名鉄揖斐線・廃線物語13 |
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□断章 その1 |
忠節橋は、尻毛橋・薮川橋とならんで、揖斐線電車撮影の3大人気ポイントでした。 |
上の写真と同じく、忠節橋の中程ですれ違うモ571とモ780形。 |
営業最終日、根尾川橋梁を渡るモ780形。 (撮影日05/03/31) |
10日後、錆びた線路にかぶさるように、桜は満開に。 (撮影日 05/04/10) |
私が「名鉄揖斐線廃線物語」の取材を始めたのは、2004年の9月です。 |
北方町の中心部、北方千歳町駅東のマンションから北方を撮影。 |
美濃北方を出て、北方千歳町へ向かうモ780形。 |
近ノ島−旦ノ島間(撮影日 05/01/21) |
近ノ島−旦ノ島間(撮影日 04/12/31) |
では、揖斐線電車の最高時速がどのくらいであったかというと、これは、ちゃんとしたところへ聞けばわかるのでしょうが、私のやり方はあくまで経験的手法です。 |
4月1日の0時過ぎ、黒野からの最終回送電車が忠節を経て市ノ坪へ向かった後、揖斐線の各踏切は、作業員によって「廃線処理」が施されました。 |
この写真の踏切は、又丸駅西にあって、この11年間ずっと通勤の時に通過した踏切です。 |
断章その1はこれで終わりです。 |
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