名鉄揖斐線・廃線物語04
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 □名鉄の現状
    
 民鉄全体の状況                                      

 名古屋鉄道株式会社、名鉄は、日本の大手民鉄15社のひとつです。
 3路線を廃止するということは、全体の経営も苦しいのでしょうか。民鉄全体はどうなのでしょうか。

 はじめに、民鉄全体の経営状況を概観します。
 

その前に基本的な知識です。大手民鉄15社というのはどういう鉄道会社を指すのでしょうか?
次の15社のことです。

関東地方(8社)

東武鉄道、西武鉄道、相模鉄道、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王電鉄、京成電鉄

中部地方(1社)

名古屋鉄道

近畿地方(5社)

近畿日本鉄道、阪急電鉄、阪神電気鉄道、南海電気鉄道、京阪電気鉄道

九州地方(1社)

西日本鉄道

  
  次の表は、民鉄全体の経営状況を示す2つのグラフです。


 グラフAでは、民鉄全体が、バブル期以降の落ち込みから回復して、近年ほぼ安定した利益を上げていることがわかります。
 しかし、グラフBでは、その一方で、輸送人員実績が年々減少してることがわかります。

  ※三井トラストホールディングス調査報告
   半沢努 『大手民鉄に見る鉄道事業の現況と将来〜人口減少社会の到来を前に〜』(2003年)
より作成

 このような状況から、民鉄の経営に関しては、次のように結論されています。

  1. 大手民鉄15社合計の鉄道事業における営業利益は、景気低迷下でも底堅く推移している。しかし、多額の設備投資が続く一方、収入は伸びていないことから、資産効率は悪化傾向をたどっている。

  2. 一方、輸送人員は、長期的な減少傾向にある。特に、通勤、通学定期客の落ち込みが激しく、既に人口動態の変化が影響を及ぼし始めたものと見られる。今後、本格的な人口減少社会を迎えるに当たって、鉄道事業に対する旅客需要が長期的に落ち込んでいくことは避けがたい。

  3. 鉄道事業の場合、固定費の負担が重いため、乗客の減少は損益を大きく圧迫する。このため、将来の需要減少に備えるためには、大幅な固定費の削減がなどが不可欠になるが、公共事業としての性格上、大胆な設備の閉鎖は難しいという問題がある。

 ※上記、三井トラストホールディングス調査報告より

 次に、民鉄の新線の建設・既設路線の廃止はどのようになっているのでしょうか。
 次は、1995年と2002年の各大手民鉄の営業キロ数の比較です。   

会社名

1995年3月営業キロ程km 2003年3月営業キロ程km 順位 変化

東武

464.1 463.3 B -0.8

西武

179.8 176.6 C -3.2

京成

91.5 102.4 I +10.9

京王

84.8 84.7 L -0.1

小田急

121.6 120.5 F -1.1

東急

100.7 102.1 H +1.4

京急

83.8 87.0 K +3.2

相鉄

35.0 35.9 N +0.9

名鉄

539.3 502.8 A -36.8

近鉄

594.2 594.1 @ -0.1

南海

172.3 169.1 D -3.2

京阪

91.9 88.1 J -3.8

阪急

146.2 146.5 E +0.3

阪神

45.1 45.1 M 0

西鉄

121.1 115.9 G -5.2

 左の表は、1995年3月と2002年3月における営業キロ数の比較です。
 
 まず、民鉄の営業キロ数に関する基本的な解説です。時々クイズに出される、「
日本で一番営業キロ数が長い私鉄は何鉄道でしょう?」という質問の答えは、近畿日本鉄道です。

 今話題の
名鉄はというと、近鉄についで、第2位の営業キロ数を誇っています。
 大手私鉄といっても、長い路線が何本もあるのは、近鉄・名鉄・東武の3社ぐらいで、あとは、200km以下となります。

 ちなみに、野球で知名度は抜群の阪神電鉄ですが、営業キロ数わずか45kmしかありません。
 
 
 ※社団法人民営鉄道協会発行(HP)パンフレット『大手民鉄の素顔』の各年次版より作成。
 

 1995年と2002年の営業キロ数の比較では、他の14社が阪神を除いては微増か微減になっているのに対して、名鉄のみが、36.8kmと大きな減少となっています。
 名鉄にとっては、全営業路線の6.8%の減少にしかすぎませんが、相鉄や阪神なら、会社自体がなくなってしまうくらいの思い切った減少です。

 これは、2002年10月1日の、八百津線(明智−八百津)、竹鼻線(江吉良−大須)、谷汲線(黒野−谷汲)、揖斐線(本揖斐−黒野)の4路線廃止などによるものです。
 名鉄が、どのような状況で廃線に進んだか、次に名鉄の経営状況を確認することにします。


 名鉄の経営                                             | このページの先頭へ |

 ここ9年間の名鉄の経常損益を他社と比較すると、次の表のようになります。
  

 各年度別名古屋鉄道 「差し引き収入過不足」表>(会計年度は4月〜翌年3月)

企業名

営業キロ 94 95 96 97 98 99 00 01 02 収入(注)

名鉄

502.8 -2,317 7,754 5,350 2,230 2,248 3,213 2,691 5,706 17,365 422 N

東武

463.3 -6,573 1,182 8,035 3,070 12,650 11,960 17,256 35,765 10,128 543 J

京王

84.7 -1,917 267 1,463 2,192 6,143 10,251 12,400 13,895 12,036 697 A

小田急

120.5 -3,172 194 6,003 5,820 11,292 10,796 11,738 13,252 11,550 639 E

東急

102.1 -997 2,463 7,382 13,139 23,257 22,262 22,710 20,139 19,668 1002 @

近鉄

594.1 -8,768 2,076 7,068 5,376 3,518 7,090 6,350 11,268 11,371 534 L


 15社から6社選んで比較したものです。
 「差し引き収入過不足」とは次のものです。
 収入総計(運賃など)−費用総計(人件費・車両修繕費・利子支払いなど)=差し引き収入過不足
 単位は100万円です。
 1994年の各社の収支はひどい赤字でしたが、95年9月に各社平均14.1%の運賃値上げを行った結果、95年からは収支は改善しました。

 右から二つ目の「収入」とは、客車走行1km当たりの旅客収入です。単位は円です。
 「順」は、その収入の15社内のランキングです。

  ※前掲パンフレット『大手民鉄の姿』各年次版と国土交通省鉄道局監修『平成14年度鉄道統計年報』より作成


 「収入過不足」は赤字にはなっていませんが、502kmもの路線をもつ鉄道会社としては、実に効率の悪い経営です。
 それが証拠に、客車走行1km当たりの旅客収入は、422円と15社中最下位です。


 これは、「2 揖斐線の歴史」の中でも説明しましたが、名鉄という会社の発展の歴史の中に要因が求められます。
 もともと名鉄という会社は、名古屋の市内線の経営から出発した名古屋電気鉄道が、愛知県の他の私鉄や岐阜県の美濃電気軌道などの各社を合併して今日まで成長してきました。
 統合・合併した電気軌道会社は20社に上ります。

 その過程で、大手民鉄の路線とはとても思えない人口閑散区域のローカル線も、名鉄に取り込まれてしまいました。
 今や、これらの路線が足かせとなっているのです。
 交通ライターの徳田耕一氏は、次のように説明しています。
「名古屋を中心に愛知、岐阜県内の足を守り続けている名古屋鉄道(名鉄)。鉄軌道、バスを含め、会社の献身的な努力は、中京圏発展の原動力にもなった。しかし、同地方は「世界のトヨタ」のお膝元でもあり、車の普及は早く、昭和30年代の後半からそれを意識した営業政策を展開。36年のパノラマカーの投入もその一環だったよう。
 その後もデラックス車両を続々投入、マイカー族のハートに迫ったものの、近年の道路整備の進展は、鉄道離れの要因にもなった。
 同社は私鉄第2位の路線長を誇るが、それは、20数社にもおよぶ大小私鉄の集合体として形成されたもので、かつての国鉄赤字ローカル線並の閑散路線も含まれている。
 旧国鉄はそうした路線の大半を整理したが、名鉄は企業努力により可能な限り列車本数を確保。山あいの路線でも昼間、最大30分ヘッドで進行するなど大車輪のサービスを提供した。しかし、マイカー族には「30分」が長すぎ、車の利便性に誘発される結果に・・・。
 装置産業でもある鉄軌道事業の運営は厳しい。鉄道は街のアクセサリーではない。企業努力も限界に達していた平成10年、ついに名鉄は輸送密度2000人未満(km/日)の5線区6区間の廃止を決意した。」

 名鉄は、人口密度の高い都会を走る関東地区の私鉄にはない弱点を抱えており、不採算路線の「処理」が、名鉄の経営健全化の課題というわけです。

 さらに、名鉄にはもう一つの大きな弱点があります。
 おっとっと、ここまでは、グラフが登場しただけで、電車の写真が1枚も登場していません。次から登場です。


 名古屋本線とJR東海道線                                    | このページの先頭へ |

 1987(昭和62)年、中曽根内閣の規制緩和政策の目玉の一つとして、国鉄の分割民営化(JR化)が実施されました。
 このことは全国各地にさまざまな変化と影響をもたらしましたが、名古屋鉄道は、それを最も強く受けることになりました。

 国鉄時代は、岐阜市民が名古屋に出かけるといったら、それは、よほどの例外を除いては、名鉄電車を利用して行くということを意味していました。
 名古屋圏の国鉄東海道線の電車は、首都圏や近畿圏のそれとは違って、運転間隔もまばらで、遠くへ出かけるときと同じく
「時刻表」を見て乗る電車という認識でした。
 さらに、新岐阜駅を出発すると途中の新一宮駅しかとまらない名鉄特急は、木曽川・一宮・稲沢・清洲・枇杷島と途中5駅も停車する東海道線の普通列車(そのころは快速とかはありませんでした)よりも、
断然快速であることも魅力でした。

 したがって、
岐阜市民にとって名古屋への足は、文句なく名鉄だったのです。

 今年、名鉄創業110周年を祝して、岐阜新聞社は名鉄の現会長箕浦宗吉氏と岐阜新聞社長杉山幹夫氏の対談を実施し、その模様を『岐阜新聞』誌上に掲載しました。

 そこに次のようなくだりが出てきます。(『岐阜新聞』2004年6月25日朝刊 15面・16面)

杉山

「私は羽島郡笠松町の出身で、新岐阜駅から名古屋へ35分で走り始めた頃は、学校にも行かず電車見物をしていたこともありました。」

箕浦

「私も同じような経験があります。当時も特急といいましたか、名古屋への松坂屋への行き帰りには、運転士のすぐ後ろの席から運転士の一挙一動を観察していた覚えがあります。(中略)」

杉山

「名鉄の特急は、都市と都市を結ぶ高速鉄道の始まりだと思いますが。

箕浦

名鉄電車は岐阜から名古屋という大都会へ行ける中心的な役割を担ってきました。非常に懐かしいですね。」

杉山

「木曽川と一宮の間で国鉄(現JR)の東海道線と10キロ近く平行して走りますね。そこで名鉄の運転士がわざと国鉄を先に進ませておいて、一宮に着くときに抜いてしまうんですよ。あれは少年の頃の夢踊る思い出です。」

箕浦

「そうですね。忘れられない、いい思い出ですね。」


 国鉄(JR)のだらしなさが強調されすぎですが、実際に、私も少年の頃は同じ思いでした。
  


 名鉄を象徴する画期的な特急車両7000系、通称パノラマカーは、1961(昭和36)年にデビューしました。当時、私の家は新岐阜駅にほど近いところにあり、駅に到着するときにならす独特のミュージックホーンが聞こえてくると胸が躍るものでした。(パノラマカーのミュージックホーンは名鉄のこのページにあります。)名鉄特急の栄光を担った車両です。  

 現在は、本線の特急としては働いてはいません。
 左の写真は、各務原線新岐阜駅で出発を待つ御嵩行き普通のパノラマカー。(写真は厳密には当初の7000系の改良型7500系。外観はほとんど代わりません。もちろん、7000系も今も走っています。)
 写真の男の子は、パノラマカーの「顔」の何かについて、なにやら一生懸命話をしていました。(撮影日 04/11/28)

 右の写真は、7000系・7500系に代わって現在の本線の特急車両を担う1000系パノラマスーパー。1988(昭和63)年、JR東海の発足を受けて、ライバルを意識してデビューしました。これは、新岐阜駅で出発を待つ間の清掃風景。
 背景は、もともと高架の名鉄線路と立体交差するため、「3階」高架となったJR東海道線。(撮影日 04/11/21)


 しかし、国鉄が分割民営化し、JR東海が発足すると、事情は一変しました。
 JR東海は、まじめに、名鉄と競争して岐阜市民を名古屋へ運ぶことを考え始めたのです。近畿圏・東京圏のように、特別な料金を必要としない新快速・快速をふんだんに走らせるダイヤを編制しました。

 下表は、現在の両鉄道の時刻表です。


<名鉄新岐阜駅 新名古屋方面平日出発時刻表>

<JR東海岐阜駅 名古屋方面平日出発時刻表>


 これを見ると、午前7時台は、名鉄:JR東海=14本:15本、8時台は14本:13本(特急しらさぎは除く)、運行本数はほぼ拮抗しています。
 しかし、現実的には、旅客輸送の勝負は付いています。
 
 名古屋−岐阜間の旅客の輸送量は、国鉄時代は、名鉄:国鉄=7:3でしたが、現在では、逆に、名鉄:JR東海=3:7となっていると言われています。(確たる資料がなくてすみません。)


 11月のある日曜日の名鉄新岐阜駅。左の写真の左端は、上の写真でフロントガラスを掃除されている特急電車です。
 これだけホームにお客さんいない時間帯は何時だと思いますか?
 5時台でも6時台でもありません。(11月ならまだ暗いっちゅうの)
 なんと、8時半頃の新岐阜駅なのです。首都圏の私鉄では考えられません。平日の朝はまだしも、休日ともなると、JR東海と名鉄の差は明らかです。 (撮影日 04/11/21) 
 


 何故、名鉄はJRにお客を奪われてしまったのか。
 
その理由は明白です。電車のスピード競争で、名鉄が敗れたのです。

 上の対談の会長・社長の若かりし時代や、私の青春時代は、名鉄特急は速い乗り物でした。しかし、それは、当時の国鉄が新快速も何も走らせず、通常の普通列車のみを走らせていたからです。(JR東海になる少し前から快速電車が登場します。)

 現在では、名鉄特急は、名古屋までの途中、新一宮のみに停車します。同じくJR東海新快速電車は、新一宮と隣接する駅一宮のみに停車します。
 停車駅は同じ条件なのに、所要時間は、なんと名鉄特急最短で26分なのに対して、JR東海新快速は18分です。

 1分や2分ならともかく、8分の差は絶望的です。
 
 では、同じ岐阜と名古屋とを結んでいて、しかも、出発駅も到着駅もほぼ同じ地点であるにもかかわらず、なぜ、JR東海新快速の方が8分も早いのか?
 もちろん、車両の性能=最高速度が異なるわけではありません。名鉄特急パノラマスーパー1000系もJR東海新快速313系も、どちらも最高時速は120kmと同じです。
 
 続きは、「名鉄の現状U」をどうぞ。


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