名鉄揖斐線・廃線物語05
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 □名鉄の現状U
    
 カーブの多い名古屋本線名鉄名古屋−名鉄岐阜間、名鉄の宿命

 停車駅数は同じ、電車の性能も互角、それなのに、岐阜駅と名古屋駅間の所要時間が、名鉄特急が最短で26分なのに対して、JR東海新快速は18分と大きく違うのは何故でしょうか。

 1分や2分ならともかく、8分の差は絶望的です。
 
 答えは、簡単です。
JR東海が岐阜駅を出てすぐに南に変進したあと、ほぼまっすぐに名古屋へ向かうのに対して、名鉄の線路は、大きなカーブが何カ所もあり、最高速度を維持できる距離が短くなっているからです。

 したがって、路線距離も違います。同じ岐阜−名古屋間でも、JR東海は30.3kmに対して、名鉄は、31.8kmです。

 このカーブの多い路線がまた、名鉄の歴史に起因するものであり、そこに名鉄の宿命があります。
 以下、これについて、ちょっとマニアックですが、説明します。 
  


 下の地図は、JR東海道線と名鉄名古屋本線の路線図です。
 名鉄本線のうち、愛知電気鉄道の路線を引き継いだ神宮前(名古屋駅の東南)−豊橋間は、JR東海道線とは比較的離れて路線が敷かれています。しかも、当初から都市間高速輸送を目的とされたため、直線が比較的多い路線となっています。JRの方が海側に曲がっているため、名古屋−豊橋間は、名鉄に競争力はあります。

 問題の名古屋−岐阜間はというと、両路線が接近している上に、名鉄本線には多数の大きなカーブが存在します。岐阜から名古屋へ向かう場合で説明すると、JR東海が岐阜駅を出てすぐに大きく右(南)にカーブしたあとは、比較的まっすぐに名古屋に向かうのに対して、名鉄本線の路線は、この地図で見ても、何ヶ所かで大きく彎曲しています。


 名鉄名古屋本線は、名鉄岐阜−豊橋間99.8kmです。
 JR東海の東海道線岐阜−豊橋間は、102.7kmです。
 JR東海の岐阜−名古屋間の路線には大きなカーブが1カ所しかないのに対して、名鉄岐阜−名鉄名古屋間の名鉄路線には、5カ所の大きなカーブがります。

 左図の、
の部分、庄内川を渡るところに2カ所。
 
の部分、木曽川を渡るところに1カ所。
 そして、
の部分、名鉄岐阜駅を出てすぐのところに2カ所です。
 しかも、
の部分には、全線複線のはずの名鉄本線なのに、ここにだけ単線の所があり、これも高速大量輸送の隘路となっています。

 右図は、1921(大正10)年の岐阜−名古屋間の鉄道敷設状況です。左図の名古屋本線につながる路線は、まだほんの一部しかできていません。このつぎはぎの路線建設が現在にまで影響し、東海道線に比して、高速運行の実現を阻んでいるのです。


 A庄内川、枇杷島橋                              | このページの先頭へ |

 の、庄内川を渡る部分の説明です。

 上右図Uにあるように、名鉄の最初の郊外路線は、庄内川を渡る
枇杷島橋の北から分岐して、一つは岩倉・一宮方面へ、一つは津島・弥富方面へと、建設されました。そして、枇杷島橋−押切−柳橋の路線によって名古屋中心部へ入っていました。

 ところが、1941(昭和16)年、名鉄は英断によって
枇杷島橋−名鉄名古屋駅の路線建設、すなわち、名古屋駅前進出を行います。このため、枇杷島橋−押切−柳橋線はこのあとで廃止されます。
 この決断によって、さらに3年後、名鉄名古屋−神宮前の路線を敷設します。これによって、合併前に愛知電気鉄道によって建設されていた神宮前−豊橋との接続にも成功し、岐阜から豊橋までが1本で結ばれました。現在の名古屋本線はこの時に誕生したのです。

 しかし、この、
枇杷島橋−名鉄名古屋路線の建設によって、枇杷島橋鉄橋の南にとても急なカーブができてしまいました。
 (この地点は愛知県ですので、あまり深入りせずに、このくらいにしておきます。) 


 庄内川付近の名鉄路線。

現在の名鉄名古屋本線

現在のその他の名鉄路線

当初の枇杷島橋−押切路線

現在のJR東海道線

 写真は、1987年撮影の航空写真です。国土交通省ウエブマッピングシステムより。 
 


 左の写真は、昭和昭和の初め頃の名岐鉄道柳橋駅です。1941(昭和16)年8月の新名古屋駅の開業にともなって、廃止されました。
 この写真は、可児市にある
名鉄資料館で撮影しました。

 右が名鉄資料館の外観です。
 以下の説明のいくつかの写真もこの資料館で撮影し、HP掲載の了解を得て使用しています。
 可児市のこの地には、もともと名鉄グループの社員の研修(教育)のための施設、名鉄センターがありました。名鉄創立100周年の1994年、名鉄に関する歴史的資料を展示・収納する施設として、センターに隣接してこの資料館が建設されました。
 
 中には、鉄道ファンなら垂涎の的の貴重な品々が、展示されています。(売り物ではありません。(^_^))
 入場料は無料ですが、あくまで企業の社員教育のための資料館ということで、平日しか開館していません。土日祭日は休みです。(11月28日の日曜日は特別展示で開館し、見ることができました。)
 ※名鉄資料館 〒岐阜県可児市川合北2-158 TEL(0574)61-0831 HPはこちら
 
 訪れた日も、担当の方が、1月末に名称変更となる名鉄岐阜駅・新一宮駅や、廃止となる東笠松駅などの旧名称プレートの保存・移管のために、各駅に電話で依頼しておられました。
 廃止となれば、3路線の遺物も、この資料館におさまることになります。 


 B木曽川渡河                                   | このページの先頭へ |

 の、木曽川をわたる部分の説明です。
 岐阜から、木曽川の北側の笠松までは、美濃電気軌道が、1914年12月に名鉄岐阜−笠松の路線を敷設していました。
 一宮から、木曽川の南の木曽川港までは、尾西鉄道が1914年8月に路線を敷設していました。
 地元の町村はこの両路線を結んで木曽川を渡河する路線の建設を願いました。しかし、この場合、一宮−笠松間が大きく西に迂回した路線となること、また、木曽川を斜めに渡河することになることから、名鉄の提案によって、現在の路線の通り、一宮−笠松を結ぶ最短線が建設されます。1935年4月のことです。

 しかし、それでも、東海道線がほぼ南北にまっすぐ木曽川を渡河するのに対して、名鉄線は笠松から東南の方角にカーブして木曽川を渡河しています。 


 左写真、尾西鉄道の木曽川港駅は、写真の一番下やや左よりの黄色い線の端。
 (国土交通省ウェブマッピングシステムの1975年の航空写真より作成)
 
 右写真は、笠松駅の一つ南、木曽川の北岸の東笠松駅に停車しようとする普通電車。この駅は、名鉄本線の駅ながら乗降客の減少により、2005(平成17)年1月29日で廃止される運命にあります。
 背景は笠松競馬場。ここも、経営不振により廃止が検討されています。(撮影日 04/11/21)


 左写真は東笠松駅のホーム東南端から名鉄木曽川鉄橋とはるか彼方のJR木曽川鉄橋を臨んでいます。両鉄橋は、渡河する方角が違います。
 右写真は、鉄橋を渡り来る名鉄岐阜行き特急。(撮影日 いずれも 04/11/21)  


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