江戸時代8

<解説編>

 520 日本の貿易の輸出品について    | クイズ江戸時代の問題へ |   | 旅行記:出雲・石見へ |    

 日本の歴史上、外国との交易は古くから行われていますが、教科書に貿易という表現で登場するのは、平氏政権の日宋貿易からです。
 それ以来、江戸時代の清との貿易まで、各時代の貿易の輸出入品を並べると、日本からの輸出品には金属が多いことがわかります。以下に一覧表にしました。どの時代にどの金属が輸出品となったか、考えてください。




 正解は、1=金、2=銅、3=銀、4=鉄 です。
 ここでは、特に、安土桃山時代の南蛮貿易から、江戸時代初期の朱印船貿易、江戸時代の対清貿易前半の主要輸出品であった、銀に注目します。同時に、16世紀の銀産出の中心鉱山、
石見銀山について注目します。
 主たる解決課題は、なぜこの時代、日本の銀が大量に輸出されたかです。
 それには輸出する方とそれを輸入する方と、両方の理由がうまく噛み合って存在していました。



 日本史と世界史の教科書には、次のように記述されています。
 前近代における日本史と世界史の結びつきという点からは、非常に重要な事項です。



 16世紀から17世紀前半における日本の銀産出の主力だった石見銀山が、ユネスコの世界遺産に登録された理由の一つは、「16世紀後半及び17世紀前半の世界の交易活動と結びつき、東西文化の交流を促進させた」ことにあります。
  ※石見銀山については、旅行記:「出雲・石見旅行記5 石見銀山」を戦勝ください。こちらです。→



 日本史の教科書には、次のように記述されています。
 単に鉱山の技術にとどまらず、農業生産の発展にも寄与したことがポイントです。




 では、その二つの技術について、詳しく紹介します。


 その1 坑道掘削法

 まずは、採掘技術から説明します。
 
それまでの鉱山は、「露頭掘り」と「ひ押し掘り」によって採鉱が進められました。
 「
露頭掘り」は、地表に露出している鉱脈をほるもの、「ひ押し掘り」は、その鉱脈に沿って、地下へ向かって掘り進む方法です。これらの方法は、鉱脈を確実にとらえるという点では、最も効果的な方法です。
 しかし、「
露頭掘り」では、もともと採掘量は限られてしまいますし、また、「ひ押し掘り」は、地下に掘り進んで採掘量は増加するものの、やがて大きな困難に直面します。
 ひとつは、坑内にわき出てくる
水の処理ができないのです。上から下に向かって掘り下げられた坑内に水が湧いて出てくれば、水はどんどんたまっていきます。今なら動力ポンプを使って水をくみ出せば何とかなるでしょうが、この時代は人力と僅かな道具しかありませんでした。
 もうひとつは、採掘場所へ
新鮮な空気を送れないことです。有効な送風機がない時代には、二酸化炭素の濃度の増加による活動不能はいたしかたのなことでした。
 この、
湧水と換気不能の結果、いい鉱脈でも、比較的短時間で掘削不可能な状態になってしまいました。
 
 この大久保間歩は、横穴を掘って鉱脈に達する、いわゆる、「
坑道掘り」によって掘削された鉱山です。
 つまり、 
横穴の坑道を掘って鉱脈に行き着き、そこから鉱脈に沿って掘り進めるという方法の採掘技術です。この技術によって、本坑道と平行して、水抜き坑、換気坑などの整備が可能となり、基本的には大規模な鉱石採掘が可能となりました。
 この技術のポイントは、次の3点です。

 鉱脈の場所の推定と掘削してそこにたどり着く測量技術と測量士の存在が必要です。
 この技術を寸甫切(すんぽぎり)といい、測量士のことを寸甫(すんぽ、今の「寸法」です)と言います。築城や用水建設などの必要性と相俟って、戦国時代になって確立されてきた技術です。

 長い坑道の掘削には、掘削そのものを可能とする技術的なレベルが必要です。
 といっても、この時代には、重機もなければダイナマイトもありません。ひたすら人力によって岩石を掘り崩していくわけです。となると、能率よく掘削するには、手作業を支える鉄製の道具が必要です。
 堅い岩石を砕くための、
のみたがねとそれを打つ金槌、またはやや柔らかい岩石を掘削するつるはし、そして、切り取った岩石を選鉱する前に、鉱石をより細かく砕くげんのう、などなど。
 つまり、鉱山で働くばく大な鉱山人夫が使用する数多くの
鉄製道具が供給されなければ、鉱山の掘削はできないわけです。
 これを支えたのが、15世紀から進んだ、砂鉄採取の効率化と製鉄技術の発達でした。金銀山掘削の技術は、それより先行した製鉄技術の発達を背景としてなされたものでした。 

 

 坑内照明、通風、排水方法の確立されていなければなりません。
 深い坑道には照明設備が必要ですし、当時の照明はろうそくにしろ油にしろ生じる二酸化炭素等を除去するには、通風設備が必要でした。通風は、防塵対策という点からも必要でした。
 通風には、大きな鞴(ふいご)のような通風装置が使われていました。
 また、基本的には横穴坑道とはいえ、部分的には、湧水に対する排水対策も必要でした。
 排水装置としては、樋(ひ)と桶(おけ)を使う方式、釣瓶を使う方式、螺旋軸を使う方式などが広がっていきました。
  ※掘削・排水の螺旋軸は、佐渡の金山で撮影したものがあります。こちらです。
      →旅行記:「産業遺跡訪問記 新潟佐渡・群馬富岡旅行2」 
 

永原慶二・山口啓二編『講座・日本技術の社会史 第5巻 採鉱と冶金』(日本評論社 1983年)所収
 山口啓二著「金銀山の技術と社会」P154−55 佐々木潤之介著「銅山の経営と技術」 


 写真08−01 石見銀山の龍源寺間歩  (撮影日 03/11/27)
 のみやタガネ、金槌などを使って手ぼりで掘られた坑道です。
 

 この写真は、島根県教育委員会・太田市教育委員会の作成によるHP「世界遺産石見銀山遺跡」にある「写真ダウンロードのページ」から複写・転載したものです。
 これらの写真の著作権は島根県教育委員会・太田市教育員委員会にあります。利用の際は、以下のページを確認してください。
島根県教育委員会・太田市教育委員会編「世界遺産石見銀山遺跡」
Topページ http://ginzan.city.ohda.lg.jp/index.php
写真ダウンロードページ http://ginzan.city.ohda.lg.jp/index.php?action_post_photo_list=true


  石見銀山の技術は、後に佐渡金山に伝わりました。以下の写真は、佐渡の金山の内部の様子です。人形のディスプレイがたくみです。

 写真08−02 のみと金槌で坑道を掘る様子です。                 (撮影日 08/08/09)  


 写真08−03          (撮影日 08/08/09)  

  写真08−04        (撮影日 08/08/09)  

左:排水装置、つまり坑道の下部から水をくみ上げる装置です。
右:真剣なまなざしのおじさんです。排水機の筒の中には、内径にぴったりの螺旋状のくるくる回る装置が入っていて、取っ手を回すと、その回転作用によって、水が螺旋を上がってくる仕組みとなっています。 


 その2 精錬方法 灰吹法

 続いて、精錬方法を説明します。

 細かく言うと、鉱石は、採鉱、選鉱、製錬、精錬の4つの過程をへて求める金属が取り出されます。
 「採鉱」は、鉱床から金属を含む鉱石を掘り出す作業、「選鉱」は金属を含む部分だけを選び出す作業。
 「製錬」は、選鉱によって得た鉱石の金属を豊富に含んだ部分を溶かして、金属だけを分離さえる作業、
 「精錬」は、「製錬」によって得られた粗金属を溶かして不純物を除き、目的とする金属の純度を高める作業。

 村上隆著『金・銀・銅の日本史』(岩波新書 2007年) P6−7

 1526年に石見銀山の採掘が開始された当時は、日本には有効な製錬・精錬技術が無く、開発者の神屋寿禎は、銀鉱石をわざわざ技術の進んだ朝鮮に運んで、そこで精錬する手間をかけて、銀鉱を銀に変えていました。
 ところが、1533年には朝鮮の技法を身につけた宗丹と桂寿の二人が博多から招かれ、彼らの指導によって新しい製錬・精錬方法が石見銀山で行われ、製錬・精錬の能率化が実現されました。
 その製錬・精錬技術を、
灰吹法(はいふきほう)といいます。
 次の工程です。



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 写真08−05 貴鉛 (撮影日 10/08/01)

 写真08−06 灰吹銀 (撮影日 10/08/01)

 上の03説明に記述されている、左=貴鉛(銀と鉛の化合物、銀が15%・鉛が85%)と、右=灰吹銀
 いずれも、石見銀山世界遺産センター主催の大久保間歩探検ツアーのボランティア・ガイドのKさんの説明用の実物です。とてもよくわかる丁寧な案内をしていただき、ありがとうございました。

 

 まとめです。
 教科書レベルでは、そこまで書いてありませんが、この
灰吹法は、1543年に佐渡に伝えられ、また後には、但馬生野の銀山に伝播しました。
 また、秋田の院内銀山の記録には、石見、岩見、または出雲を姓とする鉱山人夫が複数見られ、石見銀山からの流入者と思われる。
   ※渡部和男著『院内銀山史』(無明舎出版 2009年)P29−30
 石見銀山は、
坑道掘りという新しい掘削法と、灰吹法という新しい精錬法によって、画期的な銀産出量を実現し、16世紀後半から17世紀前半の日本の鉱山の中心となりました。
   ※石見銀山については、旅行記:「出雲・石見旅行記5 石見銀山」を戦勝ください。こちらです。→