。
 普通の日本の教科書や図版には掲載されていませんが、ウェブサイトにはありました。
著作権上、ここへ複写することはできませんので、次のサイトへ飛んでいってください。
 ※spartacus schoolnet の Flying Shuttle の部分です。  
 
 ケーの飛び抒は、初めは毛織物に利用されていましたが、1760年代から綿織物に使用されるようになりました。綿布を織るスピードが速くなった結果、今度は、綿糸が不足し、上述の教科書にあるように、次には、紡績の機械化が進んでいくのです。

 ただし、この発明は、ケー自身には、幸福をもたらしませんでした。
 織物の能率が上がって職を追われた労働者の恨みを買い、1756年、ケーの家は労働者に襲われて破壊されました。彼は難を避けてフランスに逃れ、失意のうちに亡くなったということです。
 没年は、1774年とも76年とも言われています。
  ※『平凡社世界大百科事典』9巻(1972年)P2

「先生、今は、どうやって、緯糸を動かしているの?」
 生徒から素朴な疑問がでたとしましょう。
 過去のことを教えるのではなく、そのことの今がどうなっているかを教えるのも歴史の教師の重要なつとめです。

 現在は、緯糸の動かし方は大きく分けて二つになります。有抒織機と無抒織機です。後者はさらに4つに分類できます。概要は次のとおりです。

有抒織機

シャトルを使う伝統的な技術を使うもの

無抒織機

シャトルを使わない新しい技術

ウォータージェットルーム

ノズルら噴出する水で緯糸を運ぶ。抜群の高速性能を誇る。ただし水に弱い繊維には利用できない。

エアジェットルーム

ノズルから噴出する空気で緯糸を運ぶ。水に弱い繊維でも利用でき、汎用性が高い。

レピア織機

レピアとは「剣」のこと。細い金属を使って片側から中央まで緯糸を送り、反対から来た金属に受け渡す装置を使う。織り上がりがよく、高級織物に使われる。

グリッパー織機

10pほどの大きさのグリッパーと呼ばれる金属をいくつも回転させて、それに緯糸を運ばせる。シーツなど幅広のものを織るのに適する。


 ケーの時代から、270年、技術の進歩はすごいものです。
  ※これらの解説は、愛知県産業技術研究所尾張繊維技術センターに電話で確認しました。
    0586−45−7871 ウェブサイトはこちらです。
 
 写真の抒は、愛知県名古屋市にあるトヨタテクノミュージアム産業技術記念館で購入しました。
 この博物館は、繊維産業と自動車のことなら、いろいろな体験や実演が楽しめる博物館です。


産業技術記念館のウェブサイトはこちらです。

ミュージアムショップは、052−551−6259 です。
抒は、長さ30pほどの大型のもので、2004年5月現在1800円です。もちろん送料別です。
電話すれば、購入できます。

手芸用の手織り機が売られています。たとえば、ウェブサイトの楽天では、生活インテリア、手芸・クラフトの所で購入できます。
手織り機は最低でも、29800円ですが、シャトルは、890円です。
 楽天のサイトはこちらです


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