<普通の教科書にはない太平洋戦争に関する知識 その6>
アメリカ軍は、漂流している日本軍乗組員を容赦なく銃撃する一方で、自国のパイロットの救助にはとても熱心でした。
B29爆撃機の本土空主に関しては、東京上空など空襲して被弾し、帰路、マリアナ諸島に戻る途中で海上に不時着する機に対して、潜水艦と救助飛行艇による緻密な救難体制がしかれていたことは有名です。
実は、大和攻撃の空母艦上機に対しても、ちゃんと救助体制が敷かれていました。
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「 暫くして、漂流者の周囲を2機のマーチン飛行艇が旋回しはじめた。
そのうち1機は土屋の浮かぶ5、6メートル前方に着水し、3名のアメリカ軍飛行士を拾い上げて舞い上がった。原艦長(引用者注 漂流している矢矧艦長)は、眼前にみせられた米軍機の早業にただあっけにとられて言葉もでなかったが、「米海軍が、艦よりも飛行機よりも、たった一人の搭乗員の生命を大切にする伝統的精神を」、羨ましく感じた。 |
これを読んで、矢矧艦長と同様の感想を抱くとともに、さらに二つの点に疑問がわきます。
周囲には、日本の駆逐艦もいたはずです。飛行艇は飛んでいれば、簡単には撃墜できませんが、着水してしまえば、駆逐艦の大砲でねらわれます。どうやって危険を回避したのでしょうか?
大和や矢矧の乗組員が浮かんでいて、アメリカ軍機の銃撃も行われている海面で、どうやってアメリカ機の墜落パイロットを見つけて引き上げることができたのでしょうか?
1の答えです。
実は、2機の飛行艇のうち、1機が日本の駆逐艦の注意を引きつけ、もう1機がその隙をねらって海上に着水し、アメリカ兵を救助したのでした。
2の答えはもっと巧妙でした。
この時矢矧の艦長の目の前で救助されたのは、アメリカ側を取材した記録では、空母ベローウッドのアベンジャー雷撃機のパイロット、ウィリアム・デラニー大尉と判明しています。
彼の雷撃機は戦艦大和攻撃中に被弾し、機体は炎上しました。乗員3名はパラシュートで脱出し、13:00頃に、海面に着水しました。
以下の文章は、それから以後の経過の説明をしたものです。
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「 ウィリアム・デラニー大尉はまだ生きていて、日本艦隊のまっただ中で浮いている。結婚記念日のことを考えるのは、もう止めてしまった。このなりゆきでは、妻はまもなく未亡人になるだろう。彼は黄色い救命浮舟の横につかまり、敵の駆逐艦が高速で通過するたびに、そっとからだを水中に隠した。しかし日本軍は彼を無視した。ほかに心配しなければならないことがたくさんあるのだ。彼は航空機がときどき戦艦を攻撃するのを見ることができた。これだけ距離があっても、爆弾の爆発による衝撃を海中で感じる。南西約5マイルにある大和は、彼には動いていないように思えた。
浮舟(引用者注 パイロット用の小型救命ボート)の周りにオレンジ色の染料が大きくひろがっていく。デラニーはそれがどこから来たのか、さっぱり分からなかった。染料入れは二包みともとってある。多分墜落したとき、他の機がマーカーを投下したのだろう。彼は1400から1415の間に日本の軍艦がすさまじい大爆発を起こしたのを目撃した。
「前檣楼からと思われるが、巨大なオレンジ色の火の玉が上がった。その後その艦影を見ることはなかった」
彼は駆逐艦の最期を見たと思ったのだが、実際には矢矧の最期だった。10分後に一機のヘルダイバー(引用者注 アメリカの急降下爆撃機)が彼を発見した。」 |
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ラッセル・スパー著左近充尚敏訳『戦艦大和の運命 英国人ジャーナリストが見た日本海軍』(新潮社 1987年)P297
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これによれば、アメリカ軍パイロットは、自分がパラシュートで着水した場合、特別なオレンジ色の染料の入った容器を2個ずつもっていて、その染料を海面に広げることによって、救助する飛行艇から発見されやすくするということのようです。
よく考えられた方法です。
アメリカ軍の自国の兵員に対する人命重視の発想は、徹底していました。これに関しては、立派なものです。 |