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 006 イギリスの教育事情と日本  その2                  

 前掲その1で記述したとおり、イギリスの公立学校では、予算の範囲内で校長が教職員の雇用から給与決定までえお行うことができます。それには、一般教職員の評価を行うことが必要です。ケント州の中高一貫公立高校の校長スレイド氏は教員の評価について、次のように説明してくれました。

  • 一般の教職員は、校長から評価されて、職務分担・給与が決まる。
  • 評価は校長が教科ごとのマネージャーの意見と本人との直接面談とによって決定される。
  • マネージャーは、日本でいうと中学・高校の教科主任が人事評価権を持っていると考えればよい。
  • イギリスでは、教職員の職務はアメリカよりも日本に近く、授業の他に、校務分掌、課外活動等の指導、保護者との折衝等も含んでいて、評価の観点は、それらいろいろな要素が含まれている。
  • 校長は、下された評価に基づいて、教職員の給与等を決定する。但し、自ら退職を申し出る以外は、よほどのことがない限り、校長が職員を解雇することはできない。
  • 7年目までは給料はスライド制で上昇するが、それ以上は業績がないと上のランクへはあがれない。
 さらにスレイド氏は、校長自身の評価について、次のように説明しました。
  • 自分の評価は、外部の委員会が決める。
  • 委員会は、保護者・地域の有識者・地方議会議員など20名程から構成され、1年の業績を評価する。
  • 評価のポイントは、ひとつは、退学率の高低。その他の問題は、話し合いによって決められる。スレイド氏は校長1年目であるため、詳しい内容については未経験である。逆に言うと、就任時に、これだけは達成しなければならないというノルマはない。その分、自分の学校経営の特色をアピールして、評価を受けることはできる。

 県の教育委員会が教職員を採用し、国からの費用がその給与の支払いにあてられているという日本の現状では、これらの制度をそのまま取り入れるというわけにはいきません。しかし、教員や公務員(教員ばかりがやり玉に挙がりますが、一般公務員の皆さんも、同じ給料をもらっていても、仕事の能力にえらい違いがあるという点に関しては、教員以上にすごい部分があると思います。)が、もう少し、きちんと評価を受けて、評価によって何らかの差を設けるというシステムを取り入れることについての参考になるのではないでしょうか。
 
 私個人は、評価の方法、評価をする人物とか細かい部分での検討よりも、もっと大きな社会的条件がクリアーされなければならないと思っています。そのひとつは、雇用の流動性です。

 欧米諸国では、雇用全体に流動性があって、かりに教職員として高い評価を受けなくても、他で雇用される可能性があります。
 阪神淡路大震災があった時、欧米からは多くの人がボランティアとして来日しました。彼らは、神戸で活躍したことが、彼らのキャリアにプラスになり、帰国してまたどこかへ再雇用されると聞きました。
 日本なら、ボランティアという崇高な精神を持っていても、多くの会社では、1ヶ月もいなければ、帰ってきたら机はありません。だんだん崩れてきているとはいえ、日本では、まだ、終身雇用的な仕組み、通念が幅を利かせています。

 また、年齢や肩書きではなく、その人物を意見や業績で評価するということについても、今の日本ではまだ「常識」とはなっていません。
 スレイド氏とメッドランド女史が参加したいくつかの会議のひとつに、有識者10名ほどと私たち県の職員が同じテーブルを囲んで意見を交換しあうというのがありました。そういう場の日本の常識として、いくら私が意見を持っていても、○○市教育長、○○市市議会議員、○○会の会長という人たちが居並んでいては、それをさしおいて意見を言うわけには行きません。予想通り最後の方になって、司会の方から発言の機会を「与えられ」、いろいろな意見を言いました。

 その最後に、「日本では、こういう場では、いくら意見があっても、自分のような立場の人は「待つこと」を余儀なくされる」というと、スレイド氏は、苦笑して、「イギリスでは絶対にそんなことはない」と言いました。

 「個性を認める」とは、言うのは簡単ですが、実行には、多大な努力と「辛抱」が必要です。 


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