この木の札は、石川県の県庁所在地金沢市の北に隣接する津幡(つばた)町の加茂遺跡の大溝(おおみぞ、古代からある巨大な溝)から、2000年6月に発見されました。ヒノキ製のこの札には平安時代の嘉祥年間(848年〜851年)の年号が刻まれており、その時代にこの地の路傍に掲げられたものでした。
郡の役人が民衆のために掲げたものでしたから、と名付けられました。「かがぐんぼうじさつ」です。
※ |
この名前は 本文の中に使われている文字表現を使用して名付けられたのですが、これが困ったネーミングとなりました。4つ目の「 ぼう」という字が、傍でも榜でもなく、「片」偏であるため、通常のワープロにはないのです。このため、インターネット上では普通には表現できず、文字を合成して画像として掲げることになりました。 |
|
この札は、出土時は上辺下辺が腐食によりかけており、横61.3cm縦23.3cm厚さ1.7cmの大きさでしたが、作られた当時は、古代の紙のサイズである横2尺・縦1尺の大きさであったと推定されています。
掲げられた当時は、墨書きで359文字が書かれていたと思われますが、現在は、349文字が確認されています。
もちろん、1150年も前に書かれ、しかもいつからか溝に水没していた木の札の表面に墨書文字がはっきり残っているわけではありません。ほんの一部を除いてでは、墨は失われています。それではなぜ文字が判読できたのでしょうか?
それは、通常の木の表面が風化して削れているのに対して、文字が書かれた部分は、墨の防腐作用が幸いして風化を免れ、字画部分が周囲より盛り上がっていたからです。つまり、その盛り上がり部分をたどって文字が判読できたわけです。
朽ちて欠けていた部分の文字の推定も含めて、全359文字を復元したものが、以下のものです。
|