国際政治の諸相5
<解説編>
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305 民主党大統領候補が南部の支持を得るために認めたことは?        

 このクイズをご覧になる前に、次のページを先にご覧ください。
  ※世界史クイズ「民主党が南部諸州の支持を失った理由は?」
  ※現物教材「南部連合旗」
    

 上に示したページをご覧になると、自ずと、民主党候補が何を認めたかがおわかりいただけたと思います。

 正解は、南軍旗(サザンクロス)を容認する発言をした、です。
 
○発言の状況
 次のアメリカ大統領選挙は、来年2004年の11月です。現時点では、共和党は現職現職ブッシュ氏の再出馬となるでしょうし、民主党は、政権を奪い返すべく、候補者の絞り込み中です。
 民主党の候補者は、現在9名いて、来年度の予備選挙・候補者指名へ向けて、活動が始まったところです。そのうちのひとつとして、2003年11月16日には、アイオワ州デモインで選挙資金集めの民主党集会が開催されました。
 ※『朝日新聞』(2003年11月17日朝刊)
 
 もっとも、この時は、当初出馬の噂があったにもかかわらず次の大統領選には出馬しないと宣言したヒラリー・クリントン(もちろんクリントン前大統領の夫人)氏が、集会の司会として登場し、おかげで、最も安い40ドルのバルコニー席から、5000ドルの特等席まで、8000枚のチケットがあっという間に完売となり、それで、日本の新聞紙上にも掲載されました。

 さて本題に戻ります。
 9人の候補のうちのひとりで、現在では最有力候補の前バーモント州知事ディーン氏が、南軍旗を容認する発言をしたのです。
 彼は、地方紙のインタビューに答えて、
「南軍旗を小型トラックに掲げているような連中のための候補者になりたい」と発言しました。
 ※『朝日新聞』(2003年11月15日朝刊)

○意図と問題点
 これまで、上記の1・2のページで説明してきたように、民主党はケネディ・ジョンソン政権の公民権法制定以来、南部白人層の支持を失っており、南部軍旗を認めることによって、逆に南部白人層の支持を取り戻そうと言う意図からの発言です。
 しかし、これには、大きな問題があります。
 南部軍旗は、南部住民にとっては、日常的には、南北戦争を忍び祖先の伝統を受け継ぐ象徴と言う位置づけになるでしょう。
 しかし、政治的には、南軍旗は人種差別・白人優越主義の象徴です。
 南軍旗を認めることは、これを認めることに他なりません。

○南軍旗の歴史
 ここでちょっと、南軍旗を巡る歴史について説明します。
 もちろん、南軍旗は南北戦争の時に使われた旗ですが、南北戦争の終結=南部にとって敗戦直後は、北部の強い政治的影響下に入ったこともあって、しばらくは忘れ去れれたそんざいとなりました。
 
 南部軍旗が再び南部社会で重視されるのは、戦争から20年以上も経た1890年代になってからでした。
 「この時期は、敗戦や占領、喪失感、復興の遅れや北部
ミシシッピ州の州旗、1894年2月7日制定。現在では、州旗のうちで、南軍旗のデザインを取り入れているただ一つの旗である。
資本への従属という経験を経て、南部人は「南部人」になったとされる。南部の「誇り」が語られ、戦争前の南部を「古き良き時代」として美化する傾向が広まったのである。」
 ※明石紀雄監修『21世紀のアメリカ社会をするための67章』(明石書店2002年)P129

 この時代には、南軍旗のサザンクロスをそのまま取り入れたミシシッピ州旗や、南軍旗の構成要素を取り入れたアラバマやフロリダの州旗が採用されたのです。

 さらに、もう一度、南軍旗の意味が重要となった時代がありました。1950年代から1960年代に掛けてです。これには二つの理由があります。
 ひとつは、1950年代に入って、黒人に対する実質的差別の撤廃を求める公民権運動が本格化し、南部の政治的分裂が深まったことにより、白人層の「伝統」を示す象徴として、南軍旗はより強く意識されるようになりました。るものです。
 もうひとつは、南北戦争からちょうど100周年の時期に当たり、記念事業の開催も含めて、南部の過去に対する郷愁が高まったことによるものです。
 この時期、ジョージア州は、1956年に州旗を南軍旗を含んだデザインに変更し、また、1962年のサウスカロライナ州皮切りにして、南部各州の州の議事堂のてっぺんなどに南軍旗が翻るようになったのです。

○南軍旗への反発
 ところが、こうした南部白人の南軍旗へ思いとは反対に、南軍旗に対する黒人の反発も強く、辛抱強い抵抗が続きました。
 全国黒人向上協会(NAACP)など公民権運動団体は、南軍旗を奴隷制や人種差別の象徴として、その掲揚や、公に容認することに対して反発を唱えて続けたのです。 
 この結果、南軍旗は、しだいに公のものとしては、次第にその姿を消していきました。

 2000年7月1日、サウスカロライナ州の議会議事堂のドームの上に国旗・州旗と並んで翻っていた南軍旗が、38年ぶりに撤去されました。これで、州議事堂の上に南軍旗を掲げる州は一つもなくなりました。
 また、ジョージア州では、南軍旗のデザインを取り入れた州旗への反発が続けられ、2001年1月30日には、州旗の変更がなされました。
 この時は、州上院では、変更賛成33・反対23、州下院では、変更賛成91・反対86と、いずれも僅差の可決でした。
  ※『朝日新聞』(2003年11月15日朝刊土曜版Be「明日は明日の風が吹く」)

 この時の変更では、まだ一部に南軍旗のデザインは残っていましたが、2003年5月8日の再度の変更で、全く姿を消しました。

ジョージア州旗の変遷
  1956〜2001 2001〜2003  2003〜
 ※アメリカの州旗については、アメリカのウェブサイト「50states.com」参照

 このような、南軍旗を巡る動きは、ミシシッピ州においても、問題となりました。

 2001年4月17日、ミシシッピ州で、州旗のデザインをサザンクロスがない新しいものに換える提案に対する州民投票がおこなわれました。
 あにはからんや、結果は、No でした。
 知事をはじめとす行政側は、全米の中で最も平均所得が低い同州の活性化につながると言う謳い文句で新しい州旗を提案しました。しかし、投票の結果は、65%が州旗変更反対に投票し、結局、上に掲げた、1894年2月7日制定の州旗は、このあとも存続することになりました。

○民主党の態度
 話を民主党のディーン候補に戻します。
 ディーン候補のこの発言は、民主党内に波紋を投げかけています。

 ニューディール連合以来の伝統を守る主流派は、もちろん反対です。南軍旗を認めることは、黒人の支持を失うことになってしまうからです。

 しかし、南部諸州では黒人は少数派です。
 選挙に勝つためには、伝統的な政策を改めるべきだという意見もあり、民主党は揺れています。
 さて、この結末はいかに?

 以下、関連する項目があります。ご覧ください。
  ※世界史クイズ「アメリカでその誕生日が国の祝日となっている大統領は?」
  ※世界史クイズ「民主党が南部諸州の支持を失った理由は?」  
  ※現物教材「南部連合旗」
  ※現物教材「ケネディ暗殺時の大統領専用オープンカー・リンカーンの模型 輸入版」
 

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