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41 中年時代・壮年時代4 相も変わらずスポーツ三昧 12/06/03

 この「中年時代・壮年時代のタイトルは、8年前に初めて使った。現在ではもう、中年と言われる年齢を過ぎてしまい、実際には、「老年時代」に近づいてきた。しかし、もう少し、この「年齢区分」を使いたいと思う。
 そして、このページの話題は、またもやスポーツ。あ、このページは何の学習事項も、教訓も含まない、親父の単なるぼやきページなのでそのつもりでがっかりせずに読んでいただきたい。
 スポーツと言えば、昨年は高梨尚子杯長良川清流マラソン大会に参加した。(→前ページ)今年は、3月に申し込もうとしたら、すでに定員いっぱいになっていて、出場の機会を逸してしまった。
 しかし、その他の面においては、スポーツへの挑戦は「年齢相応」に「順調」?に進んでいる。次の表をご覧いただきたい。


 40代までは、いくつかのスポーツをやっていた。40代後半にもっとも熱中していたのはサッカー(→なんだこりゃ30「中年時代・壮年時代1 2足のスパイク」)で、また平成16年にはマスターズ陸上で岐阜県45歳以上で第3位となった(→なんだこりゃ31「中年時代・壮年時代2 第3位表彰状」)こともある。
 
 しかし、50歳になる直前の平成17(2005)年2月に
腸閉塞で入院(→日記:「腸閉塞入院記」)し、それに伴って体重が激減し、体力もなくなり、また同時に膝の関節痛も悪化し、さらにしばらくのちには定時制・通信制学校に勤務することになって夜や日曜日のスポーツ活動の時間に制限が加わったことなど、いろいろなことがあって、50代前半は定期的なスポーツ活動から遠ざかっていた。
 しかし、55歳になってから、また復活を決意した。
 一番の障害となっていた膝の関節痛は、あまり改善されていないが、整形外科医にいわせると、「加齢から来るもので完治はしない」とのこと。そこで開き直った。
「いつまでも「完璧」を待っていてもそんな日は2度ともどっては来ない。
ガタが来た体でそれなりに楽しもう。
 以下はそう決意して現在取り組んでいる
3つのスポーツの「奮闘記」である。


 復帰第1競技としてまず始めたのが、サッカーである。
 平成22年4月から、以前に所属していた隣接市のパパさんサッカーチームに復帰した。岐阜市周辺のパパさんサッカーリーグというのがあって、おもにそこでの試合が中心である。一応年齢制限の下限があって、選手資格は30歳以上となっている。
 ここで順調に活躍できるんのかと言えば、決してそうではない。
 パパさんと言っても、30歳そこそこの選手もいる。50代後半の私は、普通の50代よりもかなり走ることができるし、ある程度サッカーを知ってはいる。しかし、やはり、基本的な体力は、30代・40代、そして50代前半の選手に比べれば、比較にはならない。問題外である。
 当初は、「これは、足手まとい以外何ものでもない」と思って、すぐに本当の「引退」を決意した。
 しかし、もつべきものは同僚である。監督も部長も主将も、実際には足手まといの私を温かく歓迎してくれ、一定の活躍場所まで与えてくれた。私も、「今日はメンバーが足りないんですけど」というチームの危機の時は、決まって馳せ参じるという努力をしていることもあって、何とか居場所を見つけている。
 私独自の試合中の「
作戦」も功を奏した。
 頑張らなければならないと言っても、試合時間(通常は前後半20分ハーフ)の間中、ずっと走り回っていることは不可能である。最初は、ペース配分がわからず飛ばし気味であったが、そのうち、まことに上手な小ずるい作戦を考え出した。ちなみに、私が与えられるポジションは、ツートップのフォワードである。事情を知らない方は、そんな大切な役を高齢者には無理だろうと思われるかもしれないが、その考えは実はこの場合は間違っている。基本的にどのポジションも私には「無理」である。それぐらいなら、もしミスをしたり相手にボールを奪われたりしてもチームにとって致命的にはならないポジション、それこそがフォワードなのである。もちろん、敵は真剣だから、そう簡単に自由にボールを触らせようとはしない。ましてや、シュートを打ちに行こうものなら、若い選手が真剣に阻みに来る。これでは、活躍もできないし、自分の身も危険である。
 そこで、小ずるい作戦である。
 前半は、一応ボールを追いかけるが、敵のミスによる望外のチャンス以外は点を取るという意識は抑えめにする。また、自分の足元にボールが来ても、無理はせず安全な所へパスを出す。相手がうまくてこれはやばいという時は、あまり抵抗せずに相手に上手にボールをとってもらう。フェイントも、頭脳プレーも繰り出さない。スペースが空いていても、あえて走り込むことはしない。
 ようするに、敵から見て、何の取り柄もない、しかもサボり気味の年配プレーヤーと思わせておく。
 そうすると、チャンスは後半の10分過ぎにめぐってくる。
 相手のディフェンダーには、私の関する幻影ができあがっている。消極的・走らない・フェイントはしない・ボールは直ぐ奪える・・・・・、つまり、「安全パイ」である。そして、敵に疲れがたまってくる。一方、私はまだ元気である。
 その時、チャンスがめぐってきたら、今まで出さなかった何かを出す。スペースへ走る、フェイントをかける、ヒールパスなどトリッキーな動きをする・・・などなど。安心していた敵ディフェンスは、これには見事に引っかかる。味方は、私のこの変身を、「そろそろやるぞ」と思っているので、連携もうまくいく。かくて、得点につながる。
 1年目は、この作戦に気づかず、やたら消耗して何もできなかったが、2年目の昨年から採用して、功を奏した。昨年度は、公式戦・フレンドマッチに10試合程度出場して、1得点・2アシストだった。この得点は、6年ぶりのものだった。56歳で、フルコートで若い選手相手に試合をやって得点を獲れるとは、無上の光栄である。
 今年はまだ2試合しか出場していないので、この「
突然の変身、小ずるい作戦」は、まだ得点やアシストにはつながっていない。しかし、そろそろという予感もする。いい仲間たちに感謝である。


 今年になって第3のスポーツに挑戦し始めた。ソフトボールである。再開の時間的順序から言うと、第2のスポーツを先に紹介すべきだが、話の都合上、こちらを先に紹介する。
 まずは、以前、30代の時に、10年ほど熱中したソフトボールの話である。
 このHPを書く前の話なので、ここには何ら記録は残っていないが、その当時、地域の中学校校区の中にあるチームに所属していた。このチームは、合計10いくつものチームで前期・後期総当たりリーグ戦を実施するという本格的なリーグに所属しており、私も、4月から10月のシーズンに、毎年平均20試合程に出場した。
 ポジションは主に投手。10年間に積み上げた勝ち星は
通算80勝ほどだったと思う。チームは毎年のようにプレーオフに出場する強豪だったが、私が在籍している間は、優勝はできなかった。普通、地域のおじさんたちがやるソフトボールというと、エラーありつるべ打ちありの大量得点試合を思い起こしがちだが、このリーグのハイレベルチームは、なかなかの技術をもっていて、本来のソフトボールらしい緊張した試合が過半だった。わがチームも強豪の一つで、私も、1−0で完封勝利というしびれる試合をしたこともある。


 写真41−01・02  思いでの体育館の壁 (撮影日 11/04/29)

 この高校に勤務している時、部活動が終了してから、右の写真の体育館の壁相手に、必死にソフトボールのピッチング練習をした。この壁がに向かって投げた球数は、1年1000球として、1万を超えるだろう。
 現在この学校にはこの体育館とは別に新しい体育館が完成しており、写真の体育館はまもなく取り壊されて消えてなくなる。思い出は、いつも、時がたてば記憶の中のみの産物となっていく。


 30代に熱中したソフトボールをやめたのは、39歳の時に腰部椎間板ヘルニアの摘出手術をしたのがきっかけだった。無理をしてヘルニアとなり、さらに痛み止めを飲んだり注射したりしてピッチャーを続けたため、ついに手術をすることになり、3ヶ月の入院生活を送った。
 それ以降、ソフトボールチームからは退団して、サッカーのクラブチームに所属することになる。「えっ、ソフトボールをやめてサッカーへ?よりハードになるんじゃない?」と思われる向きもあるかと思う。実際には、ソフトボールの投手とサッカーの普通のプレーヤーとでは、腰への負担は前者の方がはるかに大きく、これは私としては順当な選択だった。

 そのソフトボールを18年ぶりに再開した。
 きっかけは友人が自分が所属するあるソフトボールチームの「助っ人」を募集していて、私を誘ってくれたからである。友人曰く、「うちのチームは、高齢者も多い本当に楽しんでやっているチームなので、勝敗は二の次。1年間で1勝か2勝するだけ。気楽に来て欲しい。」とのこと。
 この言葉に甘えて、4月から「助っ人」として、近隣のK町のこのチームに加わった。
 18年前ならともかく、この年になると、ソフトボールの力も、「ぼちぼち」になってしまっている。ソフトボールは、野球に比べて投手ー本塁間、塁間が短いため、本気にやるには、集中力と瞬発力が非常に重要となる。さすがに、18年前のそれはもはや消え失せている。
 心配はしながら、それでも、「気楽に」にという言葉を信じて、これまで5試合に出場した。 


 写真41−03 (撮影日 12/06/03)

 写真41−04  (撮影日12/06/02)

 左:購入したソフトボールスパイク  右:右目下の名誉の負傷


 一応、スパイクも新しいのを買った。スポーツ店の店頭に並んでいる安めの靴に、「ピー皮」(右足の親指部分に付いているカバー。投手のスパイクには、靴の外皮の摩耗防止のために付ける)を装着してもらって6,000円弱の買い物だった。このぐらいの意気込みは必要である。
 18年ぶりに出場したこの5試合(1試合欠場)の結果は、本当にお楽しみのソフトボールのそれだった。
 まずは、成績。現在
チーム成績は1勝5敗である。大変悪い成績だが友人に言わせると、これは予想通りとのこと。
 勝利した試合には私が先発したが、その時のスコアは、15−7。私は4回投げて3失点。この試合が、一番ロースコアーの試合だった。それ以外は、いずれも二桁失点である。1試合目では1イニングに11点を奪われたこともあったし、5試合目には25点取られて負けた。連打、エラー、珍プレー・・・、何でもありの豪華絢爛の試合になっている。私の投手としての成績は、3試合で、1勝2敗。防御率は記録係などいないため、計算不能である。これはつまり、私の記憶ではもはや再現できないほど、たくさんヒットを打たれ、たくさんエラーがあるということである。
 私の打撃は、比較的まともで、5試合で、16打数7安打(1本塁打、打点4)である。しかし、基本的に点取り合戦をやっているわけだから、これでは不十分である。
 投手の時以外は内野手をやらせてもらっているが、これがまた珍プレーの連続となってしまっている。その最たるものが、右上の写真である。5月30日に眼の下に裂傷を負ってしまった。たいして深くはないが、ボールが眼鏡を直撃し、レンズをとおして眼球本体もダメージを受けたので、念のため眼科医院にも通って眼底検査をしてもらう大事となった。(結果、異常なし)

 ボールが顔に当たるケースは、野球やソフトボールでは時々ある。
 しかし、その当たり方が、ちょっと間抜けだった。遊撃手をやっていて、ハーフライナーを打たれた、とっさに後ろ向きにバックして、振り向いてキャッチというプレーをすべき打球だと思った。さっと後ろ向いて数歩走り、振り向いてキャッチしようとした瞬間、計算を誤って、キャッチするどころかいきなりボールが顔面を直撃した。遊撃手として最高にかっこいいプレーをするつもりが、打球を顔面に当てるという最低の大間抜けエラーをしてしまった。

 今のままでは、「
助っ人」の役を充分に果たしてない。MLBなら、さじずめ期待はずれの移籍選手として登録選手枠からはずされ解雇となってしまうところである。
「Mさん、大丈夫です。前回も9人、今日も9人。
あなたが来ないと、不戦敗になっています。充分な助っ人です。」
 それは確かですが・・・・・。
 今のところそんな存在感しかない。ケガに気をつけて頑張ろうっ、と。


 写真41−05・06 健康ソフティー・バレーボール (撮影日 12/06/03)
  直径210cm、ぐっと握れる柔らかいボールです。


 挑戦しているもうひとつスポーツが、健康ソフティー・バレーボール(以下KSBと略称を用いる)である。
 これはバレーボールとはいいながら特殊な競技のため、ご存じでない方も多いと思う。
 まずは競技の説明である。
 
KSBは、上の写真のような、ゴム製の柔らかいバレーボールを使った競技である。以下にそのルールの要点を列挙する。

 通常のバレーボールコート(ネットの高さは220cm)で6人×6人で対戦する。試合では9人で1チームとなり、7点目、14点目で3人ずつの交代義務がある。9人以上の場合は変則での交代になる。チームは男女混合編成。

 返球は必ず4打目で返す。その間一人のプレーヤーは、一度しかボールに触れることはできない。(最後の4打目がネットに当たって自分のコートに返った場合は一度触ったプレーヤーでも5打目を相手コートに返球することができる。

 スパイクはできるが、バックアタックしかできない。ブロックはできない。6人制と同じくローテーションをおこなう。

   6人制と同じくローテーションをおこなう。 

 KSBは、柔らかいボール使うので、突き指もしないし、当たっても痛くはない。中高年向きの手軽なスポーツである。ただし、技術的にはほとんどバレーボールと同じであるし、それ以上に柔らかいボールを巧みに扱うための技術、別の4人がうまくボールを繋いで最後にスパイク攻撃をおこなう技術など、独自のスキルが必要である。そこがまた面白い。
 現在私が加入しているクラブは地元の小学校エリアの地域チームで、15年以上の歴史を持っている。以前からこの競技を知ってはいたが、最初は本当のバレーボールから離れがたく、逡巡していた。
 しかし、平成22年6月に加入して以来、熱中してやっている。現在挑戦している3スポーツの中では、もっとも活動率が高いのもこの競技である。わがクラブには、50代・60代中心チームと、30代・40代中心チームの二つがあるが、あえて、「若者チーム」に所属し、チーム最高年齢プレーヤーとして、これまた瀬戸際に立ってプレーをしている。 


 とはいえ、情熱とは裏腹に、この競技をするにもいくつかの課題がある。
 まず、ボールは柔らかいとはいえ、バレーボールには違いがないから、敵のアタックのレシーブ、自陣でのボール回しなど、つねに
膝のスイッチがオンになっていないと対処できない。これがなかなかしんどい。
 ちょっと詳しく話す。
 この「
膝のスイッチ・オン」というのは、高校のバレーボール部監督・部長を15年間もやっていた経験上、指導のポイントだと思っていることである。バレーボールは、「次にボールは自分の所に来る」という当たり前の準備を、試合中ずっと維持できるかどうかが、うまいかへたかの分かれ目になる。
 凡プレーヤーほど、次に自分の所にボールがやってくるとは思っていない時間が多いのである。当然、突然ボールがやってきて、ミスをすることになる。
 つねに次は自分の所にやってくると思っていれば、
足首を曲げ、膝のばねを蓄え、腰を落として構えていなければならない。しかも、つねに現在ボールのある方向@、もしくは、次にボールが飛んでくる方向Aに体を向けていなければならない。
 @は当たり前だが、Aはわからない人が多い。例を挙げると、普通の6人制バレーゴールのブロックカバーがこれに当たる。味方が打ったスパイクが敵のブロックにかかって、自陣にボールが跳ね返った場合に拾う技術である。この時は、味方のスパイカーがスパイクを打つ瞬間のポイントではなく、
相手のブロックがそのスパイクボールを跳ね返すポイント(その瞬間の直前まではネット上の空間のポイント)を見ていないと、ボールは補足できないのである。これが、A「次にボールが飛んでくる方を見る」という極意である。(ただし、KSBでは、ブロックはない。)
 いささか詳しくなりすぎたが、ボールに対応し@やAを実行するには、つねに頭をはたらかせ、ボールが動いている間中、
足首と膝をスイッチ・オンにしておかなければならない。これが、50代後半の私には、非常に疲れる。毎週2時間の練習時間が終わると、へとへとになるくらいの過重労働である。しかし、これに手を抜いては、いかなるバレーボールの上達もあり得ない。頑張りどころである。



 次には、スパイクの問題である。
 先に書いたように、ではスパイクは
バックアタックしか許されていない。上図を見ていただきたい。身長168cm、垂直ジャンプ力50cmの私では、高さ220cmのネットからの横距離150cmぐらいの所に、絶妙のトスが上がった場合、それに対して最高のタイミングとジャンプをして、やっと効果的なスパイクを打つことができる。
 それそのものも至難の業だから、そう簡単には決まらない。自分がエースポジションにいる時に、なかなかポイントを奪えずに敵チームのポイントをいたずらに増やしてしまうのは、なかなかのプレッシャーである。さらに、3本、4本と打ち続けると、これまた体力がなくなり、ますます悲惨な状態となる。
 広いグランドに11人が散らばっているサッカーとはまた別の、なかなかの試練である。 


 写真41−07・08  年3回、6月・9月・2月に大会がある 岐阜市東部体育館 (撮影日 12/06/03)


 写真41−09・10 試合中の私です(撮影日 12/06/03)

 左:セッターポジションで、3番手にパスを送る私。背番号は33。4回で返すルールのため、いわゆるセッターポジションにいるプレーヤーは、味方のレシーブボールを3番手(トスを上げる)に正確に送ることが役割となる。
 右:自軍エースのバックアタックを見守る私。4回ルールがあるため、仮に敵のレシーバーがミスをして、こちらのスパイクを一発で戻してしまった場合は反則となる。そのため、こちらのスパイクの瞬間は、スイッチ・オンの必要はない。他のプレーヤーが突っ立っているのに、私は癖で、半分スイッチが入った状態である。
 


 妻は当然ながら、

「三つもスポーツをやって・・・・。また大ケガしたり、病気にならないようにして下さい。」

 といっている。
 まあ、無理した30代の頃のようなばかなまねはしないつもりである。
 周囲への迷惑は、次の日に、筋肉痛・腰痛回復剤の
メンソレータムのラブを体に塗りたくって、メントールの臭いをぷんぷんさせて職場に行くぐらいにとどめたい。


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