これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に研修で出かけた北方領土色丹島の訪問記と、ついでに回った、北海道東部の旅行記です。


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C コーラルホワイト号根室出港、一路国後島へ 

○コーラルホワイト号、根室出港
 9月19日午後、結団式や事前研修会等をつつがなく終えた教育関係者訪問団一行は、バスで根室港に案内されました。
 そこに待っていたのは、コーラルホワイト号。

 豪華客船を夢見ていたわけではありませんが、海なし岐阜県のしかも乗り物酔い常習の三半規管未熟者、おまけに水泳苦手の私としては、もうちょっと大きな船だといいなあ、と率直に思ってしまう小ささでした。
 これで、長さ45.80b、最大幅7.80b、喫水線下4.10b、334トンの「豪華船」です。北方領土訪問の日程は、3泊3日ですが、色丹島にはホテルがないため、宿泊はすべてこの船中になります。(かの有名な「宗男ハウス」は、国後島にあります。)

 船は、関係者と右翼宣伝カーの見送りを受けて、9月19日16時45分、根室港を出港しました。
 右翼というのは、私もここに来るまで知りませんでしたが、外務省の関係者によると、こうした形の「交流」は「国辱」にあたるという考えから、実はこのビザなし交流は一部右翼団体のモーレツな反対を受けているのです。

 コーラルホワイト号の停泊している所とは反対側の岸壁から、ボリュームいっぱい上げて宣伝カーががなります。
 「外務省、わかっているかー。お前らのしていることはー、国辱だー。北方領土へ行ったら、もう帰ってくるなー。」
 それは困る・・・。

出発前の根室港のコーラルホワイト号。   3日目、色丹島穴澗湾のコーラルホワイト号。 

 3泊することになる船内で、私たちは早速、「寝床」を割り当てられました。本来は1等船室とかあるのでしょうが、今回は、訪問団全員に全客室を割り当てたため、一人部屋、二人部屋、8人部屋、カーペットルーム(10人以上の雑魚寝)と、同じ団員でも、ずいぶん差がついてしまいました。団長(広島の中学の校長先生K氏)はもちろん一人部屋ですが、私は全くの偶然で、結構上等な部類の、二人部屋を割り当てられました。写真右上。

 写真左下はシャワールーム、窓から海を見ながらのシャワーです。トイレも含めて、揺れながらの「作業」はなかなかコツがいります。

写真右下は、食堂です。合計5食(朝3,昼1、夜1)、御世話になりました。カレーライス、うどん、海の幸、まずまずでした。
 船には、船長のW氏以下、1等航海士・2等航海士、甲板長・甲板員、司厨長(コック長)・炊事員、機関長と合計8人が乗り組んでいました。
 

○北方領土への航海
 根室港、国後島、目的地の色丹島は、右の地図のような関係にあります。
 納沙布岬と色丹島は、直線距離にして73qですから、航海速度10ノット(時速約18キロ)のコーラルホワイト号なら、根室からそのまま色丹島へ向かえば、5時間弱で着いてしまいます。

 ところが、ここはロシアの施政権下にある北方領土。
 ロシアとの取り決めで、いくらビザなし交流とはいえ、自由自在というわけには行きません。
 まず、ロシア施政権下の海域にはいるには、必ず、地図に示された中間点を通らなければなりません。国と国となら、国境線です。

 中間点は北緯43度28分、、東経145度46分に設けられています。とはいっても、海上に×マークがあると言うわけではありません。ここを通るとき、国後島古釜布(ふるかまっぷ)のロシア警備当局へ無線連絡を入れます。そうすると、ロシア施政権下の海域に入っても、警備艇に追いかけ回されることはありません。

 根室出港から1時間15分、東の果てはもうとっぷりと日が暮れた18時、コーラルホワイト号は、中間点を越えて、北方4島海域へ入域しました。

 そこから、北へ転進して、国後島の古釜布へ向かいます。中間点から古釜布までは、3時間15分。色丹島へ直接はいけないのです。理由は、国後島古釜布で、ロシア側の入域審査を受けなければならないからです。
 「北方4島は日本固有の領土」と主張する我が国にとっては情けない話ですが、外国に行くのと同じように、パスポート代わりに作られた書類(顔写真が貼ってある)をロシア当局に見せて、入域の許可を得るわけです。

 外務省は、北方領土は日本固有の領土であるが、「見なし外国」(外国と見なされる地域)であるから致し方ないという見解です。

 古釜布到着は、深夜、23時5分。
 この日は、低気圧の影響で波は普通にあり、船酔いの危険がありました。船長の指導の通り、酔い止め薬と漢方胃腸薬を一緒に飲んだ(こうすると酔い止めがよく効くそうだ)私は、7時にはもうぐっすり眠っていて、投錨も知りませんでした。
 しかし、それでも船の上、深夜も1時間から2時間おきに、船の微妙な揺れで起こされてしまい、熟睡というわけにはいきません。
 

○国後島、古釜布湾
 9月20日朝9時30分、国後島古釜布湾で、ロシア船に乗ってやってきたロシア当局の係官によって、入域のための
審査がありました。
 やってきた船は「友好号」。
 これまた鈴木宗男さんのゆかりの船です。ところが、この船の船長の操縦がへたくそで、「敵船」は、止まっているコーラルホワイト号の左舷舷側に衝突してしまいました。幸いこういう時のための緩衝材を舷側にぶら下げていたので、落下防止用の柵がひん曲がった程度の軽傷で済みました。

私「これって修理費の請求できますか。」
甲板長「いや、どうせ払ってくれないから、たぶん請求などしないつもりです。」
横柄だぞ、ロシア船め。

 手続きは比較的簡単に済み、10時05分、コーラルホワイト号は進路を東南に取りました。色丹島へ向け4時間の航海です。


 

 国後島古釜布湾に停泊するコーラルホワイト号に接舷するロシア船友好号。東京の造船所で建造された船で、「宗男ハウス」と同じく、鈴木議員の肝いりでロシアに渡された。
 ところが、その友好号が衝突。左下の写真のように、コーラルホワイト号の左舷の転落防止柵がひん曲がってしまった。
 友好号の甲板にいるのは国境警備隊員。
  下は、古釜布の町。色丹島でもそうだったが、ロシア住民は、2階建てのアパートのような建物に住んでいます。

 ところで、遭難したときのためにライフジャケットの説明がありました。胸のところには、ちゃんと笛が付いているのです。ほらあの、映画「タイタニック」で、デカプリオが海の中でピーと吹いたやつです。
 いや、そんな笛は使いたくありません。
 


 

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