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 035 高等学校の初任者教員の皆さんへ−その2− 発達障がいから学ぶこと

 今回は、特別支援教育に関して、ADHD、LD、アスペルガーなど発達障がいの児童生徒への対応から何を学ぶべきかという視点でお話しをします。
 つい10年ほど前までは、よほどの専門家でもない限り、高等学校の教育現場では発達障がいについては、ほとんど何も知られていませんでした。私も、2000(平成12)年に開催されたある会議で、初めてその存在を知りました。
 現在では、初任者の皆さんの研修には必ずメニューに入っていますし、高等学校にも一定数の割合で発達障がいを持つ生徒が存在していることが常識となっています。
 LD、ADHO、アスペルガーのそれぞれの障がいを持つ生徒の状況を理解して、的確に対応すべきなのはもちろんですが、私自身は、そのことへの対応からは、もっと
汎用性が高い、大事なことが学べると思っています。


1 ADHDとアスペルガーの特色
 では、最初に質問です。
 以下の項目は、
ADHDまたはアスペルガーの児童・生徒のどちらかの特徴から選んできたものとします。では、どちらの生徒の特徴でしょうか?


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

上表は以下の文献を参考に作成しました

山崎晃資著『発達障害と子どもたち アスペルガー症候群、自閉症、そしてボーダーラインチャイルド』(講談社α文庫 2005年)
杉山登志郎編著『アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート』(学習研究社 2002年)


 さて、どれぐらい正解だったでしょうか。
 ADHDとアスペルガーは、似ている点もあるのでここの特色から見るとわかりづらい点もあります。しかし、はっきりいえることは、ADHDは多くの人に認められれば多くの人と仲良くできるという点に大きな特色があり、アスペルガーは、基本的に自閉症スペクトラム(自閉症の連続体)と考えられていますから、人とのコミュニケーションは苦手です。
 ところで、このページでは、「発達障がい」がタイトルに就いていますが、発達障がいそのものを学ぶのではありません。私は、特別支援教育の専門家ではありませんから、発達障がいの生徒の諸君に対する対応を専門的に講義するつもりはありません。その対応から何を学ぶべきかがテーマです。
 そこで、上の1〜12までの項目を確認して次にどこへ進むのかというと、その項目のいくつが、自分に該当しているかという話です。
 もちろん人それぞれでしょうが、私は、上の項目のうち、04・05・06・11・12は、ものすごく納得できます。自分にぴったり当てはまります。
 06なんか、特に共感を覚えます。
 彼女とデータするときなんか、ぶっつけ本番では不安でしょうがないので、必ず事前に「下見」をしました。これって誰もがやるもんだと思っていたら、違うんですね。11は言うまでもないですね。このサイトは基本的には、鉄道と軍事です。(^_^)
 05は、たとえば、プレゼントを上げたりもらったりなんてことも大の苦手です。04、空気が読めません。
 つまり、
わたしは、アスペルガー症候群的性向を持った人間と言うことになります。もちろん、日常的には大きな不自由なく暮らしていますから、決して「障がいがあるというエリア」ではなく、「健常者」の範囲なのでしょうが、そのポジションは、アスペルガーに極めて近いと言えるのではないかと思っています。
 本来の障がいではなくても、それに近い性向の存在がいる、これがこのページの大事なポイントです。


2 ADHDの児童・生徒への支援において大切なこと
 次に、ADHDやアスペルガーと診断された児童や生徒諸君への支援の方法を学習しましょう。
 まずは、小学校のクラスの中にADHDの生徒がいる担任の先生への対応アドバイスです。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 ADHDの児童・生徒は、物事に集中することができず、いろいろなことに興味を持ち、多動です。それをひとつひとつ、「これはだめ。なにやってるの。」と行動規制をしていては、児童・生徒はますますパニックになるばかりです。落ち着いた環境をつくり、一つ一つ約束事がしっかりしていて、うまくいけば褒めてあげ、児童・生徒を認めてあげることが大切です。
 それができるためには、上記のようなHR経営ができていることが前提条件となります。
 ADHDの児童・生徒だけを目くじらたてて叱るというのは最悪のパターンです。
 彼らだけではなく、みんなが落ち着いた環境の中でルールを守るというのが、大切です。
 @教室は落ち着いた環境であるべきです。小学校のHRには、やたら貼り紙ばかりの教室がありますが、かえって注意の集中を妨げてしまう場合もあります。
 AB教師と児童・生徒との約束事・ルールがはっきりしていて、教師の指示がくまなく貫徹されていなければなりません。

 といえば、初任の先生方といえども、これは何も、クラスの中にADHDの児童・生徒がいるかいないかには関係がないことだと気がつかれるはずです。つまり、上手にADHD児童・生徒を支援していくことは、基本的に全児童・生徒に取って理想的なHR経営をすることに他なりません。


3 アスペルガー児童・生徒への支援において大切なこと
 次に、アスペルガーの児童・生徒に対しては、どんなことが必要でしょう。
 コミュニケーションが苦手、相手の気持ちがわからない、全体を見ることができない、手順が代わると対応できない、新しい状況に不安を感じる等の特色があるアスペルガーの児童・生徒には、どんな支援が必要でしょうか。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 @の場面の構造化というのは、いきなり難しい表現です。アスペルガーの児童・生徒は、新しい状況に遭遇した場合、どういう場面にどういう対応をしたらよいかがわかりません。
 したがって、次のBくんのお母さんのように、「こういう場合は、こうするの」と示してあげればいいのです。


【アスペルガーの障がいを持つB君に対するお母さんのすばらしい工夫】■
「悪いことをしたら人に謝らなければならない。それには次の4つの場合があるんだよ。」
 レベル1 ちょっとした失敗。「すみませんでOK」
 レベル2 「ごめんなさい」と丁寧に謝る必要があり。
 レベル3 警察に捕まることはないが、周りの人から悪い子だと思われる、嫌われる。
 レベル4 警察に捕まり、牢屋に入れられる。

 
 ※岐阜県総合教育センター特別支援教育講座「コーディネーターの専門性を高める土曜講座」における
  愛媛大学教育学部花熊曉(はなくまさとる)教授の講演等を参考に作成
 

 これが場面の構造化です。こうすれば、アスペルガーの児童・生徒でも、容易に対応することができます。
 おっと、これは何も、アスペルガーの児童・生徒さんに取ってだけではあ。りませんね。危機への対応マニュアルなんてのは、みんな同じように
構造化してあるものです。
 BDの手順を具体的に示すというのは、学習の場合は、たとえば、黒板に板書する場合、きちんと板書する先生と、いかにもぞんざいな先生がいます。
 高校の教師の中には、「俺のわかりづらい板書を理解することが、まず、高いレベルの学習ができる関門だ」と言わんばかりに、むちゃくちゃな板書をする人がいます。
 アスペルガー症候群的性向である私の場合、中学校になってから増え始めたぐちゃぐちゃに板書する先生の授業は、全くストレス以外の何物でもありませんでした。そのため、途中から「自分のノート記入より板書がへたくそな先生」の授業は、板書を無視して自分で教科書を読みながらノートをまとめる、という具合に方針を変更しました。
 つまり、ストレスがたまる状況に、自分でうまく
バイパスを造って回避してしまったのです。これは、幸い私がそういうことができた幸運な少年だったのでよかったわけで、そうでなかったら、これでつまづいたに違いありません。
 今でも、講演などで、これから、「5つのことを話します。」といって、話の途中で、4つ日目か5つ目か分からなくなってしまう講演者には、大きなストレスと失望を感じます。

 先にクイズ6で引用した、愛媛大学の花隈暁教授は、さらに、アスペルガーの児童・生徒のために具体的な支援として、次の点を挙げておられます。


【 アスペルガーを含む高機能広汎性発達障がいの生徒への接し方のポイント】
@ 不適切な行動や発言をした場合はいきなり注意するのではなく、「なぜそう思ったのか」「なぜそうした
  のをまず聞くようにする。
A 言葉で説明するだけでなく目で見てわかる手がかりを用いる。
   例 写真 絵 番号 スケジュール チェック表
B 初めての経験については、事前にシミュレーション学習をさせておく。
C 不適切な行動・言動に対しては、注意するだけでなく、「こうすればよい」という適切な方法を教える。
D よいところ、得意なところを認め、伸ばす。

 
※岐阜県総合教育センター特別支援教育講座「コーディネーターの専門性を高める土曜講座」における
 愛媛大学教育学部花熊曉(はなくまさとる)教授の講演等を参考に作成
 

4 結論 何が言いたいか
 ADHDやアスペルガー症候群の児童・生徒への対応は、そう簡単なことではありません。
 しかし、ここで示したように、専門的な見地からは、まず普通に取り組むべき対応・支援の具体策が示されています。もちろん、一人一人の児童・生徒によってその状況は違いますから、生徒に障がいのラベルを貼って得意がることよりも、具体的にどのような特色ある行動を示し、どのような対応・支援が効果があるのかを積み上げていかなければなりません。知識よりもそういうリアリティが大切であることを認識することが大事なことです。
 
 そして、そのことと同時に、発達障がいへの対応から見えてくることがあります。
 もともと、障がいと呼べる範囲に入ってしまうように程度が深刻なのか、それとも単なる変わった「性格」と呼べる程度の軽いものなのか、連続スペクトラムのどこに位置しているかによって、その人のストレスやつまづき具合は変わってきます。程度が軽ければ、また、他に力がある高機能であれば、バイパスを造ってストレスやつまづきを回避するのもできるでしょう。
 私の場合は、当然ながら障がいとといえる程深刻ではありません。
 しかし、そういう性向にあるなら、それに適した支援やアドバイスがあったら、少なくとも学習という面においては、もっと楽に能力が発揮できたかも知れません。社会生活においても、トラブルが少なかったかも知れません。
 
 私たちが若い頃は、こうした「障がい」や「性格」分析はまだ稚拙な段階で、たとえば、保健の教科書にはクレッチマーの体格と気質の分類がまことしやかに掲載され、ちまたでは、「血液型性格判断」などが蔓延していいました。(後者、今もか?)
 それに比べれば、人間の行動や性格、認知活動の分析は、脳科学的にも心理学的にもずいぶん進歩しました。
 教える側の技術も、多くの生徒諸君が比較的ストレスなしで学習ができ能力が高まるように、それらの学問の成果を取り入れ、いろいろな視点からその提供する手段を工夫していくべきです。
 ADHDやアスペルガー症候群の児童・生徒への支援を、もっと普通に、どの児童生徒に対しても普遍的に実行していくことこそが、その具体化の一つと思います。


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