「生麦事件現場付近の当時の東海道」
高校の日本史の教科書や資料集によく登場する写真です。
同じ場所で、撮られた写真がもう一枚有ります。上の写真の右手の畑の中から街道を写したもので、上の写真とは違って街道上に人間が3人写っているものです。
この2つの写真は横浜にいたイギリス人フェリックス・ベアト(イタリア生まれでのちイギリス国籍取得)の撮影によるものです。
この二つの写真については、引用書・掲載書によっては、そのものずばり「生麦事件現場写真」とされている場合もありますが、実は、この写真の正確な撮影月日と正確な撮影場所は把握されていません。確かなことから言えば、「幕末の東海道の生麦事件の現場付近の写真」という説明になります。
この写真の撮影者ベアトは、クリミヤ戦争やインドのセポイの乱、中国の阿片戦争など、イギリスの植民地で今でいう報道写真を撮っていましたが、日本に来て横浜居留地に写真館を開きました。
横浜は当時日本最大の貿易港として多くの外国人が居留していました。江の島、鎌倉、金沢八景などの名所には多くの外国人が訪れ、また東海道を馬で散策する外国人も多かったのです。ベアトは、こうした外国人たちの帰国の際の日本土産として日本の風景や風俗を写した写真を販売する商売を始め、成功しました。
100枚組のセット200ドル、50枚組のハーフセット100ドル、1枚は2ドルという価格の記録も残っています。上の写真1枚は、2ドルだったわけです。
ただし、ベアトの来日は、1863(文久3)年春頃と推定されており、少なくとも上の写真は、事件の翌年以降の撮影ということになります。
また、彼は写真にタイトル、注釈や解説を記述しています。
上の写真に関しては、「View of the Tokaido, the spot where Mr. Richardson
was murdered」というタイトルがあり、解説には次のように記されています。
「ここを通ると我々外国人は、だれもみな人生の全盛期の年齢で殺された、この若い紳士の不幸な運命に同情を禁じ得ない。リチャードソン氏は東洋に長く滞在し、英国へ帰る直前のことであった。」
このタイトルと解説からすれば、写真の場所は、B地点であると思われます。
※ |
以上ベアトに関しては、次の資料を参考にしました。
横浜開港資料館編集『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料普及協会 1987年)P4、69、175〜181
|
|