<石油に関する普通の教科書にはない知識 その1>
戦前も現在も、日本国内からはほとんど石油がとれず、消費量の大部分を輸入に頼っていることは変わりありません。
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日本国内では、新潟・秋田・北海道で原油が採掘されていますが、その産油量は、現在では、年間70万キロリットルを上回る程度で、国内の総消費量の0.3%程度でしかありません。
逆に言えば、消費する原油の99.7%にあたる、2億5,460万キロリットルが輸入されています。
1938年の日本の内地産油量は年間36万キロリットルであり、当時のそのほかの原料から製造されたものと合わせても、国内の総消費量500万キロリットルの10%程度しか自給することができず、90%程度を輸入に頼っていました。
ここで注目すべきは、現在と戦争直前との石油消費量の違いです。
現在では原油に換算して1日約70万キロリットル分を消費するのに対して、戦前は、1日1万3500キロリットルほどしか消費しませんでした。現在の約52分の1です。今の石油付けの生活とはずいぶん違っていることが分かります。ただその分だけ、全体の中で軍需用の比率が高くなっていることはいうまでもありません。
表1 現在と戦前の原油の国内生産・消費・輸入割合
戦前(1940年) |
比較項目 |
現在(2003年) |
約36万キロリットル程度 |
年間国内原油生産量 |
約70万キロリットル |
500万キロリットル程度 |
年間国内原油消費量 |
約2億5500万キロリットル |
90% |
海外依存率 |
99.7% |
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戦前の日本国内の石油生産は、現在も行われている、新潟県・秋田県の他に、北海道石狩地方でも行われていました。 |
戦前は現在と違って、南樺太、朝鮮半島、中国のリャオトン半島、台湾を領土とし、満州国を事実上の属国としていました。現在よりは、はるかに広い領土だったのですが、上記の海外領土からも、大量の石油は産出されていませんでした。
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現在の中国東北地方には、かの有名な大慶油田があります。
2005年には、原油生産量が約4495万トン(約5000万キロリットル)、天然ガスが約24億4295万立方メートルという大規模な油田です。これが満州国の時代に開発されていたら、日本の進路(外交)も、変わったに違いありません。 |
現在と戦前とでは、大きく異なっていることが一つあります。日本の石油輸入相手国が異なるのです。
次図は、お馴染みの、現在の日本の原油輸入相手国です。
最近では、サウジアラビアに変わって、アラブ首長国連邦(UAE)が輸入相手国の第1位ですが、まあ、それでも「原油は中東諸国から来る」という常識は変わってはいません。
ところが、戦前の輸入相手国はこれとはまったく違っていました。
なんと、ライバルのアメリカが85〜86%を占めるという状態でした。
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戦前の日本は、石油精製設備は今日のように発達しておらず、アメリカからの輸入は、原油だけではなく、ガソリンなどの石油製品も含まれていました。そのため、うえのグラフは、「原油輸入」ではなく、「石油輸入」となっています。 |
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1937年7月の日中戦争の開始以来、政府は「ガソリンの一滴は血の一滴」などのキャンペーンを行っており、民間消費分が抑制された結果、輸入総量は減少しています。しかし、対米依存率は、一貫して85%〜86%です。 |
よりにもよって何でライバルのアメリカから石油を輸入しているのかと思われるかもしれません。しかし、これも、当時の世界の原油産出の状況を見れば納得できます。
現在と違って、中東地方での大量の原油採掘は行われておらず、アメリカ1国が、世界の56.2%の生産量を誇っていたのです。20世紀前半の時点では、自動車にしろ、電気にしろ、アメリカ社会を中心とする一部国家のみが石油の恩恵にあずかっていた状態だったのです。
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<用語解説> |
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原油の計量単位 |
1バレル=158.987294928リットル≒159リットル
原油の比重は、特軽質原油の0.8017未満から軽質原油の0.8107− 0.829、中質原油の0.830−0.903、重質原油の0.904−0.965、特重質原油の0.965以上と様々であり、重量と換算する場合は、平均的に、1キロリットル=0.9トンで換算すると、概ね一致します。
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