もともと、「事件は現場で起きている」という怒りを込めた台詞は、現場の状況をしっかり把握していない官僚組織のトップが、解決へつながるとはほど遠い誤った指示を出して現場を混乱させるという状況が生まれた時、官僚組織の末端の現場の人間から発せられるものです。
しかし、「事件は現場で起きている」は、多くの比喩を可能にするきわめて含蓄のある台詞ですし、また、いろいろな場面へアナロジーできる台詞ですから、教育や授業の場面へ転用できます。志水廣教授もけっして官僚の「組織論」としてお話になったわけではありません。
まずは基本を考えます。
学校の教師が、「事件は現場で起きている」という台詞を言うとすれば、普通は次の場面が想定できます。
○文部科学省や教育委員会が、学校現場の状況を理解しないで見当外れの命令をだしたり施策を打つ。
これは、何か往々にありそうで、初任者の教員にとっては期待したくない状況ではありますが、それに備えて何か対応しろと言うものではありません。これとは違って、志水廣教授の話は、新任教員にとって、もっと身近な話です。
そこへ向かうために、それではここでひとつ、立場を置き換えて、アナロジーをします。
校長の立場に立って、この台詞を部下から言われる場合を想定してみてください。
教室や授業や校内外の生徒の動きを把握しないで校長室にばかりいて、おまけに○○主任等イエスマンの偏った人間からの情報ばかり信頼し、学校のリアリティを見据えることができない、そのくせワンマンの校長がいたとしましょう。
そういう校長は、生徒の問題を解決する方向で指示を出すのではなく、きっと自分の思い込みでいろいろ見当違いの指示を出し、かえって学校中を混乱させてしまいます。こういう場合は、職場の先生方から、「事件は校長室で起こっているんじゃない。教室で起きているんだ。ちゃんと現状を見て解決策を指示しろ。」という台詞を発せられそうです。
そして、さらに、もうひとつ、アナロジーをします。これが、この話の本題です。
上の校長の立場を教室で授業している自分の立場に置き換えてください。
もしこんな風に授業が進んでいったとしたら、生徒諸君はきっと、「何を勝手にしゃべっているんだ。自分たち生徒の状況(現場の状況)が分かっていない。今の部分は全然分からない。事件は現場で起きるんだぞ。」と思うに違いありません。実際にこれを声に出して言うことは希なので、気がつかない場合が多いでしょうが・・・。
志水廣教授はこういう風に授業が進んでしまうことを戒めて、授業者の教師レベルにおける「事件は現場で起きている」という台詞の意味を考えなければならないと言われました。生徒の状況が把握できない教師は、教室の状況が把握できない校長や、学校が把握できない教育委員会や文部科学省と同じ存在になってしまいます。
一方通行の授業ではいけない、双方向の授業でなければならないというのは理屈では分かりますが、具体的には一体どうすればいいのでしょうか。
その解決策の一つは、生徒の発言に対して、いろいろな「なるほど」が言えることです。
もちろん、これにはまず前提があります。生徒にきちんと発問しなければなりません。発問をした上で、生徒から返ってきた答えを受け入れることば、これが「なるほど」です。
質問をしてもなかなかいい答えが返ってこない場合が多いでしょうが、あせって、または、何の気にもせず、正解以外を切り捨てていっては、生徒の意欲は瞬時に低下します。
算数の授業を例にします。「二等辺三角形とはどういう三角形ですか」という質問に、「二つの辺の長さが同じ三角形です」といわれれば、「はいそうです」となります。これは何も問題はありません。
ところが、「一つの辺だけが長さが異なる三角形」と言われたら、あなたはどう反応するでしょうか。
「それは定義の仕方が違っている」と切り捨ててしまうか、「なるほど、あなたが言っている意味を別の表現で言うと・・・。」という具合に、その発言を受け入れるることができるかどうか。
実は、もっと苦しい状況で「なるほど」といわなければならないかも知れません。時には、厳しさも必要という意味で、「なるほど」ではなく、正解しか認めないという場合もあるかも知れません。
しかし、それでも基本は、「なるほど」です。
読売新聞の1面の下の方にある「編集手帳」の記事の中に、次の文章が載っていました。
「
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8年前にノーベル化学賞を受賞した白川英樹さん(72)が中学時代の思い出を語ったことがある。物理の時間、ひとりの生徒が「雲はなぜ落ちてこないのですか」と教師に尋ねた。「雲をつかむような質問だ」と教師は話をそらした◆先生も分からないから一緒に考えてみよう。「そう答えてくれたら、私は化学ではなく物理の道に進んでいたかも知れない」と。学校の教室が好奇心の芽を摘み取る場になることもある。」
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『読売新聞』 (2008年12月10日) |
「雲をつかむような質問だ」というのは、「笑点」的には座布団1枚というところでしょうが、白川教授にとっては、そうとは映りませんでした。「なるほど、面白い発想だ。」と言える余裕がなかったということが、白川教授にとっては残念なことだったのでしょう。
解決策のもう一つは、机間指導の中で、次のことができているかどうかです。
つまずいている生徒の状況が確認でき、アドバイスができるか。
次に指名する場合や、黒板の前で答えを書かせるなどの場合に備えて、生徒の記述の中から課題等を見いだせるか。
特にうまくできている生徒を発見し、上手に褒めるストーリーが描けるか。
これらができずにただ机の間を回っている場合は、机間指導ではなく、「机間散歩」になってしまいます。もちろん、指導以外に、「机間鎮圧」(携帯いじりの注意、居眠りの注意その他諸々)をしなければならない場合は、その苦労は何倍にもなりますが、ただ鎮圧だけをしていても次へはつながっていきません。
教師は、学習という生徒の認知活動を促す存在です。
そのためには、生徒の認知活動が行われてれいる現場、つまり、生徒の頭の中や生徒の机の上から情報を集めなければなりません。
生徒は、中学校までは比較い的多くそういう授業を経験しています。
どこでどういう具合に高校の味を出すか、また、中学と同じであるべき部分をどのようにうまく継承していくか、そこが工夫のしどころです。
もし、自分が昔高校時代にそういう授業を受けたからといって、まったく一方通行の授業しか実施しないのであるならば、それこそは、あなたが嫌うはずの、教室現場を知らない校長や、学校現場を知らない教育委員会・文部科学省と同じ硬直した存在になってしまうのです。
解決には、他にもいい方法があると思います。
いろいろな方法を工夫して、「認知活動の現場」を把握してください。健闘を祈ります。
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