2010-03
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117 2010年06月19日(土) いい話ではありません。身体画像のコレクションが増えました。(■シリーズV)    

 本日は病気の話です。お宝画像?付きです。
 年齢が50代半ばともなると、誰しも、病気とのつきあいは普通に日常的となります。
 私も現在では、毎日毎日3つの薬を常用しています。


ミケラン点眼薬

写真01 愛用?の薬  

  定期健康診断で、「眼圧が高い傾向にあります。このままでは緑内障になる危険性もあります。」と言われて、5年ほど前から職場近くの眼科にかかっています。
 教え子に大垣市民病院の眼科に勤める眼科医がいて緑内障についてメールで尋ねたことがあります。彼からも、「自覚症状なしに悪化していく性質のものですから、欠かさずずっと点眼し続けてください」と忠告されました。
 すでに何回も受けた視野検査によると、視覚細胞が少し故障していて、視野が1部欠損しているとのことです。怖い病気です。


ザイロリクス錠剤(GSK、つまりグラクソ・スミスクライン社製
 

 これは尿酸値を下げる薬です。30代に2回、腎臓から膀胱にいたる尿管に石が詰まる尿管結石を煩ったことがあります。死ぬほどの激痛を経験しました。
 その時排出された石の成分から「尿酸結石」、つまり高い尿酸値による結石と分かりました。
 また、定期健康診断では、尿酸値は、時に9.0を越える場合もありました。限界値は7.5です。医師から、「このままでは高尿酸血症。結石だけではなく、心筋梗塞等も起こします。食事療法というのもなかなか非現実的ですから、これから一生薬を飲んでください。」といわれました。
 ついでに言うと、痛風にもなりました。この時は足首から下があまりにも痛く、整形外科に行きました。「尿酸値高いでしょう?これが痛風です。」「先生、本当に痛いんです。痛み止めお願いします。」「そうでしょう。風が吹いても痛いので痛風なんですよ。」
 心筋梗塞も怖いですが、尿管結石の痛みも、痛風の痛みも、二度と経験したくありません。それから10年以上、けなげに欠かさず飲んでいます。
 


アクテージAN錠(武田薬品工業社製) 
 

 これは医師からもらう薬ではありません。普通にTVでもCMしている薬です。高齢者の腰痛・膝痛の対応薬です。コンドロイチンと3種のビタミン配合です。
 50歳を過ぎてから、膝痛が始まりました。歩くくらいは何とかなりますが、全力疾走をするとすぐに激痛が走ります。  今のところ左膝だけなので、何とかごまかして運動もできますが、両方くると、スポーツは無理になってしまいます。今でも正座は、それこそ数分しかできず、宴会・葬儀の等の会場では、大変ご無礼をしております。(自分が主催する会合(忘年会も含む)では、和室は許可しません。(+_+))
 


 こうして毎日薬を飲んでいれば大丈夫かと言えば、決してそうではありません。
 今年になって、2度大病院へ行き、CTスキャンを受けました。一度は頭部、そして2度目は心臓です。


1 2010年2月16日 岐阜大学附属病院へ行く

 1月の終わりに、左あごの付け根、素人判断でリンパ腺ののあたりに、腫れ物(グリグリ)を感じました。2週間ぐらいそのままにしておくと、だんだん大きくなり、押さえた時の痛みも、激しくなってきました。
 勤務先近くのかかりつけの病院へ行くと、なじみの内科医は、「ほう。これは何でしょう?紹介書を書きますから、一度
岐阜大学医学部附属病院へ行ってみて、詳しい検査を受けてください。」と、いとも簡単に言いました。
 「うへぇー、大学病院?どんな重大な病気じゃ!!」と不安になりました。しかし、言われた以上、無視するのはもっとストレスがたまります。
 
 すぐ、仕事の合間を見つけて、大学病院へ行きました。紹介先は、
耳鼻咽喉科です。実は、大学附属病院というと、幸いにもここ20数年間大病にかかったことがなく、久しぶりにお世話になる病院です。
 予約もしていなかったので、昔の経験でたぶん大変混雑するだろうと予想して、朝8時前に病院へ着くように出かけました。岐阜大学医学部附属病院は、2004年に岐阜市街地中心部から私の家にほど近い岐阜市北西郊外に移ってきたばかりの、ぴかぴかの病院です。2008年12月には、映画『
ジェネラル・ルージュの凱旋』(中村義洋監督 主演竹内結子・阿部寛・堺雅人 2009年3月公開)の撮影が行われました。
 ※岐阜大学の広報のページ参照 http://www.gifu-u.ac.jp/view.rbz?cd=941


 行ってみて驚きました。
 ひとつは
施設が立派なことと、もうひとつは外来患者数の少ないことです。


 写真02   岐阜大学附属病院正面ホール 午前9時40分           (撮影日 10/02/16)

 これが、映画にも登場した、正面玄関ホールです。ホテルのような造りです。
 そして、この撮影の時間帯は、自分の診察が終わった午前9時40分過ぎだというのに、何という人の少なさ。普通の病院なら、「こりゃはやってないな。ヤブ医者か。」と自然に思ってしまいます。昭和の時代の大学病院はこんな閑散とはしていませんでした。それこそラッシュ・アワー並の混雑で、人また人の中で待っていると別の病気になりそうでした。
 大学病院が医療法の改正によって、
特定医療病院という高度医療の専門病院となったのは、1992年のことです。それ以来、大学病院は紹介状(専門用語で診療情報提供書)がないと高い診察料を取られる病院となり、それと、診療時間の予約制に普及によって、こんな閑散として大学病院が生まれたというわけです。
 ※これは妻の入れ知恵です。彼女は一応看護学校卒です。 


 人が少ないのは、ホールや待合室だけではありません。
 診察エリアも人は極めて少ない配置でした。具体的には、つまり、看護婦さんがいないのです。
 耳鼻咽喉科の待合室エリアで待っていると、自分の診察番号が電光表示板に表示され、「○○番の診察室に入ってください」とい示されました。診察室の前で、看護婦さんが、「○○さん」と呼ぶことはありません。

 診察室の中には、もちろん若い医師がいらっしゃいましたが、その部屋にも看護婦さんは一人もいません。耳鼻咽喉科ですから、胸や背に聴診器を充てると言うこともありませんから、医師一人いれば間に合うという勘定です。
 合理的と言えば、まさしくそのとおり。極めつけの合理性です。 


 肝心の病気はといえば、のどの様子を見られた後、首のグリグリをいろいろ触診されて、「では、詳しく検査するために頭部のCTスキャンをやりますから、検査日を予約してください。」ということになりました。

 あとで説明しますが、頭部のCTは以前にやったことがあり、どんな検査かは分かっています。1週間後にCT検査、されにその数日後に結果の「宣告」という予定になりました。
 
 ところが、検査までの間に、首のグリグリは急にしぼんでいき、僅かにはしこりはあるものの、自分でもあまり気にならなくなりました。案の定、検査の結果は、シロでした。

医師

「この画像を見ると、何もありません。今でも痛いですか?腫れ物はありますか?」

「いえ、検査の数日前から、ほとんど分からなくなりました。痛みもほとんどありません。」 

医師

「そうですか。現段階では、何も病変はありません。また、症状が出てきたら来てください。」 

 ということになり、3日の病院通いと、高い検査料を払って、「無罪放免」となりました。やれやれです。それにしてもあのグリグリは何だったんでしょうか?? 


2 2010年5月27日岐阜ハートセンターに行く

 5月26日の午後、ちょっと左胸が苦しくなりました。以前にもそういうことはあったので、すぐに直ると思い、何の手当もしませんでした。それどころか、たまたま昔の職場の方との懇親会でしたので、あまりお酒は飲めないにもかかわらず、青リンゴサワーを2杯も飲んでしまいました。

 気持ちよく家に帰って布団に入ったまではよかったのですが、それからが大変でした。深夜0時過ぎに、左胸の痛みというか圧迫感というか、なんとも表現の難しい不快感が、強烈になりました。
 1時間、2時間過ぎても、いっこうにおさまる気配はありません。
「これは、心臓がおかしいのではないか?」
 さらに1時間、午前3時間を過ぎても、不快感は弱まるどころかむしろ強くなってきます。
「救急車、かな?」
 隣に寝ている妻を起こそうとしましたが、いびきをかいてグーグー寝ています。
「う〜ん、もう少し我慢するか・・・・・」
 結局、午前5時すぐに一時うとうととした以外、不快な圧迫感のためにほとんど眠ることはできませんでした。

 朝、一番ですぐに病院へ向かいました。
 幸い、現在の勤め先から歩いて5分の所に、
岐阜ハートセンターという、心臓病の専門病院があります。 


 写真03    岐阜ハートセンター                   (撮影日 10/06/15)

 この病院は、2009年2月5日に開院した、心臓病・循環器科の専門病院です。


 写真04    岐阜ハートセンター                   (撮影日 10/06/15)

 屋上にはヘリポートがあります。時々救急患者が運ばれてきます。右奥は、警察本部の庁舎です。その上にも大きなヘリポートがあります。県庁本庁舎は警察庁舎に重なって見えません。(ふれあい会館から撮影)


 この病院には看護婦さんもたくさんいました。少し待って、ちゃんと看護婦さんに呼ばれて、若い医師の診察を受けました。

医師

「胸が苦しいわけですね。それでは、心臓のCTスキャンをやりましょう。今日は時間がありますか?」

「今日これからですか?はい、時間はあります。」

医師

「それでは、これからやりましょう。造影剤を使いますから、撮影後の安全を確認してから帰ってもらうことになります。そうですね、終了時間は12時頃になります。」

「結果はいつわかりますか?」

医師

「もし、また来院されるのが大変でしたら、今日の12時半過ぎまで待ってもらえれば、検査結果をお伝えすることができます。」 

「えっ、今日?そんなに早くですか。」

医師

「はい、撮影したデータを画像処理しますので、少し時間がかかりますが、12時半過ぎなら大丈夫です。」 

「では、よろしくお願いします。」

 この病院は勤務先のすぐそばですから、いつでも来院できますが、今日来てすぐ検査して、すぐ結果を聞くことができるというのは、とても患者に優しいシステムです。

 造影剤を注射され、しばらくしてから、CT室へ入りました。大きなCTの機械には、「
SIMENCE」(シーメンス)とメーカー名のロゴが表示されています。ドイツの有名な総合電機機器・医療機器メーカー、シーメンス社製のCTです。日本史の教科書の大正時代の部分に出てくるシーメンス事件のシーメンスです。
 
 撮影そのものは、頭部も心臓もそれほど時間は違いはありません。体を固定されて、あの大きなドーナツの中に自動的に自分の体が動いていくだけです。ほんの数分で終わりです。
 一度、勤務先に戻って食事を取ったあと、検査結果を聞きに行きました。 


 写真05   私の心臓です                      (撮影日 10/05/27)

 
 

 輪切りのCTスキャンの写真をコンピュータで3D画像に処理すると、こんなグロテスクなものになります。これは、私が特別にもらった画像ではなく、この病院では、患者さんにカラーコピーを手渡すのです。

「この画像はもらっていいですか?」

医師

「はいどうぞ。みなさんにお渡ししています。」

「自分のホームページに掲載したいのですが、著作権とかは問題ないですか?」

医師

「問題ありません。あなたの心臓の画像です。」 

 というわけで、掲載の運びとなりました。


医師

「CT検査、お疲れ様でした。
 この画像をみると、心臓の周りの血管、冠動脈に異常はありません。」

「そうですか。」

医師

「時には、細い血管が詰まって、心臓の1部の細胞が死んでいるということもあります。その場合は、この血液検査のGOT・LDH・CKの数値に異常が出ます。
 しかし、あなたの検査結果を見ると、すべて許容範囲以内です。心臓は正常です。心配はありません。」

 

「それでは、この痛み・圧迫感はなんでしょうか?」 

 医師

「心臓そのものではなくて、肋間神経痛もしくは、胸部の筋肉痛というところでしょうか。」 

 

「えっえっええー。神経痛・筋肉痛ですか?でも、スポーツも何もしていないんですけど・・・。(+_+)とにかく、痛いんです。(-_-;)
 圧迫感がすごいんです。苦しいんです。」
 

 医師

「はい、分かりました。強い不快感があるようですから、痛み止めの錠剤を出しましょう。これを飲んでまだ痛みが続くようでしたら、また来てください。」 

 

「痛み止めですか?お、お、お願いします。」

 
 早速、この痛み止めを飲みました。すると、な、な、なんと不快感は、劇的に消え去ってしまいました。
 
心臓病と思っていたら、筋肉痛・神経痛でした。(-_-;)
 治療費+検査費+薬代=12,650円を払って、健康を取り戻しました。
 夜中に救急車を呼ばなくてよかった。(+_+)起こそうとしても横でグーグー寝ていた妻に感謝です。 


 この大騒動のおかげで、これまでコレクションしていた自分の身体画像二つに、上記の三つ目を加えることができました。ちなみに前の二つとは以下の二つです。(そんな画像集めてどうする!!!) 


 写真06 頭部CTスキャン(撮影日 04/10/18)

 写真07 腹部レントゲン写真(撮影日 05/01/13)

 近所の谷村医院での撮影。
 →
2004年10月24日医学的記念写真partU父編

山内ホスピタルでの撮影。うねっている管はイレウス管。
 →2005年1月23日腸閉塞入院期


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