2023年の夏,妻が思い出したようにあることを言いだし始めました。
妻
|
「もう一度アメリカへ行って,今度はスティーブ夫妻に会いたい。会いたい。」
|
私
|
「私がパーキンソン病で車椅子が欠かせないし,スティーブは骨肉腫に罹って治療中だし,無理無理。」
|
妻
|
大丈夫。今から準備すれば何とかなる。」
|
妻の言うもう一度とは,彼女は2000年と2005年にアメリカを観光旅行で訪問していて,今度が3度目の米国と言うことになります。尤もこの2回は,「ラスベガス・グランドキャニオン4泊6日」と「NY3泊5日」という,今なら弾丸ツアーに近いものではありましたが・・・。
彼女の言う「今度はスティーブ夫妻」とはこれまでもこの「未来航路」のページで何回も紹介してきたアメリカアイオワ州に住むアメリカ人の友人夫妻のことです。(→アメリカとの草の根交流記)
1992年私とスティーヴがclose up財団のプログラムに参加し相互にホームスティ。
2009年スティーヴの次女H、福井県の外国語指導助手として来日し,3年間勤務。岐阜の我が家へ何度もステイ。
2011年スティーヴ,2度目の来日。
こうして,私とスティーヴは1992年以来32年の友情を温め合ってきました。
しかし,この間,閉所恐怖症のスティーブの妻Mには,飛行機で日本に行くという選択肢はありえず,会える機会はなかったのです。
「それならこちらから出かけよう。」 妻は双方の夫が病気であることも忘れて,2023年秋頃から果敢に,積極的に,無謀に,計画を立て始めました。以下その骨子です。
- この数年間国内旅行を共にした友人のKさんに頼んで,JTBの旅行プランナーを紹介してもらい,いろいろ便宜を図ってもらう。
- 英会話能力を向上させるため,渡米まで自家用車の中を中心にひたすら英会話を流す。
- 現地で随行員として日本語の分かる人をできるだけ依頼し,意味のある旅行にする。
- ホテルはそこそこのランクのものとする。
ところが,2023年12月2出て来たJTB案を見て驚きました。値段が恐ろしく高いのです。20年前の弾丸ツアーの時は,家族5人出かけて,合計で150万円前後でした。もちろん今回は20年前とは事情が違っており,200万円程ではないだろうかと予想していました。しかし,実際にJTBから来た見積もりは,3人で330万円という恐るべき数字でした。
これではいくら何でも高すぎます。最大の問題は円安でした。自分たちの計画での為替レートは,1ドル=149円というまだ最悪ではありませんでしたが,それでも20年前の1ドル=105円前後と比べれば月とすっぽんです。
飛行機の料金,燃料油,アメリカの物価高・・・何れも最悪です。
私は見栄も捨てて友人夫妻とその娘にメールしました。
私 |
「費用を総額1万4000ドル以下(約200万円)に抑えたい。比較的安くて安全なホテルを紹介して欲しい。」 |
S |
「任せておきなさい。
まず,デモインでは空港と我が家の中間にある,カジノや競馬場も備えた,praile medows を予約してやろう。
ワシントンでは,ヒラリーのマンション近くのビジネスホテルに予約を取ろう。高級ホテルでなくともそれで十分だろう。そして,きみたちがデモインとワシントンにいる間は,常に私と妻と娘の誰かがあなた方を案内する。どうだい。」 |
私 |
「待て,それではあなた方に経済的にも時間的にも過重負担となってしまう。いけない。」 |
S |
「何を言う。私が2回目に日本に行ったとき,あなたはそうしてくれた。お返しをするだけさ。」 |
私 |
「まいった。ありがとう。」 |
|
|
|
写真01 (撮影日24/07/23) デモイン郊外のホテル プレイリー・メドウズ。こんなにいいホテルの宿泊をS氏はおごってくれた。きみが岐阜に来たときと同じと言うが,人数が違うよ。今回我らは3人だぜ。
|
|
写真02 (撮影日24/07/24) ワシントンDCとヴァージニアの境にあるホテルハイヤット・パレス。Sの娘Hの紹介。Hのマンションから至近でHの自動車でワシントン市内へ出かけるのに便利でした。
|
アメリカ人にも当然「義理」「人情」はあるのです。
こうしてなんとかかんとか2024年の春には,下の地図のように我が「PD患者北米大陸を歩く」の8泊10日の計画ができあがりました。費用は何と総額180万円(約12,000ドルでした。皆さんに感謝。
|