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 002 開かれた学校と教員の研鑽                        

 10月の半ばから、「日本経済新聞」の1面に、教育に関する骨太の特集が掲載されています。12月半ばまでの2ヶ月間に、15回を数えました。タイトルは以下の通りです。

[第1部 日本が沈む]
(1)学びを忘れ日本が沈む・「知」の大競争に後れ(10/23)
(2)引きこもる学校・人材の質、企業は危機感(10/24)
(3)プロが危ない・もの考えぬ“受験王”(10/25)
(4)安寧か没落か・競争の大波、名門動かす(10/26)
(5)小学13年生・大学、淘汰に覚悟なく(10/27)
(6)よどむ職員室・先生に警報が届かない(10/28)
(7)選べぬ不幸・情報乏しい学校探し(10/29)
(8)ゆとりの落とし穴・文部行政、耳ふさぐ(10/30)
(9)人物二価・才能流出、戻りもせず(10/31)
(10)自由と規律・良き市民はどこへ(11/1)
[第2部 教えの衰退]
(1)やさしさの罪・緩む評価、人材像見えず(12/12)
(2)ざぶとん争い・「自治」盾に動かぬ大学(12/13)
(3)教育を問う錆びつく授業・「密室」に切磋琢磨なく(12/14)
(4)スローガン行政・夢に溺れ 現場は困惑(12/16)
(5)公共事業もどき・まず集票、理念消える(12/17)

 教育論は山ほどありますが、これは批判される側の我々教育関係者からみても、傾聴に値する論説です。
 その中でも、[第一部](6)の「よどむ職員室・先生に警報が届かない」と[第2部](3)の「教育を問う錆びつく授業・「密室」に切磋琢磨なく」は、少なくとも自分の経験では、悲しいかなあてはまってしまう部分が少なくない、鋭い指摘です。次にその一説を引用します。

 「教室は聖域。のぞいてもらっちゃ困る」。九州の公立高。ベテラン数学教師は、授業を見学したいという後輩の求めを拒んだ。「参考にしたかっただけなのに。批判されると思ったのだろうか」。若手教師は首をかしげる。都心の公立中では抜き打ちで授業見学した校長が職員からつるし上げを食らった。
 教室という名の「密室」。外部からの評価の目がないため、惰性で流しても批判されない。優れた授業を教師同士が見学し合い、技術を共有する仕組みもない。「学ばない先生」は安穏と地位を守り、「学びたい先生」が学ぶシステムもほとんどない。授業が錆(さ)びつく最大の原因だ。 」

 前段のような先生がそう多くいるとは思いたくはありませんが、後段の「学びたい先生が学ぶシステム」があまりないことはいかんともしがたい事実ではないでしょうか。いくつかの「研修」や「研究集会」があっても、それがうまく機能しているとは思いません。

 たとえば、本県の高校教員に対しては、毎年夏休みに各教科ごとの研修会が開催され、教育委員会の指導主事や、校長になっているその教科の「大先輩」のご助言をいただける機会があります。2日間の日程の中には、新しい学習指導要領に関しての説明もあれば、授業の実践報告もあります。
 しかし、とてもいい授業実践発表がなされた時でも、そのすばらしさをより深く認識するための討議とか質問の時間は十分ではなく、また、それから何らかの研修の輪が広がっていくとうことは、残念ながらほとんどありません。 
 日本経済新聞の論説は、別の実践を紹介しています。

 「教師の授業内容を生徒に評価させ、結果を地域にも公開する制度を6月に導入した足立区立第12中学校。保護者や地域住民は、参観日以外にも授業を見学できる。先生の「聖域」を外部の視線にさらすことで、授業内容は飛躍的に改善した。

 理科の授業では、実験の回数が1年前の2倍に増えた。「生徒や保護者、地域の住民といった複数の視点から評価されるから、手を抜けない」(三上弘行校長)。半年前は3割の生徒が「授業が難しい」と答えたが、この秋にはそれが1割足らずに減った。
 不登校が生徒の5%強に達し、学力も低迷していた新潟県長岡市立南中学校。それがわずか3年足らずで地域の学力トップ校に変わった。きっかけはやはり授業公開。98年4月から、生徒の親や地域住民にすべての授業を公開し、一緒に学ぶようにした。

 「カルメ焼きを作ったらどうか」。国語の先生が理科の授業にも助言する。互いに授業を見学し合うことで、先生同士も意見を言い合うようになった。「学ばない先生は、うちにはいられない」(目黒進教頭)。職員室にはプロ意識があふれている。

 学校を公開し、先生も学ぶ。それが学校教育の荒廃を打開する第一歩になる。
 ただ改革を全学校に広げるのは簡単でない。先生は授業以外にも、部活の指導や不登校の生徒の家庭訪問といった仕事がある。早朝から深夜まで働く南中学校の教師たちの目は、慢性的な寝不足で真っ赤だ。熱心にやっても給与は変わらず、自ら学ぼうにも時間がない。文部省は素行不良の問題教師を排除する評価制度を導入する方針だが、それだけでは教えの衰退に歯止めはかからない。
 優秀で熱意がある教員はきちんと評価し、能力が低く無気力な教員は厳しく評価する。今の学校にはそんなごく当たり前のシステムがない。」

 こんなことが、記事にならないように、ごく普通の学校で、ごく普通の校長先生のもとで、ごく普通に行われて行くにはどうすればいいでしょうか。
 みなさんの学校での実践例をお教えください。


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