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 004 教員としての自己評価の方法                   

 静岡中央高校のように「教員が選ばれる」という状況になるかどうかは別として、教員も、仕事をしているごく普通の人間として、自分の仕事ぶりが良いのか悪いのか、評価を下す必要があることは当然です。
 どこの社会でも評価といえば、まず、上司や周囲の評価です。普通の職場では、これが出世や昇級の決め手となることはいうまでもありません。
 
 ところが、教員の世界では(私の県の少なくとも高校の教員の世界では)、この面はあまり強調されません。理由は簡単です。教員は自分の授業が本職であると思っており、上司である校長・教頭は、その授業を見る機会はほとんどなく、したがって、自分が評価されるという発想は持っていないのです。校長が自分の仕事ぶりに対して、どうこう言おうものなら、「授業もみていないくせに」と言う気持ちがおこります。

 そうなると、その授業という教員の仕事のメインの部分は誰が評価するのでしょうか。それは、基本的には自己評価ということになるでしょう。 
 
 教員として23年間、「日本の文化」という特殊な科目だけでなく、普通の歴史や現代社会を担当した場合でも、私がずっとやり続けてきたことがあります。それは、1年のうち最低1回は、自分の授業を生徒に評価させ、授業の改善につなげるということです。
 もちろん、教員を長くやって、正しい観察眼を持っていれば、日々の授業の中でも、生徒の反応を見れば自分のしていることがいいのか悪いのかは、だいたいはわかります。しかし、やはり、生徒にちゃんと書かせてみるということは大事なことです。

 私は方法として、単に感想を書かせるだけでなく(よく最後の期末テストの余白に書かせる教員も見かけますが、あまり賛成はできません)、発問の仕方・板書の方法など、細かな項目を作って数値で評価させ、授業時間内に説明して書かせた上で、さらに、時間をかけて「作品」を作りたい生徒には、後日提出してもよいという形を取ります。次をクリックしてください。1999年度の終わりに実際に使ったものです。【生徒に書かせる評価シート】(通常の科目ではなく、当時で言う「その他」科目、今でいう、「学校設定科目」の「日本の文化」という科目の授業に対する評価シートです。)

 これを20年以上を続けて結果はどうであったかは、あまりにも得られたものが多くて、とてもここでは説明できません。ひとつだけ紹介します。

 18年目にそれまでの県下有数の進学校からごく普通の生徒が入学する女子校へ転勤しました。自分の担任のクラスは、成績のいい生徒とそうでない生徒の成績の差が、高校入試の得点で200点近くある、いわゆる焦点の定めにくい、教えづらいクラスでした。1年間現代社会を担当しましたが、「よくわかる楽しい授業」を進めるために、教員18年目の中だるみ気分など跳んでいってしまうほどの、なかなかの努力の毎日でした。
 
 最後に例によって「反省」(評価)を書かせましたが、そこに、入学時の成績が一番悪くてやっとの思いでついてきているように思えた生徒が、「先生の授業はよく分かって面白い。いろいろ直して欲しい点もあるけど、こうやって私たちの意見を聞いてくれるところもいい。」と書いてくれたのには、正直言って感動しました。
 
 それ以後数年間も、「もういい年齢になったのだからやめよう」と思いつつも、やはり大事な「原点」と思って現場にいる間は続けてきました。
 今こうやってHPに「よくわかる楽しい授業」という形で掲載ができていることもその成果といえるでしょう。

 23年間、毎年毎年、生徒が提出してくれた「評価」を読む時は、褒め言葉のひとつひとつに感動し、批判のひとつひとつに落ち込み、また、いくつもの弁解を考えるうちに、いつしか謙虚になっていき、そして素晴らしいアイデアが浮かんでくる、といったことの繰り返しでした。
  
 選ぶという仕組みそのものには議論を尽くさねばなりませんが、選ばれるような授業を続けることは、教員が普通に取り組まなければならない当たり前のことであるはずです。


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