どの時代の人か分からない状況での質問でのクイズなら難しいですが、この時代の人というヒントがありますから、比較的簡単ではないでしょうか。
正解は、東郷平八郎です。 またもや登場、日露戦争クイズその4です。
東郷平八郎は、日露戦争の時の海軍大将で、日本海軍がロシア海軍に対して大勝利をおさめた日本海海戦の時の連合艦隊司令長官です。
日露戦争勝利の立て役者なわけですから、「偉大」な人物であることは間違いありません。小学校の教科書の記載例を2例あげます。
○東京書籍『新しい社会 上』 P87
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「日本海海戦でロシアの艦隊を破った東郷平八郎らの軍人は戦争を勝利に導いた英雄とされました。」
○日本文教出版『小学生の社会 6 上日本のあゆみ』P91
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「東郷平八郎の指揮する艦隊もロシア艦隊を破りました。」
これ以外の教科書も同じような記述ですべて記載されています。
ところが、内容的にはより詳しい歴史的事象を取り扱うはずの高等学校の日本史教科書には、東郷平八郎の名前は、ほとんどの会社の教科書には記載されていません。
現行教育課程用(2003年度からの新カリではない)の日本史Bの教科書17冊中、記載されているのは、国書刊行会と実教出版の2社のそれのみです。
新教育課程用の日本史Bの教科書は、現段階ではまだ2冊のみしか発行されていませんが、日本史教科書で最大のシェアを持つ山川出版の教科書には記載されていません。
明成社版「最新日本史」P203には、「東郷平八郎のひきいる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊と対馬沖で戦い、世界海戦史上、空前の勝利をおさめた(日本海海戦)。」とあります。
今年度登場する新教育課程用の他の教科書会社の「日本史B」にも、ほとんど登場しないと思われます。
どうしてこのようないわば「逆転現象」が生じているのでしょうか。
明解な説明はできませんが、多分次のようなところです。
「東郷平八郎」は、前の学習指導要領の改訂の時に登場しました。文部科学省の新のねらいがどこにあるのかは分かりませんが、登場当時から、「なんで東郷平八郎?」と話題になりました。教科書会社としては、学習指導要領が掲載する42人の一人ですから、一応記述してあります。
しかし、予想外の人物なので、一応教科書には載っていますが、教科書会社も、現場の先生方も、東郷平八郎でテーマを組んで長い時間かけて学習しようというつもりはありません。
一方、高校の場合は、学習指導要領にそんな指摘はありませんから、ごく常識的に考えて、海戦で活躍した一軍人は、登場させていないのです。
ついでですから、東郷平八郎と日本海海戦の学習です。(こちらがメインだったりして(^.^))
東郷平八郎が教科書で取り上げられるべき「英雄」であるとする場合、その理由は、もちろん日本海海戦の大勝利にあると思いますが、細かくいうと、次の2点がその功績です。
日本海海戦において、いわゆる「丁字(T字)戦法という画期的な戦術を使った。
バルチック艦隊という強力な艦隊をほぼ全滅させ、自軍艦隊の損害はほとんどなしというパーフェクトな勝利を収めた。
このふたつについて、もう少し詳しく実像を説明します。
1 丁字戦法について
まずは日本海海戦の意味です。
1905年5月の日本海海戦が起こるまで、日本軍陸軍は辛勝ながらすでに満州南部の要所を占領し、陸戦においては、ロシアに対する優位を保っていました。
海軍も、旅順とウラジオストクを母港としていたロシア太平洋艦隊を壊滅状態に追い込み、日本と朝鮮半島との海上補給路を確保していました。
しかし、ロシアが新たに派遣したバルチック艦隊(もとはバルト海の軍港リバウを母港とするのでこう表現する。実は、正確には第2太平洋艦隊、第3太平洋艦隊として派遣された)が、ウラジオストックを母港に活動すれば、日本の海上補給路は危機に瀕してしまいます。
そこで、日本海軍としては、なんとしてでも、長路東アジア海域にやってきたバルチック艦隊を、ウラジオストックに着く前に撃破し、彼らに活躍をさせないことが最大の課題でした。
ところが、東郷司令長官には二つの危惧がありました。
日本・連合艦隊 |
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ロシア・バルチック艦隊 |
4 |
戦艦 |
8 |
8 |
装甲巡洋艦 |
3 |
戦艦の主砲は、25cmまたは30cm。装甲巡洋艦の主砲は、20cm。 |
この結果取られた戦法が、通説では、右上の図に示されたような丁字(T字)戦法でした。日本語では丁(てい)、英語ではT(ティー)です。
つまり、敵艦隊と反航する(すれちがう)と見せかけて、敵前で150度の大回頭(この場合、左への進路変更)を行い、ロシア艦隊の行く手をふさいで、逃げられないようにするという戦法でした。この回頭(反転)は東郷ターンとも呼ばれます。
ところが、この敵前回頭は、速度をゆるめて行うため、敵艦隊から狙い撃ちされる危険性がありました。つまり、決死の覚悟のもとに実行された戦法だったというわけです。
この戦法を実施して、強敵のロシア・バルチック艦隊を壊滅させたことが司令官東郷平八郎の名声を高め、小学校の歴史の教科書に登場することになったのです。
ところが、1990年代なって、実は日本海海戦では、丁字戦法という特別な戦法は用いられなかったという説が唱えられました。
※戸高一成著「日本海海戦に丁字戦法はなかった」『中央公論』(1991年6月号)
右の図は、日本艦隊が、特別な丁字戦法ではなく、ロシア艦隊とすれ違いを避けるため、反転して並航砲撃戦に挑もうとしたことを物語っています。
「『東郷ターン』とよばれる、2時5分に発せられた180度回頭指令は、T字戦法への移行を示すものではなく、バルチック艦隊との射程をつめ、並航コースを取ることを命じたものであった。最初に集中砲火を浴びせたのも先頭から5番目の戦艦『オスラビヤ』で、先頭を行く旗艦『スワロフ』に命中弾を与えたのは、2時12分以降である。その直後「三笠」も被弾。T時戦法態勢では説明できない。並航砲戦の結果である。」
※海野福寿著『集英社板日本の歴史Q 日清・日露戦争』(集英社1992年)
丁字戦法の不自然さの指摘は、すでに1981年になされており、最近では、その他いろいろな面から、虚構に満ちた「日本海海戦伝説」の真実に迫ろうとする書物も増えています。
※黛治夫著「日本海海戦における砲術戦」鈴木健二編『NHK歴史への招待17 対馬沖の24時間』(1981年NHK出版)P77
※三野正洋著『天気晴朗ナレドモ波高シ 日露戦争の実相を読み解く』(PHP研究所1999年)P161
※大江志乃夫著『バルチック艦隊 日本海海戦までの航跡』(中公新書1999年)P216
但し、新しいものでも、旧来の東郷ターンを認めるものもあり、必ずしも丁字戦法が全く否定されているわけではありません。
※NHK取材班編『その時歴史が動いた 1』(KTC中央出版)P56
海軍兵学校卒で戦後防衛庁戦史研究室長、防衛大学教授を歴任した野村實氏は、右上図のような反転並航戦法こそが東郷があらかじめ練りに練っていた「丁字戦法」であり、この戦法こそが、日本海海戦の勝利の最大の要因であったとし、幻説論者を批判しています。
※野村實著『日本海海戦の真実』(講談社現代新書1999年)P144、P222
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