幕末〜明治維新期5
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<解説編>
 
610 この部屋の奥であった斬り合いとは?                          

 この家は、京都市中京区四条坊城南入ルにある、京都市史跡の八木邸です。

八木邸長屋門

 八木邸玄関 


 2004年は、NHK大河ドラマ「新選組」で有名になりましたから、ご覧の方はすぐにおわかりですね。この八木邸は、新選組の屯所となったところです。
 今もその当時の建物が現存し、八木家の御当主一家も、この同じ敷地内にお住まいになっておられます。

 
正解、1863(文久3)年9月18日深夜、この八木邸に宿営していた新選組の中で内紛が生じ、近藤勇・土方歳三ら後の新選組に主力が、水戸浪士芹沢鴨らの一派を襲撃し、殺戮した現場です。

 中学校よりは詳しく学習する高等学校の日本史とはいえ、さすがに、新選組(教科書の標記は「新撰組」の場合が多い)については、教科書にも多く記載されていません。


石井進ら著『詳説日本史』(山川出版2003年)には、P233に次のように記載されています。
「長州藩を中心とする尊攘派の動きに対して、薩摩・会津の両藩は同年8月18日、朝廷内の公武合体派の公家とともに朝廷の実権を奪って、長州藩勢力と急進派の公家三条実美らを京都から追放した(八月十八日の政変)。長州藩は勢力を回復するために、翌1864(元治元)年、池田屋事件を契機に京都に攻めのぼったが、薩摩・会津両藩の兵に敗れてしりぞいた(禁門の変、または蛤御門の変)。

 そして、その「池田屋事件」脚注として、次のように新選組の説明があります。
「1864(元治元)年、京都守護職の指揮下にあった近藤勇らの新選組の浪士が、尊攘派の志士を京都の旅館池田屋で殺傷した事件。」


 新選組は、近藤勇・芹沢鴨らが中心となって、会津藩主松平容保の了解を得て、「京都守護職会津中将様御預浪士」として誕生しました。1863年3月のことです。
 その後、芹沢一派と近藤一派の対立が表面化し、近藤一派によって芹沢一派が殺戮されたのが、9月18日です。

 この日、芹沢は、京都の花街島原から泥酔して帰り、部屋で待っていたお梅(大河ドラマでは鈴木京香が演じる)と同衾して寝入りました。
 かねてより芹沢派の謀殺をねらっていた近藤一派(この時の宿舎は、八木邸とは道を挟んだ東側の前川邸。この家は、土日のみ玄関を一般公開。)は、芹沢一派が寝入ったのを確認し、襲撃しました。
 
 芹沢は、沖田総司・土方歳三に斬りつけられ、縁側を通って隣の部屋に向かう途中、置かれていた文机に躓いて転んだところを、近藤勇によってとどめを刺されたということです。

 八木邸(拝観料1000円、抹茶お菓子付き)では、ボランティアの方の詳しい説明があり、芹沢が躓いた文机の現物(つまり、140年前のもの)や、近藤か沖田が付けたと言い伝えられる鴨居の刀傷が見学できます。
 邸内写真撮影禁止ということでしたので、ここでの掲載はできません。


 八木邸には、2004年5月の連休に訪問しましたが、写真のように、結構なにぎわいでした。
 壬生界隈には、このほかにも、壬生寺・光縁寺(山南敬助ら隊士の墓がある)などの、新選組関係の史跡でいっぱいです。

八木邸のすぐ南、壬生寺にある近藤勇の胸像。

壬生寺にある芹沢鴨の墓。

八木邸入口の茶店。拝観料金にはここでの抹茶・茶菓子等のサービスも含まれる。

八木邸から歩いて5分ほどの所にある光縁寺は、隊士の墓所。山南敬助の墓。


 新選組の詳細については、ここにで紹介するまでもなく、他の達人のサイトが数々ありますから、そちらをご覧ください。

 ここでは、2004年のNHK大河ドラマ『新選組』について、ちょっと私見を述べます。

 私の「新選組歴」(つまり、新選組に思いを入れた歴史という意味です。)は結構長く、高校生の時にTVドラマ『燃えよ剣』を見て以来です。同世代にはこのパターンは結構多く、俳優栗塚旭演じる土方歳三に魅力を感じた方も多いと思います。

 それ以来、たくさんの本を読み、また、そのゆかりの土地にもあちこち行きました。最も遠いところは、当然ながら、函館五稜郭です。

 さて、大河ドラマです。
 昨年今頃に、2004年の大河ドラマ『新選組』の制作発表があったとき、ずいぶん違和感を覚えました。
 近藤勇役の香取慎吾をはじめ、ずいぶんと若い役者さんによる新選組だったからです。NHKの意図は明白です。若者受けする俳優の抜擢による視聴率の挽回です。

 NHKの大河ドラマといえば、70年代や80年代は、年間視聴率が30%を越える作品が何本もでるという「超人気」ドラマ番組でした。

 ところが、1990年代以降はといえば、1996年度の「秀吉」(竹中直人主演)が30.5%であっただけで、あとは大当たりはでていません。
 それどころか、2000年「葵徳川3代」(18.5%)、2001年「北条時宗」(18.5%)と、2年続けて20%を切り、2002年は「利家とまつ・加賀百万石物語」で22.1%と回復したものの、2003年の「武蔵 MUSASHI」は、16.7%と惨敗でした。
 ※視聴率の数字は、ビデオ・リサーチ社のものです。

 視聴率低下の原因の一つは、紅白歌合戦などと同じく、視聴者の高齢化の進行、つまり、若者のNHK離れであると考えられます。
 そこで、脚本・演出の三谷幸喜氏をはじめ、番組関係者の熱い思いが、SMAPの香取慎吾以下、若手の有望劇団俳優を多数起用するという俳優の選択に現れたのでしょう。

 ところが、ところが、このねらいが破綻しつつあります。
 次のグラフは、「新選組」のこの4ヶ月間の視聴率の変化です。
 
 出だしはまずまずでしたが、どうも、明らかにじり貧状態です。
 なぜなのでしょう??

 私の両親の意見では、どうも俳優が若すぎてピンとこないということです。

 若者が見ているかどうか、私には把握できませんが、我が家では、3男Dを初め、大受けです。

 私も、高く評価しています。
 その理由は、次の表を見ていただければわかります。

隊士名

推定生年

新選組結成年の年齢

近藤 勇

1834

29

土方歳三

1835

28

沖田総司

1842

21

原田左之助

1840

24

永倉新八

1839

24

山南敬助

1833

30

井上源三郎

1829

34

藤堂兵助

1844

19



 新選組結成時の近藤勇らの実年齢は大変若く、
近藤グループの8人の平均年齢は26歳です。

 明治維新時に活躍した人物は総じてみんな若いのですが、新選組のメンバーにもそれがあてはまります。

 今まで、このことを知らなかったわけではないのですが、ある先入観から、今ひとつ認識できていませんでした。

 その原因は、それまでの小説や、ドラマ・映画にあります。
 これまでに見たり読んだりした小説や映画は、ほとんどの場合、近藤や土方を、初めから立派な大人として描いていました。
 みんな立派な大人の俳優が演じた新選組だったのです。

 今度のドラマが、大人でない俳優によって演じられているというのは言い過ぎかもしれませんが、俳優群の若さが、いかにも頼りない、それだけに多分より真実に近い、新選組青春グラフティーを描いているような気がします。

 そして、そのことと関係して、ドラマでは、彼らの新選組結成までの過程をとても長い時間を費やして描いています。
 本日5月2日放送分の17回目までで、やっと、新選組が発足した段階です。

 芹沢もまだ生きていますし、このままでは池田屋なんかいつのことかと言う感じです。
 (このドラマは、1年50回でどこまで描くのでしょうかね。)

 ちなみに、土方歳三の死ぬまでを描いた司馬遼太郎著『燃えよ剣』(新潮文庫)は上下巻で、894ページの大作ですが、その3分の1では、すでに池田屋事件も叙述されています。

 さて、このNHKや三谷幸喜氏の挑戦は、吉凶どちらとなるでしょうか。

 みなさんにとっては、いかがでしょうか。  

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