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 003 先生が選べます                              

  2000年の11月上旬、高校の教員にとってはちょっと驚くべき記事が「朝日新聞」に載りました。
 平成5年に静岡県内初の単位制高校として開校した静岡県立静岡中央高校が画期的な試みを始めるのです。
 インターネット掲載版から次に引用します。

「生徒が自分で時間割りを決める「単位制」の静岡県立静岡中央高校(静岡市城北2丁目)は、開講する科目と担当教諭名を生徒に事前に知らせ、「どの先生の授業を受けるか」も自由に選べる新制度を導入。来年4月から実施する予定。教師との相性が生徒の「やる気」に影響することに配慮し、教える側の意識改革も狙った試みで、生徒の選択の幅がさらに広がる。こうした制度は大学や予備校では一般的だが、文部省高校課は「公立高校で導入するという話は初めて聞いた」という。」

 これは、生徒の保護者からの「せっかく単位制なのだから、科目だけでなく、自分が学びたい教諭の授業も選べるようにできないか」という要望を活かしたものだそうで、生徒が年度初めに時間割りを決める際に使う開設科目の一覧表に、それぞれの授業を担当する教師の名前も明示し、生徒は同じ科目の場合でも、複数いる教師の中から自分が希望する教師の授業を選ぶことができるようするということです。
 
 「生徒が先生を選ぶ」ということが公立学校で初めて制度化されるということでしょう。どういうことが起き、何が必要でしょうか。生徒は何を基準に選ぶのでしょうか?そういう制度はメリット・デメリットどちらが多いのでしょうか。
 
 私が以前いた単位制の総合学科の場合では、特殊な科目においては自ずと担当者が限定されていて、生徒は「○○先生が担当する○○科目」
という認識で科目を選択することになっていました。それは、ある意味では、担当者の力量と責任でひとつの科目の成立・非成立を決めてしまうことになりますから、学習の内容・指導の方法等細部にわたって、「説明責任」を持てるような方法を考え行動を取らなければなりませんでした。平成11年度、私は、地歴公民科のいわゆる「その他」科目で、「日本の文化」という新しい科目を担当しましたが、そういったマイナーな科目は、良くも悪しくも個人の評価が科目の評価になってしまうのが現実でした。

 しかし、国語Uとかリーディングとかいくつも講座がある科目では、生徒は科目の選択はできても、先生を選択する事はできませんから、単位制総合学科の科目選択の仕組みのほとんどは、通常の学科の学年制と代わりはないということになります。 
 静岡中央高校は、多くの選択科目についてそれをやろうというのです。いくつかの私立高校では、すでのこのような試みがなされているという話もきいたことがありますが、静岡中央高校とは、おそらく生徒の学力レベルや学習の意欲などが違っていると思われます。この試みは、英断でしょうか。無謀でしょうか。  


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