何故人類は水辺で誕生したと考える方が合理的なのか、「サバンナ」的発想とは異なるその考え方のいくつかを紹介します。
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サバンナ説では、乾燥した平原で獲物や敵を見つけるために直立二足歩行が生まれたと考えました。しかし、直立二足歩行は、ただ物を見るだけなら有利ですが、速く走る(追いかける・逃げる)という点では全く不利です。この点で、説得力のある説明にはなっていません。
アクア説では、敵から逃れるため水中(海中)に入り、できるだけ水深が深いところに身を潜めるため直立二足歩行したと考えます。ヒョウやライオンなどサバンナのどう猛なネコ科の肉食獣は、今も昔も水中が嫌いです。水の中は、弱々しい人類にとって安全な逃げ場でした。
この説明には、大事な注釈が必要です。
直立二足歩行と四足歩行とを比較する場合、今の現在の人類の完成された直立二足歩行をイメージしてはいけません。最初に祖先が立った時は、膝もまだまっすぐではない、不完全な二足歩行で、動物としての運動性能はお世辞にも高くはなかったと考えられます。
ここで、「進化」ということを考える場合、陥りやすい誤りがあります。
「将来その方向に進化すればきっと素晴らしいことが起こる。」という要因は、進化の要因には成り得ないということです。「これを目的論の落とし穴」と表現します。
たとえば、将来手を使っていろいろな武器を使えそうだから二足歩行に移ったというのがその典型的な例です。実際には、手を使用することによって確実な成果が上がる何かがない限り、歩くことに使用することをやめて、他のことに使用するといった進化は起きないのです。
したがって、直立二足歩行を促した要因は、それによってすぐさま利益につながるものでなくてはなりません。 人間には体毛がほとんどありません。
これは、サバンナ説では、サバンナの灼熱の太陽の厚さを緩和するため、体毛を失ったと説明されています。しかし、一方で人類は類人猿と比べると異常なほど皮下脂肪が多い動物です。皮下脂肪が厚い理由は、もちろん、体温の維持です。そうだとすると体毛を失ったことと、皮下脂肪の厚いことは全く矛盾することです。サバンナ説では、この矛盾はうまく説明できていません。
アクア説では明解です。
水での生活に適応したほ乳類は、ほとんど体毛を失っています。水の中では体毛がある方が動きにくくて不便だからです。一方で、体温を維持する仕組みとして皮下脂肪を発達させたと考えます。
汗についてはどうでしょうか。
人間は多くの類人猿たちとは違って、大量に汗をかく動物です。またその逆に、犬などのように、はあはあ喘いで体温を調節することはしません。(激しい運動をした場合は別)
サバンナ説では、サバンナという暑い気候条件のもとで体温を調節する機能として獲得したと説明してきました。しかし、これだと、あまり水分の多くないサバンナという自然条件の中で、汗と塩分を大量に排出してしまうと言うことはあまり懸命でないことと言う指摘にうまい説明ができません。
アクア説は反対の発想を取ります。
まず水の中で体毛を失い、体温調節もさほど問題ではなかったため喘ぐことも失ってしまった人類が、海から上がって再び陸上で暮らし始めた時、体温調節の方法として発汗という作用を用いたと考えます。サバンナ説とアクア説とでは、汗と体毛との因果関係が逆になります。
しゃべるということについてはどうでしょうか。 サバンナ説では、立つことによって喉頭が後退し、そこに空いた空洞を利用して複雑な言語をしゃべることができるようになったという説明をします。その場合、何故喉頭が後退したかは、あまりうまい説明はできていません。
アクア説では、まず、しゃべると言うことができる要因について考えます。
発音ができる空洞が存在していること、声帯を細かく震わせたり、舌を細かく動かせる筋肉が発達していること。実は私もアクア説を理解する前までは、以上のようなことが言葉を複雑に話すことができる要因と考えていました。
ところが、もっと大きな要因が存在したのです。
それは、「息を自由に吐いたり止めたりできる」ということです。
皆さんはこれに気が付いていましたか?
人間以外に陸上の動物にとっては、呼吸を自由に調節することは普通はできないことです。私たちが心臓の拍動を自分の意志で調節できないと同じように、犬やネコは、自分の呼吸、つまり吐く息を自由には調節できないのです。ところが、水生のほ乳類、イルカやクジラなどは、潜る深さだとかの予測に従って、吸い込み息の量を変え、呼吸を自分の意志で調節します。
アクア説では、言葉を話すことの基本であるこの能力を人間が獲得できたのは、水生生活の結果であると説明します。
同時に、喉頭の後退も、空気を口腔内にたくさんためる必要からという説明が可能となります。
余談ですが、たくさんの犬によるワンワンの鳴き声の高低による合唱隊というのはTVで見たことがありますが、「犬の独唱」はあり得ないわけです。
モーガンの主張するアクア説について、その主張の根幹の部分の一部を説明しました。なかなか面白いとは思いませんか?
モーガンの主張に耳を傾けたくなる理由は、上記のような、「目から鱗の発想」の故ばかりではありません。彼女は主張は、極めて冷静かつ客観的で、自分の意見を無理にでも押し通そうというものとは、全く反対の立場であるからです。
「サバンナ」的発想と「アクア」説、あなたはどちらに魅力を感じますか。
※モーガンの著書の邦訳本をまとめて紹介します。いずれも訳者は望月弘子氏、出版社はどうぶつ社です。
赤字は原著の出版年です。
@『女の由来 もう一つの人類進化論』(1997年 1972年)
A『人は海辺で進化した 人類進化の新理論』(1998年 1982年)
B『子宮中のエイリアン 母と子の関係はどう進化してきたか』(1998年 1994年)
C『進化の傷あと 身体が語る人類の起源』(1999年 1990年)
D『人類の起源論争』(1999年 1999年)
次は、モーガンの説明の、「もっと面白い部分」について説明します。
次回までの宿題です。あなたは、
鼻の下の溝について考えたことはありますか。これは、人類以外、他のいかなるほ乳類にも存在していないものです。何のためにあると思います。?
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