政治制度・機関3 |
<解説編> |
204 中選挙区制度と小選挙区制度はどちらが民主的? | 問題編へ | |
※このページは、2009年9月6日時点で記述しています。 |
1 日本における小選挙区制のイメージ | このページの先頭へ | |
現在の衆議院議員選挙制度である小選挙区比例代表制は、1994年の細川内閣における政治改革によって実現されました。 それに至る経過は、以下のように説明されています。
つまり、1955(昭和30)年の結党以来、ずっと政権を握っていた自由民主党が、「金権政治」や「大企業との癒着」等への批判により改革を迫られて内部分裂を起こして1993年の選挙で大敗(第1党の座は守ったものの、全511議席中の223議席にとどまった)。 |
このような歴史を持っているため、日本では小選挙区というと、過去の歴史を知っている年配の方にとっては特に、なにかしら、「それほど力のない自由民主党が強引にたくさんの議席を獲得するための非民主的な制度」といったイメージが先行していました。
このイメージについて、後教授は、「小選挙区制度こそ、『民主的』」と、目から鱗の説明をしておられます。 |
2 中選挙区制や比例代表制では何が起こるか | このページの先頭へ | |
後教授の説明に従って、二つの点で、比例代表制・中選挙区制の限界を指摘します。
日本社会党の限界を最も端的に示すデータは、選挙におけるその候補者数です。
第二に、55年体制とは関係なく、中選挙区制度や比例代表制度によって仮に政権が交代し新しい政権が誕生するとすれば、どんなことが起こるでしょう?そこに民主的な仕組みが貫徹しているでしょうか? |
3 小選挙区制を真に生かす選挙とは | このページの先頭へ | |
今回第45回の選挙では、、得票率と議席の関係は次のようになりました。 |
小選挙区制度の特色が発揮され、大勝利した民主党は、小選挙区では47.4%の得票率で、75.7%の議席を獲得しました。
これはこれまでにない前進ですが、実は、課題もあります。 3党合意の内容には、外交・安保などいくつか相違点もあり、合意に達していない点も多々あるからです。 第二の視点です。 これまでの選挙で全小選挙区で立候補者をたてていた日本共産党が、今回は、立候補者を立てない選挙区をたくさん作りました。理由は、あまりにも得票率が低く、供託金没収となることを避けたと言うことだそうです。これなら理由は全くの自党の財政的事情になるわけですが、実はここに新しい視点が隠れています。 イタリアでは長く比例代表制が続いたため、1990年代になって小選挙区制に移行する時点で、日本よりも多くの政党が存在していました。その場合、ごく小さい勢力の政党で比例代表制で1%しか得票できないといったような政党はどうすればいいのか? 具体的に考えてみましょう。 有力党のA党とB党が一騎打ちする選挙区で、弱小党のC党が存在価値を示すにはどうしたらいいか。中選挙制度では一か八か立候補するしかないわけですが、小選挙区では当選の可能性はゼロです。しかし、立候補すれば必ず何%かを獲得します。もし、B党が若干不利で、その党と政策協定ができる可能性があるとしたら、その数%の得票率を武器に、政策協定によって自派の政策を実現していくという可能性があるわけです。 これなら、中選挙区制度や比例代表制度で、獲得議席はあるものの、議会の中では政権党に対してただ反対を唱えるだけという党ではなく、現実に政策を実現できる党派になれる可能性もあると言うことです。 考え方によっては、こちらの方が民意が国政に反映できる可能性があると言えましょう。
そろそろまとめです。 ここで概観した政治改革と選挙区制度の変遷は、1993年に起こった自由民主党の分裂以降の一群の政治家、とりわけ小沢一郎氏のリーダーシップによるところが大でした。その小沢氏が、今回の衆議院議員選挙を前に民主党代表を辞任し、新首相になれなかったのは歴史の皮肉ですが、彼の存在の大きさは特筆されるべきです。 後教授も指摘しておられます。 「高畠が指摘するように、保守勢力内で、利益誘導と利害調整を基盤にしているために時代が要求しているような明確な政策転換をなしえない現在の自民党を維持することがもはや至上目的ではなくなっており、農村議員を中心にした現状維持的保守党に対抗するために連合や社会党右派まで含んだアメリカ民主党的な都市型保守党という構想が真剣に議論されるまでになっているとするならば、野党諸政党の方にも「政権交代のある民主主義」とそれを担う新しい改革政党の形成を目標として独自のイニシアティヴを展開する余地は十分存在すると思われるのである。 こうした文脈で、筆者が特に注目に値すると考えるのは、小沢一郎を中心とする自民党内「改革派」の登場である。 自民党竹下派の内部抗争について、1992年末に小沢一郎自身が、「本質は改革準と守旧派の対立だ」と主張したわけであるが、それに対して、これまで自民党政治の中枢にいた人物が改革派でありうるはずがないというような論評がかなりみられる。しかし、筆者は、小沢にみられる「体制内改革」の志向をそのよぅな形で軽視しては現状認識を大きく間違うことになると考える。 彼自身がいうように、旧体制のなかにおいて権力を追求することが最大の目標であったのであれば、92年の海部後継選びの際に、宮沢のかわりに首相になれた可能性は強かったわけであるし、何よりも竹下派を分裂させるような行動をとらずにもっとじっくりと党内での地位を固める方を選んだはずである。戦後政治のある方向での「改革」こそが彼の中心目標であることは疑いないと思われる。もちろん、「行動する時には政権を取る見通しがつくことが必要だ」という発言にも示されるように、改革後の権力獲得をねらいとしていることは明らかであるが、それは政治家である以上当然のことである。重要なのは、当面の政権獲得以 上にまず「政治改革」の実現を重視するという、これまでの自民党政治家としてはきわめて特異な選択を彼が行なったということである。 彼の戦後政治批判は次のように要約される。 「要するに野党の言い分も開きながら、予算を日本人同士で分配することだけが政治の仕事で、基本的には政治の働く場はどこにもなかったのです。政治的な見識や政策は必要ない。話し合いといえば体裁はいいけど、分配の談合だけで済んできたわけです。そして、日本経済が自由に活動し、成長を遂げてきた舞台である平和で自由な世界という環境を整備するためのコストについては、日本は一切無視してきました。アメリカや西側諸国が作ってくれた自由と平和に日本人みんながおんぶされてきたと言っていい。これが冷戦時代の日本の政治構造でした。」 ところが、日本の経済大国化と冷戦構造の終焉によって、日本は「国際社会における役割」について明確な方針を示して実行するような強力なリーダーシップを求められている。小沢の言い方では、「ここ数年以内に抜本的改革を実行しなければ日本は世界から相手にされなくなる」という。こうしたモチーフから、小選挙区制の導入を「手段」とする政治改革(政権交代の可能性をはらんだ緊張感のある政治、二大政党制へ)、中央官庁の権限縮小と大胆な地方分権などが主張される。 付け加えれば、彼の政治的師匠である田中角栄との断絶の意識が明確であることも注目に値する。田中については、「現実の枠内ではあるけれども、その枠内での発想と利害調整は抜群」という意味で「戦後政治が生んだ傑物」だと評価しつつも、あくまでも戦後政治の枠内の政治家であったことを明言する。そして、自らの目標を、田中が体現していた調整型の戦後政治そのものの改革に設定しているのである。 要するに、小沢のめぎすものは、基本政策をめぐつて明確な論争がなされ、選挙を通じてその時どきに有権者の明確な選択が示されるような二大政党制的な政治システムである。小選挙区制の導入はそのための現実的手段にほかならない。」
別に小沢一郎のファンというわけではありません。ただ、政治というものをもう少し前向きに大切にしていきたいだけです。
|
我が国が、高校生がなりたくない職業の2番(1番はフリーターなので実質は1番)に、「政治家」が上がってしまう国(このアンケートはこちら→)だというのは、はっきりいって嬉しいことではありません。何とかしていきたいものです。 |