西濃鉄道石灰石専用列車と
大垣赤坂金生山10
 通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。
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 美濃赤坂駅3 出発  09/03/15作製

 乙女坂駅から5分の旅をしてきたDD(もしくはDE)機関車牽引の矢橋ホキは、美濃赤坂駅で牽引役を電気機関車EF65に代わってもらって、JR線に入ります。
 ここでは、美濃赤坂駅1・2と西濃鉄道1・2・3で話し忘れた、「美濃赤坂駅」についてのエピソードをくっつけてお話しし、さらに、機関車付け替えと出発風景を説明します。 


 写真10−01   乙女坂に行っている矢橋ホキを待つJR東海のEF65電気機関車   (撮影日 08/12/27)

 1日に3回、矢橋ホキが乙女坂駅に積載にいっている間、合計6時間ほど、EF65は単機でこの位置で待っています。がらんとした広い駅構内に、EF65がぽつんと佇んでいます。

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 西濃鉄道本社と喫茶店

  まずは西濃鉄道の本社社屋です。というとどんなビルディングなのかというと、そうではありません。


 下の写真は、金生山から撮影した美濃赤坂駅です。
 真ん中の斜めの長い屋根は、駅中央のホーム上にある貨物集積のためのものです。今はトラックで運ぶ荷物の集積場となっています。右手にDE10501号機が待機しています。
 中央やや下の横長の黒い屋根がJR美濃赤坂駅の駅舎
@です。その駅舎の下の小さい緑色の看板が西濃鉄道直営の喫茶店Bです。また、駅舎の右の白い壁の工場(大日本制帽)の手前が、西濃鉄道の本社Aです。

 ※写真をクリックすると解説写真が現れます。

 写真10−02   金生山から撮影した美濃赤坂駅                (撮影日 08/12/23)

 写真10−03 駅前広場(撮影日 08/07/05)

 写真10−04 西濃鉄道社屋(撮影日 08/07/05)

 左:美濃赤坂駅駅舎の軒下から見た駅の北側広場です。自転車置き場の向こうに本社社屋があります。
 右:本社社屋


 写真10−05 本社玄関(撮影日 08/07/05)

 写真10−06 西鉄サロン(撮影日 08/07/05)

 左:西濃鉄道本社正面玄関です。
 右:駅敷地内にある本社直営の喫茶店「西鉄サロン」の看板です。西濃鉄道を略して「西鉄」です。


 写真10−07 西鉄サロン(撮影日 08/07/05)

 写真10−08 西鉄サロン(撮影日 08/07/05)

 本社社屋横から撮影した西鉄サロンの全景です。ママさんは、現役バレーボーラーです。ちょっと年齢はいっておられますがとてもお元気です。

 店内には、昭和40年代まで西濃鉄道で使われていたSLの写真が飾られています。元社員の方の撮影によるものということです。

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 機関区・検車区・保線区

 小さいながらも鉄道会社ですから、西濃鉄道には機関区や検車区・保線区があります。 


 写真10−09   西濃鉄道機関区                       (撮影日 08/05/25)

 JR美濃赤坂線本線のすぐ西隣に機関区・検車区があります。写真手前のポイントは、JR美濃赤坂線本線と廃線となった旧昼飯線との分岐点です。ずっと曲がっていけば昼飯駅に至ります。そこから分岐して、機関区・検車区に入ります。 


 写真10−10   西濃鉄道の機関区・検車区           (美濃赤坂A積 撮影日 09/02/28)

 美濃赤坂駅の西側にあるお勝山の中腹から西濃鉄道の機関区・検車区を臨んだ写真。
 手前を斜めに走るのは廃線となった旧昼飯線。駅構内にはEF65機関車につながれた矢橋ホキ2番列車がまもなくの出発を待っています。
 この場所からの撮影は、夏場は草が繁茂して不可能でしたが、冬になってようやくできました。地平線の左端に遠く見える山は岐阜市の金華山です。


 写真10−11   機関区の中のDD機関車                  (撮影日 08/07/05)

 西濃鉄道はディーゼル機関車を3台保有しています。DD402号(1969年製)、DD403号(1972年製)、DE10501号(1969年製)です。DD40のうち、正面から見て白色・赤色に塗り分けてあるのは、DD402号機です。403号機は、黄色と黒色に塗り分けてあります。


 写真10−12   機関区内のDE10501号                   (撮影日 09/02/28)

 こちらはDE10501号機です。もともと国鉄時代はDE10148号として活躍していました。1990年に国鉄清算事業団から西濃鉄道に譲渡されてきました。 


 写真10−13    機関区・検車区の外にあるDE型機関車            (撮影日 09/02/28)

 機関区・検車区の西側にはもう一つ引き込み線があって、そこには、DE10132号機が置かれています。この機関車は、1969(昭和44)年に日本車輌で製造され、国鉄米子機関区に配属されました。その後稲沢機関区を最後に引退し、西濃鉄道に引き渡され、部品供給用として置かれているものです。写真を見ると、少なくともライト一つは取り外されています。

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 機関車交換 

 では、本題に戻って矢橋ホキの動きを追いましょう。
 赤坂の町を通り抜けて美濃赤坂駅の東構内に入った矢橋ホキは、それまで牽引されてきたDDもしくはDE機関車から、JR東海のEF65機関車に取り替えを行います。


 写真10−14   矢橋ホキ入線                (美濃赤坂A積 撮影日 09/01/12)

 待っていたEF65電気機関車の隣の線路に矢橋ホキが入ります。


 写真10−15   定位置に停車                  美濃赤坂@積 撮影日 08/12/27)

 この日の朝一番列車は、DE10501号機の当番でした。EF65の隣の線路を、所定の位置まで矢橋ホキを牽引して停車します。


 写真10−16 入れ替え1 (撮影日 08/12/27)

 写真10−17 入れ替え2 (撮影日 08/12/27)

 左:矢橋ホキから離れたDE10501号機はそのまま南へ向かって側線を進みます。
 右:側線を進んで安楽寺大門踏切を越えて駅の一番南、県道216号線の高架の下までいきました。
   この日の朝はこのあとDE10501号機は機関区の車庫に入りました。


 写真10−18 入れ替え3 (撮影日 08/12/27)

 写真10−19 入れ替え4 (撮影日 08/12/27)

 EF65が動いて、連結位置に向かいます。 


 写真10−20 入れ替え5 (撮影日 08/12/27)

 写真10−21 入れ替え6 (撮影日 08/12/27)

 一度駅南の安楽寺大門踏切を越えたところまで進み、すぐ逆戻りして、矢橋ホキの待つ線路に入ります。


 写真10−22    入れ替え7                      (美濃赤坂@積 撮影日 08/12/27)        

 連結無事完了です。

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 出発待機 

 EF65機関車に取り替えたらすぐ出発というわけではありません。3本の列車とも、美濃赤坂駅で小1時間停車して、出発時間を待ちます。


 写真10−23    出発準備完了その1            (美濃赤坂A積 撮影日 09/03/02)

 EF651076号機に引かれて出発準備完了です。昼の2番列車では、牽引してきたDE10501号機は検車区車庫に入らず、側線で待機です。


 写真10−24   出発準備完了その2             (美濃赤坂A積 撮影日 09/02/28)

 この日は、EF651064号機DD403号機の組み合わせです。


 写真10−25   出発準備完了その2              (美濃赤坂A積 撮影日 09/02/28)

 上のと同じ日の同じ2番列車を金生山の上から撮影しました。

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 出発

 定時になると出発です。 


 写真10−26   出発                    (美濃赤坂A積 撮影日 08/12/23)
 2番列車が美濃赤坂駅を出発します。側線から本線に入ろうとしているところです。高架橋は県道216号線です。

 ようやく石灰石を満載した矢橋ホキが美濃赤坂駅を出発しました。目的地は知多半島にある新日本製鐵名古屋製鉄所です。次は、途中の経由地を紹介します。


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