2009-01
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109 2009年02月28日(土) 父親、グレずにすむ    

 新年から「何かするぞー」と決意して、「三日坊主に終わる」というパターンはよく見られることですが、その年の日記の初日が2月28日というのは、これまた、みすぼらしいものです。(--;)
 何かいいことを書こうと思っているうちに、2ヵ月も過ぎてしまいました。やっと、「いいこと」に巡り会いましたので、記述する運びとなりました。「矢橋ホキ」シリーズをお待ちの方もおありかと思いますが、同シリーズは、もう1週お待ちください。

 2008(平成20)年度は、わが家3人の息子にとって、それぞれ3人とも試験に挑戦する年になっていることは、2008年9月19日の日記に書きました。(→こちらです
中学校常勤講師の長男Kは教員採用試験大学4年生の次男Yは就職試験、そして浪人生の3男Dは大学入試です。
 息子達には、「
3人とも不合格だったら父ちゃんはぐれてやる」と宣言し、上記の日記にも書きました。親としの、息子達への叱咤激励であり、また、率直な気持ちでもありました。

 ところが、途中で本当に「ええい、
グレてやる」という事態になってきました。
 まず、長男Kが3度目の挑戦の教員採用試験に不合格となりました。●
 次に、次男Yが公務員試験等の就職試験に失敗し、卒業を1年延期して来年もう一度大学5年生をやりなおすことになりました。●
 これで●●、
2連敗です。
 父親としては否が応でも、
残る3男Dに期待がかかるところです。
 
 ところが、3男Dがまた、父親にとっては頭痛の種した。
 彼は、「自分一人でしっかり勉強するから、ひとり住まいして大阪の予備校に行って頑張る」といって、大阪の天王寺区上本町にある「
フィリオ Filio」という予備校で勉強するという思い切った行動に出ていました。「気に入った。ここしかない」とか言って、岐阜の人間なら誰も知らない予備校を見つけてきて、アパート住まいして大阪府民浪人生になり、父母の干渉を避けて一人暮らしをするという、末の子らしいちゃっかりした計画です。
 ところが、心配していたとおりと言うべきか、案の定といべきか、父母の神仏への願いも叶わず、模擬試験の成績は低迷しました。第一希望大学の合格判定は、
をもらうどころか、よくて(ボーダーライン)、数から言えば、DEの方が多いという状況が続きました。
 思い切った計画は、うまくいけばあっぱれですが、失敗すれば後悔がつのります。「やっぱり、一人暮らしは失敗だったか?!?!」

 12月になって、彼は彼なりにあまり芳しくない状況を判断して、思い切った作戦に出ました。
 受験する大学を極端にしぼったのです。第一志望大学のA大学経済学部の2学科以外は、それよりはずいぶん合格しやすいD大学だけを受けるという作戦です。2番手B大学、3番手C大学を受験するという常道の作戦を敢えて捨て、第一志望突破に懸けたわけです。
 潔いと言えなくはないですが、無謀といえば無謀です。

「これはまた思い切った作戦だな。A大学に落ちたら、本当にD大学に行くのか?」

「わからん、あまりそういう気はない。」

「それなら、2浪の可能性もあるではないか。もうちょっと何とかしろ。」

「いや、これでいい。父ちゃんも昔そういう作戦だったといっていた。それで合格した。」

 痛いところをつかれました。
 父も、36年前にそういう作戦とり、「退路を断って」自分を追い込んで合格したのでした。「ちょっと待て。父ちゃんの場合は、それは現役の時の作戦・・・」と言いかけて、止めました。
 もうこうなったら、一か八かです。

 1月31日に大阪のアパートを引き払った彼は、2月1日から名古屋で受験シリーズに入りました。受験の日は、毎朝JRの西岐阜駅まで車で送りました。合計6回です。
 発表日は2月18日でした。最近はインターネットで確認できます。携帯に連絡が入りました。
「経済学科が受かった」
 
 やれやれです。
 聞けば、第一志望大学の6回の受験機会は、1勝5敗だったとのこと。まさしく薄氷を踏む感じの勝利です。ラッキーだったとしか言いようがありません。
 父は、これで、グレずにすみました。(^.^)


 数年前に滋賀県草津市の南部丘陵にできた立派な大学施設に行ってきました。名神高速道路から見えます。本部は京都にあります。 


 2月21日に大学に行って、生協に加入し、すぐにアパートを決めてきました。 


 合格の翌日から、生活協同組合の「新入生支援」が始まります。冷蔵庫+掃除機+電子レンジ+ベッド+布団の5点セットで、99,800円です。 


 「大学まで自転車で15分ぐらいで通学できるところ」との条件にかなう物件は、合格後早めに出かけてこともあって、簡単に見つかりました。
 しかし、最大の問題は、家賃の高さです。
 ちょっと大学からは遠目で周りが田園に囲まれていた東広島市の2階建てアパートだった長男Kの大学時代のそれは、僅か3万8000円でした。
 名古屋市東部の住宅地であったものの、面積が狭かった次男Yのアパートは、4万5000円でした。
 ところが、3男Kのそれは、大学に近い高層アパートの8階で、面積もまずまずであるため、インターネットもつけて5万6000円と高額になりました。
 
 「ちょっと高いなー。兄ちゃん達が聞いたら怒るぞ。」
 まあ、それでも、グレずにすんだのでいいっか。
 心配した分、グレずにすんだので、大甘になってしまった父の気分のとしては、財布のひもはゆるゆるです。
 これもそれも3男Kの計略であるとしたら、見上げた末っ子です。(^_^) 


 このアパートの8階が新居です。


 この日の天気は雪交じりのみぞれが降るあいにくのものでしたので見晴らしはよくありませんでした。中央の水面は琵琶湖、奥は比叡山です。晴れたらなかなかの眺望です。 


「ひょっとしたら、自分の給料から家賃を払うと就職してからは住めないようないいアパートだと思う。
 頑張って欲しい。自分の人生、自分で切り開くんだぞ。」

「わかった。」

「卒業時にまた父がグレてしまうことがないようにしていほしい。」

「はいよ。」

 とりあえず、めでたしめでたし。


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