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42 熟年時代・老年時代1 新キャッチコピーは、起承転○○ 13/03/17

 新しいタイトルでのエッセイである。

「あなたのブログだから、別に文句言うこともないけど、「熟年時代・老年時代」とは、また思い切って、自覚したものね。それまでは確か、中年時代・・・・」

「去年までは、「中年時代・壮年時代」だった。それより、一つ分、区分が進んだことを自覚した。」

「なかなか賢明な、いさぎよい判断だこと。最近の肉体的状況を見ていると、私も子どもたちもみんなそう思っている。」

「日常生活でも腰痛、肩関節痛、膝関節痛がある。これがスポーツをした日には、その夜寝る時には、下半身全体が痛くて、よく眠れない。スポーツやってる時は、アドレナリンが充満していて何とも思わないが、終わるとつらい。しかも、酔っぱらいの二日酔いと同じで、そのときはもう二度とやるまいと思っても、また3日後ぐらいには、また挑戦したくなる。」

「次の日、ちゃんと仕事やってるの?」

「痛み止めのメンソレータムのラブのサリチル酸メチルのにおいをぷんぷんさせながら、苦痛に顔をゆがめて、階段を上り下りしている。」

 運動をしている場を見ていない妻にはばれていないが、実際には、事態はもっと深刻となっている。前ページで、2012年のスポーツの取り組みを書いた。→「中年時代・壮年時代4 相も変わらずスポーツ三昧
 
 自分で予想しているプレーは、ほぼ何とかできる。
 サッカーでは長い距離を走れるし、2012年度は、公式戦・フレンドマッチ・紅白戦に10試合程度出場して、3得点・1アシストの好成績だった。もちろん、前ページに書いた、試合の後半に突如ギアを全速に入れるという、突然の変身、小ずるい作戦」を実行しての「成果」であり、熟年選手の存在を認めてくれるチームメイトのおかげである。

 そういう熟練の技が発揮できている一面、実にお粗末なプレーも増えた。
 自分に予想ができるプレーが何とかできるのとは反対で、突然生じた状況において予想外のプレーをしなければならない時は、ほぼ確実に失敗、またはボールに間に合わないという状態となった。
 サッカーは敵味方との距離が比較的遠いのでまだ何とかなるが、何とかならないのは、バレーボールである。突然のボールの変化への対応、味方の予想外の失敗のカバーリングなど、昔はできていたスーパープレーが全くだめになった。
 さらに悪いことも顕著となった。
 失敗して失点になるだけでなく、ジャンプなどのプレーをしたあと、腰砕け、膝砕けとなって、みっともない格好になる。さらに、足首と膝が入らずに、いわゆる「たたらを踏む」状態となる、などなど。
 チームメイトの失笑を買い、自分も笑ってごまかすしか手がないという状況も頻発するようになった。

 もはや、58歳である。40歳代から50歳代になった時にも肉体的な衰えは感じたが、この数年の衰えは、
「ついに、本当に来たか。」
 と自分で十分感じられるぐらい、はっきりした現象をともなうものとなった。

「じいさんになったのだから、素直に認めなさい。そうすれば楽になる。」

 刑事犯の取り調べではないが、たしかに、孫も生まれて本当に爺さんになったのだから、自分を「じじい」=老年と認めることは、少なくとも体力的には、致し方のないことと思うようになった。


 58歳になった今、普通に60歳定年まで働くとすれば、あと2年を残すのみである。
 大学を卒業した昭和52年4月に高校の教師となり、もはや36年間という時間が過ぎた。
 長い長い時間が、今振り返ってみれば、あっという間に過ぎた。
 
 自分だけではなく、やがて定年を迎える人なら誰しもが考える。
「これまでの人生は何だったのか」と。また、「これからはどうすべきか」と。

 2013年3月18日現在封切られているアメリカ映画見て、最後の最後のセリフに感動した。それをここに書いてしまうのだから、逆にタイトル名は書かない。見た人のみがわかる世界である。
 映画の最後のシーンは、紆余曲折・毀誉褒貶があったものの、父親を誇りに思う息子が、大学入試のために提出するエッセイのテーマに、その父親の人生そのものを選び、父親にインタビューする場面で終わっている。
 最後のセリフは、その時に、息子が父親に発する第一の質問である。これがすごい。
Who are you?」(あなたは何者か)

 この質問の答えとしては、「私は会社員です」とか、「教師です」とか言うものは、決して期待されてはいないことは自明である。
 「あなたの信条は何か」、「あなたのアイデンティティは何か」、「あなたの生き様は何か」

 映画はここで終わっているので、父親の答えは描かれていない。しかし、私とほぼ同じ年齢のハリウッドスターが、この質問になんて答えるのかは、2時間余におよぶ映画を見てきた観客には、おおむね想像がつく。だから、いい映画だった。

Who are you?」と聞かれてなんと答えるのか。
「私は、嘘を言い続けてきましたが、最後に正義を告白し、それによって自分の心の自由を守りました。」


 文章を書く技術に「起承転結」というのがある。
 あと2年で退職を迎えようとしてる人間の人生に「
起承転結」を当てはめるとすると、現在はどこと位置付けたらいいだろうか?
 少なくとも、「
」や「」ではないだろう。
 「
」だろうか、それとも「」だろうか?
 これは人によって違うかもしれない。



 そもそも、最後に、「」、つまり、なんかうまくまとまりがつくという形にしなければならないことが、重い。
 人の人生なんだから、別に、最後が「
」でなくてもいい。」を意識して年を取って行くことができるのは、よほどの人物ではないだろうか。
 最後までどうなるかわからない、最後まで落ち着かないという人生があっても不思議ではないし、それも悪くはない。
 
 そこで考えた。
 自分にあった、「
起承転結」とは異なるバージョンを作り出せばよい。
 そして、自分なりにひとひねりしたのが、次の作品、「
き・しょう・てん・てん・てん」である。




 自分の人生なら、「起承転結」ではなく、「起承転展天」である。
 「
起承転」までは同じであるが、そこからは、違う。
 「
」のあと、無事収まって「」になるのではなく、さらに続いて「」と、量的・質的に発展する。そして最後は、できれば天国にめでたく「昇」ということになる。
 58歳の今は、「
」から「」への変わり目であろうか。(^.^)

 まだまだこれから、何かをする。中途半端に終わってもよい。何かしながら「
やんちゃなじじい」を続けていく。それでいい。無理に「」なんかに持って行きはしない。


 このキャッチコピーは、とても気に入っている。
 もっとも、若者はこんなキャッチコピーは考えやしない。58歳の新入りじじいだからこその知恵である。

 企業なら、「商標登録」したいところだが、そんな面倒なこともできないので、敢えてここで宣言しておこう。2013年3月10日現在、インターネット上で検索しても、「起承転展天」(きしょうてんてんてん)という妙なフレーズは、このサイト上以外は存在しない。

 ゆくゆくは、現在の名前に代えて、この「
起承転展天」をサイトの屋号(名前)にしようかと思っている。(^.^)


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