新年から「何かするぞー」と決意して、「三日坊主に終わる」というパターンはよく見られることですが、その年の日記の初日が2月28日というのは、これまた、みすぼらしいものです。(--;)
何かいいことを書こうと思っているうちに、2ヵ月も過ぎてしまいました。やっと、「いいこと」に巡り会いましたので、記述する運びとなりました。「矢橋ホキ」シリーズをお待ちの方もおありかと思いますが、同シリーズは、もう1週お待ちください。
2008(平成20)年度は、わが家3人の息子にとって、それぞれ3人とも試験に挑戦する年になっていることは、2008年9月19日の日記に書きました。(→こちらです)中学校常勤講師の長男Kは教員採用試験、大学4年生の次男Yは就職試験、そして浪人生の3男Dは大学入試です。
息子達には、「3人とも不合格だったら父ちゃんはぐれてやる」と宣言し、上記の日記にも書きました。親としの、息子達への叱咤激励であり、また、率直な気持ちでもありました。
ところが、途中で本当に「ええい、グレてやる」という事態になってきました。
まず、長男Kが3度目の挑戦の教員採用試験に不合格となりました。●
次に、次男Yが公務員試験等の就職試験に失敗し、卒業を1年延期して来年もう一度大学5年生をやりなおすことになりました。●
これで●●、2連敗です。
父親としては否が応でも、残る3男Dに期待がかかるところです。
ところが、3男Dがまた、父親にとっては頭痛の種した。
彼は、「自分一人でしっかり勉強するから、ひとり住まいして大阪の予備校に行って頑張る」といって、大阪の天王寺区上本町にある「フィリオ Filio」という予備校で勉強するという思い切った行動に出ていました。「気に入った。ここしかない」とか言って、岐阜の人間なら誰も知らない予備校を見つけてきて、アパート住まいして大阪府民浪人生になり、父母の干渉を避けて一人暮らしをするという、末の子らしいちゃっかりした計画です。
ところが、心配していたとおりと言うべきか、案の定といべきか、父母の神仏への願いも叶わず、模擬試験の成績は低迷しました。第一希望大学の合格判定は、Aをもらうどころか、よくてC(ボーダーライン)、数から言えば、DEの方が多いという状況が続きました。
思い切った計画は、うまくいけばあっぱれですが、失敗すれば後悔がつのります。「やっぱり、一人暮らしは失敗だったか?!?!」
12月になって、彼は彼なりにあまり芳しくない状況を判断して、思い切った作戦に出ました。
受験する大学を極端にしぼったのです。第一志望大学のA大学経済学部の2学科以外は、それよりはずいぶん合格しやすいD大学だけを受けるという作戦です。2番手B大学、3番手C大学を受験するという常道の作戦を敢えて捨て、第一志望突破に懸けたわけです。
潔いと言えなくはないですが、無謀といえば無謀です。
父 |
「これはまた思い切った作戦だな。A大学に落ちたら、本当にD大学に行くのか?」 |
D |
「わからん、あまりそういう気はない。」 |
父 |
「それなら、2浪の可能性もあるではないか。もうちょっと何とかしろ。」 |
D |
「いや、これでいい。父ちゃんも昔そういう作戦だったといっていた。それで合格した。」 |
痛いところをつかれました。
父も、36年前にそういう作戦とり、「退路を断って」自分を追い込んで合格したのでした。「ちょっと待て。父ちゃんの場合は、それは現役の時の作戦・・・」と言いかけて、止めました。
もうこうなったら、一か八かです。
1月31日に大阪のアパートを引き払った彼は、2月1日から名古屋で受験シリーズに入りました。受験の日は、毎朝JRの西岐阜駅まで車で送りました。合計6回です。
発表日は2月18日でした。最近はインターネットで確認できます。携帯に連絡が入りました。
「経済学科が受かった」
やれやれです。
聞けば、第一志望大学の6回の受験機会は、1勝5敗だったとのこと。まさしく薄氷を踏む感じの勝利です。ラッキーだったとしか言いようがありません。
父は、これで、グレずにすみました。(^.^)
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