私の家族とニュージーランドのレスリー家との交流記です。
ニュージーランドとの草の根交流1


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 B ニュージーランド研修1996年2月  |目次へ戻る |

 1996年2月10日(土)夕刻、岐阜第一女子高校国際文化コースの生徒80名と引率教員6名を載せたニュージーランド航空の飛行機は、名古屋空港を飛び立ちました。
通常の修学旅行とは違う、9泊10日の長い長い海外研修です。

【生徒の活動】
 渡航費は25万円。入学時から積み立てたものです。姉妹校との交流ですから、ただの物見遊山の研修ではありません。生徒は次のような日程をこなしました。

  1. オークランド市内研修(これは観光が目的)

  2. パーマストンノース女子高校での日本文化発表会(書道・剣道・料理など)

  3. 同高校生徒の家でホームステイ

  4. テアワムツ周辺地域でのファームステイ

  5. ロトルア周辺のマオリ文化、ワイトモ鍾乳洞ツチボタルなどの見学

 国際交流担当のO先生によれば、姉妹校提携契約というのはずいぶん難しいところもあるそうです。たとえば、こちらからは毎年80人が渡航、向こうからは3年に一度30人ほどの渡航では、バランスが悪いといわれたそうです。また、いろいろ面倒を見るメリットは、日本の文化をニュージーランドの生徒の前で紹介してくれるところにあるのだから、しっかりとやって欲しい等々。 
 日本なら、「とにかく歓迎」といったところですが、欧米社会の契約の概念は、こんな所にもシビアでした。
 
【日本語学習】 
 パーマストンノース女子高校では、日本語の授業等を見学しました。この学校に限らず、この地の学校では、選択科目として日本語を学習する生徒が結構います。この国にとって日本は重要な観光客の供給源ですから、日本語の学習は、観光産業への就職等に有利です。
 この時もこの後も何度もニュージーランド人の日本語を聞きましたが、そのたびに、アメリカ人などとは違って、発音が非常に日本的であることに気が付きました。つまり、アメリカ人のようになまってしまわないで、ひとつひとつの発音がしっかりとできる人が多いのです。
 
 はじめは、人前でしゃべることに自信のある人がしゃべっているのだから、そんなものかと思っていました。しかし、ある時ふと気が付きました。
ニュージーランド人は、アメリカ人やイギリス人よりも、日本語の発音は得意なのではないだろうかと。

 その理由は、ニュージーランドの原住民である
マオリ族の言葉にあります。
 マオリ族は、紀元800年頃、ポリネシアから海流に乗って渡ってきた人たちで、ニュージーランドの歴史はここから始まります。1840年代以降白人が渡来して多数派となり、現在では、全人口の9%しかいません。
 ところが、ニュージーランドの地名の多くは、先住マオリ族のことばからきています。オークランドなど近代的都市は英語名ですが、地方の町の名前はマオリ語です。

 このマオリ語は、大昔いつかの時代までは日本語と同じ仲間であった(正確には日本語だけが特殊化した)マライ・ポリネシア語に属し、ひとつひとつの発音は、基本的には、子音+母音、または母音単独でできています。
 これは、一般の欧米人にはなじめないことで、特に、母音が連続する場合など、まず発音できません。たとえば、「青い絵」(aoie)は最も端的な例です。これには、子音はありません。欧米語には、こんな単語はありません。

 ところが、マオリ語には、同じような発音が見られます。たとえば、マオリ語でニュージーランドの島は、「白く長い雲がたなびく島」(
aotea  roa)「アオテアロア」となります。上述の地名も、テアワムツ(teawamutu)、ワイトモ(waitomo)、ロトルア(rotorua)となります。
 このような地名になじんでいる、ニュージーランドの白人は、日本語の発音にそれほど苦しまないと言う説明です。

 これは、どなたか言語学者が言っているかもしれませんが、そこまで調べてはいないので、一応、私のオリジナルと言っておきましょう。


 パーマストンノースガールズ高校の日本語の教室。

 ひらがなのカードで学習中です。


【マオリの文化】

 以前と違って、今のニュージーランドでは、少数民族であるマオリ続もあからさまに差別を受けると言うことはありません。ロトルア地区ではマオリ文化が保護されていて、観光客はマオリの民族舞踊を見ることが定番となっています。
 しかし、単なるショーで終わるのなら、少数民族のアイデンティティは認められていないに等しいでしょう。
 今度の研修では、歴史の教師の私としては、マオリという少数民族がニュージーランドでどう生きているかも興味あるところでした。
 結論から言うと、マオリの文化は単なる観光を越えたところに活かされていると感じました。以下は、平成7年度「海外研修の記録」から私の研修記録を抜粋したものです。


 バスで移動中にガイドから数々のマオリの神話を聞いた。トンガリロ山と他の山の恋人争奪の話は愉快だった。山に、男女の区別があるのもいい。北海道のアイヌの神話に似たものを聞いたことがある。
 昔のマオリの人々は、山に岩に木々に草花に、そしてすべての自然物に神が宿ると考えていたに違いない。これそのものは、原始社会に一般に見られる典型的な信仰(アニミズム)で、この国特有のものではない。我が国の神道の起源のひとつもこれにあるだろう。
 
 しかし、我が国と違い、この国にとって幸福なことは、西洋的合理主義の思想が普及することが遅れたせいか、マオリの神々の信仰が今に至るまで強く残っていることであろう。
 
 それは単に、民俗芸能や衣装・住居のレベルの話のみではない。出発前、ニュージーランドの重要な輸出品に木材があることを聞いていたが、その国土の多くの部分に原生林伐採禁止区域が設定されていて、林業は許可された植林地域のみで行われているということを聞いて驚いた。また、この国最大の都市で、人口が100万近いオークランドの位置するワイテマタ湾の湾口にある火山島ランギトト(左下の写真の遠景)が、自然保護区域に指定され、まったく人間の立ち入りができない島であることを聞いてまた驚いた。 
 
 きっと神々いるせいである。林や島の中にではなく、人々の心の中に。
 
 マオリの神々は、環境保護やエコロジー重視の思想という形に姿を変えて、現代にまで受け継がれているのではないか。この国がその発想に長けているのは、何も国土(日本の4分の3の広さ)に比べて人口が少ない(日本の35分の1ほどの約350万人)だけではないような気がする。バブル景気といっては、緑なす国土無数のゴルフ場に変え、ふるさと創生といっては、情緒豊かな村々にけばけばしい構造物を構築し、賛否両論沸騰の中で敢えて数少ない自然の大河の河口に巨大な堰を作る国とは、やはり、根本の発想が異なると言わなければならない。


 ホテルで毎日繰り広げられるショーだけのマオリ続なら、陳腐以外の何物でもない。この国に行き、それ以上のものを感じてしまったのは、単に旅先故の非日常的な感受性のせいなのか、それとも、自然に対する敬虔さをどこかに捨ててしまったあまりにも悲しい国から来た旅人の当然の思いなのか。
 
 
 パーマストンノースの私のホームステイ先のモリス博士は、ある日の夕方私をヒマタンギ海岸へ連れていってくれた。
 午後8時45分、我々以外にほとんど人がいない、もちろんゴミもコンクリートの構造物も何もない海岸で、遙か西方海中に没する真っ赤な巨大な太陽を眺めた。後で記念写真を見たら何も感じない普通の日没であったが、少なくとも、赤い太陽を見ている瞬間には、そこにもそこにたつ私の心の中にも神々がいた。


 ロトルアのホテルでのマオリ族のショー。
 戦いの前のダンスは、NZのラグビーチームオールド・ブラックスの試合前の「儀式」に取り入れられていますが、なんとなく日本語っぽく聞こえるのは、上記の発音の構造のせいだと思います。


オークランドの湾口に横たわるランギトト島。

自然が一杯の海。背景はランギトト島。


【太陽がなかなか沈まないニュージーランド】
 夏のニュージーランドは、一番北に位置する都市(つまり一番赤道に近い)オークランドですら、午後9時30分を過ぎてまだ太陽は沈みません。最初は、この原因は、緯度が高いためと思っていました。ところがよく調べると、オークランドの緯度は南緯37度くらいです。日本と比較すれば、福島・仙台の方がもっと緯度は高いのです。夏時間を採用していますから、1時間余分としても、夏至のころ、新潟や福島は午後8時半過ぎまで日没しないなんてことはないはずです。
 
 ちゃんと他の理由がありました。ニュージーランドは時間の標準線として180度線を使ってます。世界で最も早く朝が来る国で、日本との時差は普通で2時間です。(夏時間では3時間)
 ここで、日本人が気が付かないことがあって、錯覚が生じました。日本の場合は、標準時の子午線135度線は、日本のほぼ中央の明石市を通っていますが、ニュージーランドの180度線は、遙か東の洋上にあります。縦長のニュージーランドは、ほぼ172度あたりに位置します。

 つまり、ニュージーランドでは、夏でも夜明けは遅く、その代わり日没はなかなかこないということでした。緯度よりも、経度の問題でした。意外なところの錯覚です。

【太陽が西から登る】
 錯覚といえば、太陽の動きには困りました。南半球の国ですから、夏とは言え太陽は、東から上がって北の空を通って西に沈みます。これが、どうも変です。太陽が南中するのではなく。北中します。そうすると、太陽が通る空は南と思っていると、何か太陽が西から昇って東へ沈むと思えて仕方ありませんでした。日本に来たケレンも反対だといっていましたから、これは太陽の動きに敏感な人は誰しもが抱く錯覚のようです。


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