名鉄揖斐線・廃線物語14 |
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□断章 その2 |
意外なところからの撮影 |
写真というものは、普通の方が考えつかない所から写すと、非常にオリジナル性が強い写真となります。 |
左の写真は、政田駅東の田んぼから夕刻に撮影した、揖斐線上り電車とリバーサイドモールの観覧車です。 |
政田駅に電車が停車している時は、夜でも観覧車と電車の両方が撮影できるわけです。 |
リバーサイドモールの観覧車にこだわって数ヶ月、ついに、逆転の発想を思いつきました。 |
歴史と揖斐線 | このページの先頭へ | |
鉄道の沿線には、どの鉄道も、歴史的な名所があるものです。揖斐線にもいくつもありますが、普通の本では取り上げられていない所を2カ所紹介します。 |
右の写真は、政田駅の南、本巣市真正町にある「東山道跡」(とうざんどう)です。 |
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この政田駅の南には、「仙道上」「仙道下」の小字名が残っています。 |
この写真は終点黒野駅の1つ手前の相羽駅の西に隣接する相羽城址です。 |
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れ、1547(天文16)年に城は落城しました。 |
思い出 | このページの先頭へ | |
6ヶ月あまりの揖斐線取材の中で、思い入れのある写真は数々ありますが、そのうちで今まで発表していなかったものを2つだけ掲載します。 |
これは、薮川(根尾川)橋梁の西側、下方駅を忠節方面に出発して鉄橋にかかるモ780形の写真です。 |
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3月になってもはや雪は無理かと思っていたところ、中旬に思いがけない寒波が訪れ、この写真のようなちょうどいいコントラストの写真となりました。ラッキーでした。 (撮影日 05/03/13) |
黒野駅の駅舎の中から島式ホームの端にある「運転室」。 |
錆びるレール | このページの先頭へ | |
3月31日の深夜に最後の電車が走った後、電車が走らなくなると、レールというのはすぐに錆びてしまうものですね。 |
濃尾平野の北部にもやっと春がやってきました。 |
見事にきれいな?サビが浮いたレール。廃線9日目、尻毛駅で。 |
砕石を運ぶ黒い貨車が1番線に止まっている以外、電車はひとつもいなくなった廃線後の黒野駅。 |
嫁ぎ先 | このページの先頭へ | |
中日新聞その他によると、揖斐線・美濃町線など岐阜市内及び周辺600V線区を走っていた電車群の売却先が決まったようです。 |
廃止になった3線を走っていた中で、2000年導入と最も新しかった、美濃町線専用車の低床車モ800形は、3両あるうち2両が福井鉄道へ、1両が豊橋鉄道へ行きます。 |
市ノ坪の車庫に待機するモ780形とモ770形。 |
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写真の右は各務原線のレール、錆びている左のレールはは市ノ坪へ向かう田神線のレールです。実は、この荒田川の橋の部分が電圧が切り替わるための「無電」の区間、死区間だったのです。 (撮影日 05/04/10) |
市ノ坪の車庫と駅で待機する、揖斐線モ780形と、美濃町線モ880形(赤い電車)。 |
市ノ坪の東の部分に待機する、モ780形、モ510形(赤と白)、モ590形(赤)、モ600形(赤に白帯)。 |
さて、断章も1・2と書いて、これで終わりです。 |
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