名鉄揖斐線・廃線物語19
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 □廃線後その5 最後の電車 そして再生への動き
    
 最後の電車                                

 2006年6月17日、市ノ坪の車庫に1両だけ残っていた旧名鉄岐阜市内及び周辺600V線区(市内線・揖斐線・美濃町線)の最後の電車、モ513の保存記念式典が、岐阜市内の金公園(こがねこうえん)で行われました。

 この保存には、「丸窓電車を保存する会」の代表である岐阜工業高専広瀬康之助教授や関係者の皆さんの尽力によって、多くの募金が集まりました。この結果、晴れて、旧岐阜市内線の沿線にある金公園(旧市内線金神社前すぐ横)に展示保存されることになりました。

 以下、市ノ坪から金公園までの移動と、金公園でのモ513の保存場所への設置を報告します。


 5月25日まで、モ513は、市ノ坪の車庫いました。


 モ513の移動                                | このページの先頭へ |

 モ513は、5月26日、移動の為、トレーラに積み込まれ、5月27日早朝04:50、トレーラーに乗って、市ノ坪をあとにしました。


 モ513輸送部隊です。先導車、トレーラー、クレーン車、クレーン付きトラックの4両です。


 モ513を積んだトレーラーのアップです。


 市ノ坪出発です。私はというと、急いで車に飛び乗って、先を越さなければなりません。


 
 トレーラーは、市ノ坪を出て、旧美濃町線の軌道にそって、北上。

 競輪場前電停で左折して、金園町通りを西進しました。
 往時は、自分で走った軌道の横を、トレーラーに乗っかって走るモ513です。

 金園町4丁目の信号で停車したところです。(自動車の車内から撮影)



 

先回りして、神田町通りで待っていると、トレーラーがやって来ました。
 名鉄メルサ前、徹明町交差点を西進するモ513です。
 
 こういう移動の時は、電車の台車は取り外してあります。
 



 

輸送隊は、それほど速いスピードで走ったわけではありませんが、信号は2カ所止まっただけという幸運にも恵まれ、市ノ坪を出てわずか10分で、目的地の金公園横に到着しました。

 写真は、金公園西の金華橋通り(平和通り)側から、金神社と金公園の間の道に入るモ513です。
 


 金神社の鳥居横にとりあえず移動してきたモ513。
 木々の緑と赤白電車と鳥居とビル、妙な組み合わせです。


 トラックには、ボギー台車とパンタグラフが積まれていました。 


 金公園に到着、設置                              | このページの先頭へ |

 早朝5時過ぎ、無事金公園につきました。
 すぐに作業をはじめるのかと思ったら、ここで大休憩が入り、実際の設置は8:00からでした。
 大型トレーラーで道路を運ぶ関係上、警察との取り決めがあって、早朝5時までに、運ばなければならないとかで、移動作業のみが、早い時間帯に設定されているのでした。

 8:00、予定通り、設置作業がはじまりました。


 まずは、2個の台車の設置です。右下の写真の一番手前に映っている赤色の作業着を着た方が、この作業の現場指揮官です。
 微妙な具合を次々と処理して、作業は的確に進みます。



 いよいよモ513本体の吊り上げです。
 吊り上げ専用の装置(写真の車体の上の赤い鉄枠)が準備され、車体の下にワイヤーが通されます。

 丸窓の横に布のようなものがぶら下がっています。これは、ワイヤーが車体を傷つけないようにするため、クッションの役目をするように着けられた毛布のような材質のものです。

 


 いよいよ吊り上がりました。
 巧みな操作のせいでしょうか、何の支障もなく、何の異音もなく、すっと上がりました。


 吊り上げられた車体は、ぐるっと120°程回転して、方向を変えました。そして、台車の上に降下です。 


 
 慎重に台車の上に降ろされていくモ513。

 この作業も、意外とあっさり済みました。


 
 無事に、台車の上に落ち着きました。


 


 最後に、移動前に取り外してあった、パンタグラフを取り付けます。



 パンタ取り付け終了は、08:45。

 移設時間は正味、45分間でした。
 
 


 手前のコンクリートの部分が、モ513の保存場所です。クレーンで引っ張って、ゆっくりと仮設線路を移動します。


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