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 028 生徒による授業評価2          

 「生徒による授業評価 その1」(以下、「その1」と表現します)では、授業評価の根本的な意味を確認しました。「生徒と向かい合っているかどうかの証明」を得ると言うことは、いわば、教師一個人がどのような気概で「授業評価」を実施すべきかと言うことの裏返しです。

 さて、では、学校全体としては、どうしていくべきでしょうか?
 そもそも、「生徒による授業評価」は、先生の中には、近年わざわざ取り上げられる以前から、当たり前に地道にやって来たという人もいるでしょう。
 それを、あえて、「学校全体として実施する」のである以上、次のような工夫が必要です。

 ただし、ここでは、評価結果を人事考課に利用するという非常にシビアな問題は、否定するものとします。ここに話題をつなげていくと、問題が大きくなりすぎてしまいます。
 あくまで、「授業改善につげるための授業評価」という位置づけで、話を進めます。

1 学校全体としての公表
  まったく同じ内容で実施するか、各教科や先生の独自性も盛り込むかは別として、学校全体として実施する以上、ある部分は数値化して、全体の傾向や状況を数値で把握したり提示したりすることができるようにしなければなりません。
 
 そして、それについて校内研修の場で討議し、本当の改善について全員で取り組まなければなりません。
 「その1」では、岐阜県内で46.5%の学校が実施している書きましたが、その結果について、学校のHP上で公開しているところは、2005年2月20日現在、一つもありません。
 インターネットで検索してみても、あまり多くヒットしないことから、岐阜県だけでなく全国的にも多くはないと思われます。
 例外として、結果の詳細を数値で公開している、神奈川県立追浜高校を挙げることができます。
    ※「神奈川県立追浜高校 Official Home Page」はこちらです。
 追浜高校の結果を見れば、課題が明白となっています。
 たとえば、質問項目1「先生の授業はわかりやすいですか」には、Aそう思う(41.1%)、Bだいたいそう思う(43.7%)という解答が示され、概ね合格であることがわかります。

 しかし、「先生は、年間指導計画(シラバス)を丁寧に説明しましたか」については、Cあまり思わない(28.5%)、D思わない(10.4%)と、否定的な答えが多くなっています。
 同じく「先生は、シラバスに従って授業を行っていますか」という質問には、C21.2%、D4.8%、「先生は観点別評価規準をきちんと説明しましたか」には、C28.1%、D7.3% という解答となっています。

 したがって、総括では、「シラバスや評価の規準・方法等きちんと説明が必要」となっています。
 この結論は、予想の通りでたいしたことはありません。
 しかし、これを公表することに意味があります。公表すれば、来年、再来年と、同じことを書くわけにはいかなくなります。この質問項目が重要であるとの位置づけなら、どうしたら改善できるか、知恵を出さなければなりません。


2 全校体制での改善の取り組み
  評価項目に自由記述がある場合、大変手間がかかることですが、すべてまとめて記載して、少なくとも内部資料としては職員に配布し、校内すべての先生方がその結果を目にとめなければなりません。
 
 これについては、HP上に事例を見つけることはできませんでした。しかし、県内のある高校の先生によれば、そこでは全職員が「生徒による授業評価」を実施し、その結果を踏まえて提出された改善の具体的内容が、「今後どのように授業評価に反映していくか」という資料にまとめられ、職員研修会で示されるという、現段階では理想的な取り組みがあったそうです。
 この学校では、「生徒による授業評価」の実施と同時に、
先生方による「相互授業参観」も実施され、先生方がお互いに改善へ向けて意見を言い合うと言うことも実施されました。
 このような、全校としての前向きの取り組みは、実は、単なる授業の手法の改善にとどまらず、基本的にはもっと大きな問題に取り組まなければならないことを、私たちに気が付かせます。

 特別に「いい子」ばかりがそろっている学校では、黒板の書き方といった狭い技術的な対応をしていれば改善に近付くでしょうが、そんな学校は、そう多くはありません。
 学力があまり高くなく、学習意欲に乏しい「その1」のA高校の様な場合、授業改善は同時に、先生方全員で、前向きに当たり前のことをきちんとするぞと言うことを生徒に宣言することになります。
 視点を変えれば、先生方が「まじめにきちんとやるぞー」と宣言すると、生徒には、サボれないうっとおしい事態が毎日登場することになります。

 できる人が個人的にこれをしても、生徒全体は変わりません。学年主任も、担任も、だらしなく生徒に迎合しているクラスで、自分だけ張り切って「授業評価」なんぞやろうものなら、まじめにやっている分、却って散々に罵倒されるというのも、悲しいかな往々に存在する現実です。

 したがって、ごく普通の高校では、生徒のいやがることをあえて先生全員で実施して、しかも、それを生徒に「正しい」と評価させるという、とんでもなくエネルギーの必要なことを取り組むことを意味します。
 その意味では、「その1」のB教諭のA高校では、いろいろな課題はありながら、多くの先生方が、きちんと立ち向かっていこうとしている学校であることが、推察できます。
 学校全体で取り組むと言うことは、当たり前ですが、「
学校全体できちんと生徒に向き合う」ということに他なりません。

3 真の授業改善につなげるには
 その上で、真の授業改善につなげるには、さらに一つ二つの工夫が必要です。
 一つは、生徒に狭義の意味で「授業評価」をさせるだけではなく、評価の際には
「生徒による自己評価」を含めることが重要です。
 これは、先の神奈川県立追浜高校の評価項目にも入っていますし、東京都が各高校を指導するためにHPに掲載した「全都立高校における「生徒による授業評価」の実施について」にも示されています。
   ※東京都教育委員会の該当ページはこちらです。

 つまり、事業評価をさせると同時に、生徒の学習状況も自己評価させ、双方向から改善に必要な要素を明確化しようとするものです。
 たとえば、追浜高校の場合には、

  1. 授業に積極的に参加していますか。

  2. 授業中に積極的に質問しますか。

 などの生徒自身の「自己評価調査項目」があります。

 これは、この調査に対する生徒の立場(単なる傍観的授業批判者ではなく、自分も授業の主体者である)を正しく位置づける意味に於いても、是非必要な項目です。

 さらに、もう一つ、工夫すべき要素があります。
 それは、
この「授業評価」を1年に一度の儀礼的なものに終わらせず、もっと頻繁に行う実利的なものにすることです。

  1. 声の大きさ、説明の早さは適当であった。

  2. 板書はわかりやすかった。

 などという質問項目は、これまであまり調査を実施してこなかった先生方にとっては、重要な要素です。しかし、見方を変えれば、同じ学校で同じ状況の生徒相手に何年も教える場合、毎年毎年質問する価値のある項目とも思えません。

 教育実習に来た学生が初めて自分の授業を評価してもらう項目としては非常に重要ですが、例えば私の様な、もうすぐ50歳になる(あと6日ですじゃ)教員が、未だに「板書の書き方が・・」と言っていては、いかにも情けない気がします。
 転勤によって、生徒の状況が変わり、それに伴い、教える手法や、内容が大きく変化した場合は、またあらためて質問する価値はありますが、そうでなければ、これを連年続ければ、単なる儀礼となってしまいます。

 このレベルを乗り越えるためには、具体的な授業について、必要に応じて「授業評価」を実施するという次の発想が必要です。
 つまり
、特別な、非日常的な、または不連続で問題としなければならない授業において、その授業に応じた固有の授業評価を実践するということです。
 日本史Bを対象に具体例を挙げます。

  1. 旧国名と現都道府県名の小テストを実施した際に、生徒に以前からそれに関する知識がどの程度有り、どのような学習方法をとったかを確認。

  2. 魏志倭人伝の邪馬台国の位置を資料から読み取る学習をした際に、資料の扱いの方法が今時のやり方で理解できたか確認。

  3. 律令の学習をした際に、基礎的知識となる日本の度量衡の単位の説明が理解できたかを確認。

  4. 分野別学習では最難分野の土地制度史における荘園制度についての学習が、授業に於いて用いた理論と具体例で理解できているかどうかを確認。

  などなど・・・・

 つまり、別にアンケート用紙の使用などのパターンにこだわることなく、自分の授業内容と生徒の自己評価について、必要とあれば、いつでも、「評価」を実施するという、発想です。
 私は、年に一度の儀礼的授業評価だけでは、実質的な授業改善の実現には、何十年もかかってしまうと思っています。
 いかがでしょうか?


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