東アジア世界3
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<解説編>
 
402 中国の紙幣に描かれた民族とは?                        東アジア世界の問題TOPへ
 次の項目で説明します。

1 紙幣の民族(つまり正解)
2 中国紙幣のデザインの変遷


 
1 紙幣の民族(つまり正解)

それでは、順に正解を示します。正解以外の少数民族も、黄色字で示しました。
 以下の解説等は、主に次の書物を参考にしました。
  ※冨田昌宏著『お金が語る 現代中国の歴史』(三省堂 1997年) 
 

 高砂族と満族の男性です。
 満族は東北地方(旧満州)を中心に全国に居住しています。
 高砂族は、台湾に住む少数民族です。台湾の、民族を紙幣のデザインにするのは、もちろん、中華人民共和国にとっては、当然領土内に住む民族だからです。高砂族は本土にも少し住んでします。

 きれいな髪飾りの布依族と朝鮮族の若い女性です。
 朝鮮族は、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国とおなじ、朝鮮民族です。東北地方(旧満州)などに住んでいます。
 布依族(可愛い!!)は、南部の貴州省に住んでいて、255万人ほどいます。(少数民族中10番目)
 

 ミャオ(苗)族と僮族(チワン族)の女性です。
 たくさんの飾りの付いた髪飾りの女性は、広西・雲南などに740万人が住む、ミャオ族です。
 刺繍のある頭巾を被った女性は、少数民族中最大の1560万人のチワン族です。

 ウイグル族とイ族の女性です。
 ウイグル族は、新彊ウイグル自治区を中心に720万人を数える。モンゴロイド系ではなくコーカソイド系の顔立ちの人が多い。(美人です)
 イ族は四川省を中心に650万人を数える。

 回族の老人とチベット族の女性です。
 回族は、寧夏回族自治区を中心に華北各地に860万人が居住。人種的には漢民族で言語も漢語ですが、イスラム教徒である点が違います。
 チベット族は、チベット自治区を中心に、460万人が居住。 

 モンゴル族の年配の男性と漢族の若者。
 漢族は、全中国の92%を占める多数派民族で、それどころか、世界で最大の民族です。
 モンゴル族は、内蒙古自治区を中心に480万人が居住。これも意外ですが、その北のモンゴル人民共和国のモンゴル人は209万人しかいません。

 6民族のうち、いくつ正解だったでしょう。ちょっと難しいですね。

2 中国紙幣のデザインの変遷

 さて、これらの紙幣のデザインですが、実は、現在発行されている紙幣のデザインではありません。一つ前のシリーズの紙幣です。
 ではここで、中国の紙幣の変遷について、ちょっと説明します。
 中華人民共和国は、1949年の建国以来、これまで5つのシリーズの紙幣を発行してきました。

第1シリーズ 1949〜1953

 1949年1月から1953年12月にかけて発行されました。
 今の銀行券と違って、
最高額面は、50000元と高額です。
 この時代は、建国時の「戦時期」に当たり、混乱の中でインフレが進行し、当初は100元券でも高額紙幣だったのに、それを上回る高額紙幣が次々と発行され、ついには、50000元紙幣まで発行されたというわけです。
 全部で78種類発行された紙幣のデザインは、中国各地の農業、牧畜、工業などの様子、列車や船などの交通機関、景勝地の風景などが生き生きと描かれています。
 建国当時の中国各地の様子がうかがい知れる紙幣です。
   ※残念ながら現物は持っていません。
     中国の紙幣の解説に詳しい「中国人民銀行」のサイトはこちらです。


第2シリーズ 1955〜1962 

 1955年2月、国務院は新しい紙幣を発行し、旧銀行券を回収、1万分の1のデノミネーションを実施すると発表しました。この新しい紙幣11種類が、第2シリーズです。
 この時、現在の1角=1元の10分の1、1分=1元の100分の1 の通貨単位が決まりました。この結果、第1シリーズは、最高額面50000元であったものが、このシリーズでは、
最高額面10元となりました。

 また、この時、初めて、裏面に、
漢語以外の、モンゴル語・チベット語・ウイグル語の表記が登場しました。
 
 また、お札のデザインとしては、毛沢東の肖像を使用するという意見もありました。しかし、直接の担当者であった周恩来総理が、
「毛主席は自らの肖像が通貨などに描かれることに賛成ではないことを知っていたため、この意見を採用しなかった」ということです。  
 ※冨田前掲書 P64

 壱分券の表。(1953年版と表示されていても、1955発行)
 トラックがデザインされている。
 当初はトラックではなく乗用車でした。しかし、当時の中国の自動車産業は自前の乗用車を生産しておらず、当初の図柄の乗用車は、アメリカ製を中国で組み立てたものでした。
 そこで、純粋に国内生産しているトラックに切り替えたというわけです。

 一分券の裏。
 中央の国章の上に漢語で「中国人民銀行」と「壱分」と記されており、同じ意味のことが、左に、ウイグル語(実質はアラビア文字)、右にチベット語(チベット文字)、下にモンゴル語(モンゴル文字)で書かれています。 

 
第3シリーズ 1962〜1987

 1から5までのシリーズの中で、最も長期的に発行されたシリーズです。
 この第3シリーズの発行の原因には、中ソの対立の表面化があります。

 中華人民共和国は、1949年の建国以来、ソ連の支援を受けてきていたのは周知の事実です。実は、その中には、紙幣の印刷技術もあったのです。

 たとえば、第2シリーズの11種類の紙幣のうち、3元・5元・10元券は、ソ連政府に委託製造していました。これは、透かし入りの用紙を使用する技術が当時の中国にはなかったからです。
 ところが、56年から中ソ論争が始まり、59年にはソ連が中ソ国防新技術協定を廃棄すると言う状況になってしまいました。透かし入り用紙の供給も停止されてしまったのです。

 このため、紙幣の供給をソ連に依存する体制を改善すべく、中国政府は新技術の開発に努力しました。
 1961年には、自前の透かし技術の確立に成功し、それを用いた新紙幣の発行と言うことになったのです。
最高額面は10元、これは第2シリーズと同じです。

 この時の紙幣から、文字の表記が、5カ国語になりました。漢語、モンゴル語、チベット語、ウイグル語、チワン語です。 

 第3シリーズの1元券の表。
 トラクターを運転する農民の女性のデザイン。

 左の表面の左上部の拡大写真。
 上から、チベット語(チベット文字)、モンゴル語(モンゴル文字)、ウイグル語(アラビア文字)、チワン語(ローマ字)


第4シリーズ 1987〜1999

 25年にわたって、発行が続けられた第3シリーズにかわって、次のシリーズが企画された理由は、主に2つあります。

 1つ目は、経済発展に対応して、高額紙幣を発行するためです。
 中国は、1970年代末から経済改革・対外開放政策を進めており、経済の発展が続いていました。それに見合う高額紙幣が必要となったのです。
 第3シリーズの、最高額面10元券から1挙に10倍の100元券が発行されました。

 2つ目は、各紙幣のデザインに多くの少数民族を登場させ、他民族国家である中国の国家団結の象徴の意味を込めるためです。
 1角券から10元券までの7種類の紙幣に、各2つずつ、14の民族がデザインされています。
 
 ちなみに、50元券は、下のデザイン。
 そして、100元券には、毛沢東・周恩来・劉少奇・朱徳の4人の肖像が、初めて登場しました。 
 肖像になることを好まなかった毛沢東、およびそれを知っていて許さなかった周恩来は、すでに1976年に死亡しており、後継者が彼らを新紙幣の肖像にすることには、何ら支障はなかったわけです。

 50元紙幣。知識人、農民、労働者、つまり、社会主義建設をになう人々。

 人民銀行券としてはじめて、実在の政治家の肖像が登場しました。


第5シリーズ 1999〜

 1999年から発行されている、現代のシリーズです。
 10元、20元、50元、100元の4種類が発行されました。
 図柄は、色こそ違え、すべて、下の毛沢東さんです。
 もはや、どこぞの独裁国家とかわらない図柄となりました。
 毛沢東自身は、肖像を紙幣などに載せたくないと言っていたのですから、きっと草葉の陰で泣いておられるでしょう。
 ただし、今現在は、まだ、第4シリーズの紙幣も流通しています。

 デザインはすべて毛沢東。

 これは、建国50周年の特別版。演説中の毛沢東。