このクイズは、ある程度の方は知識としてご存じと思います。
インターネットで検索すると、「トナカイ」では、2万6000件以上ヒットしますが、そのうち、どの言語からの借用かについて説明したサイトは、約300です。
実は、あの海のかわいらしい動物の「ラッコ」も同じ言語からの借用なのですが、こちらについては、「ラッコ」のヒット件数1万6000以上、言語の解説があるものは、そのうち約300です。
征露丸と正露丸のように、本当の日本の常識は、ヒット件数が数万になりますので、それよりは、知らない方が多いと思って出題しました。
まずは、英語の辞書です。
EXCEED和英辞典には、
○となかい ヨーロッパ産のものは a reindeer 北米産のものは a caribou
となっています。このつづりでは、英語が語源でないことは、明白です。
正解は国語辞典を見ればわかります。国語辞典にはちゃんと、どの言語からの借用か書いてあります。
○となかい 〔アイヌ〕馴鹿 寒い地方に住む大型のシカ。
正解、アイヌ語からの借用です。
アイヌ民族については、日本国に古くから住む、固有の言語など独自の文化を持った民族であったにもかかわらず、私たちも含めて古い世代は、中学校・高校等で十分に学習したとは言い難い状況でした。
高度経済成長期はいろいろな意味においてマイノリティへの配慮は二の次にされていた時代であったと結論できると思います。
しかし、現在では、中学校の歴史・公民の教科書で何度も登場するのはもちろん、高校でも一貫して記述されています。
日本史の教科書では、15世紀のコシャマインの乱、17世紀のシャクシャインの乱、松前藩の藩士による商い場知行制(江戸時代前半)や倭人商人による場所請負制度(おおむね18世紀から)による、アイヌ人の収奪については、かなりのスペースが割かれています。
本県の高校生も、北海道に修学旅行に出かけている場合もあります。
次の写真は、岐阜総合学園高校の友人のTさんに、今年春の修学旅行の時に撮影してきてもらったものです。
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白老ポロトコタンにある復元アイヌ村の一部です。 |
屋外の雪の中の狩りのシーンです。 |
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村の外の様子です。 |
これは民族衣装を着た現代のアイヌによる舞踊です。 |
1 アイヌ民族と政府
アイヌ民族は、もともと樺太南部・千島列島・北海道・東北北部に居住し、狩猟・漁労を中心とした生活営む民族でした。その文化は、ほぼ12世紀から13世紀にかけて確立したとされています。
江戸時代は、前述のように蝦夷地を知行地とした松前藩の支配下におかれ、蝦夷地の産物を不当に不平等な交換比率でコメなどと交換させられていました。
松前藩が作った「文政六未年以来蝦夷人御目見献上品并被下物調書」の文政11年の献上の記述の中に、
北蝦夷地場所蝦夷共 御目見献上物左之通 |
熊皮 |
壱枚 |
|
水豹皮 |
五枚 |
シレトコ |
一同腹子皮 |
弐枚 |
乙名 |
トナカイ角 |
弐本 |
ニシクタアイノ |
干鱈 |
弐束 |
|
|
と言う部分があります。アイヌからの献上品にトナカイの角があったことがわかります。
※函館博物館企画展図録の電子文書より引用
同文書は、黒田俊光さんのサイト「函館の幕末維新開化叢書」に掲載。黒田さんのサイトはこちらです。
トナカイは蝦夷地には住んでいませんでしたが、アイヌは、環オホーツク海交流圏を通して、サハリンなどから手に入れたものを献上していたと想像できます。
アイヌ民族は、明治になってからも、政府によってその民族的な独自性はもちろん、経済的な自立を支援されることもありませんでした。
彼らは、政府によって土地を取り上げられ、鹿や鮭の捕獲さえも禁止する命令が出されます。そして、1898年には、北海道旧土人保護法が制定されます。これは、農業をするなら1戸につき1万5000坪の土地を与えられる代わりに、山野などの共有財産を北海道長官の管理下におくというものでした。与えられた土地は、和人移民の10分の1の面積しかありません。
「旧土人」という名称が示すとおり、「保護法」とは言え、この法律はアイヌの権利を認めるものではなく、僅かの土地と引き替えに先祖伝来のアイヌの共有財産を国家管理に置くものでした。
1997年(平成9年)、ようやく「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及および啓発に関する法律」(通称アイヌ文化振興法)が制定され、アイヌは日本の中の別の民族として公式に認定されました。
2 アイヌの研究
アイヌがどのような民族であるかという研究も、政府による彼らの位置づけが反映されて、当初は偏見に満ちたものでした。
その代表例が、明治末期にお雇い外国人E・ベルツらによって提唱された「アイヌ・ヨーロッパ人説」です。これは、アイヌの身体的特色(毛深い、目鼻立ちがしっかりしている、瞳が黒くない人がいる)などを取り上げて、アイヌがヨーロッパ人と同じグループであるとする非科学的考え方です。
これが引き金となって、20世紀半ばまで、アイヌ語はヨーロッパ言語同じ仲間であるという説がまかり通っていました。
しかし、現在では、アイヌが古い時代に日本に先住していた民族の末裔であることが明らかになり、また、アイヌ語と日本語の琉球方言との関連性などの研究による、古い時代の日本地域の言語の研究も進んでいます。
たとえば、琉球語には、「ピシ」という言葉があります。大隅の国(鹿児島県西半分)の風土記には、隼人(南九州地域の人々)が海岸のことを「ピシ」というと書かれています。
つまり、8世紀当時の日本の中央で話されていた日本語では、「ピシ」という言葉は理解しがたい単語だったのですが、実は、アイヌ語人もピシという単語があり、海岸を意味するのです。
※梅原猛・藤村久和著『アイヌ学の夜明け』(小学館ライブラリー1994年)P75
北と南の共通性。
これはつまり、後から中央部に入ってきた人々によってに形作られていった日本語とは別の発展をした言語があったことを意味します。それがアイヌ語だったのです。
「日本列島には縄文時代から縄文語というものがあって、そこへ大陸から農耕民がやってきて、日本の国家を作った。そして先生(注 梅原氏のこと)がおしゃるように縄文語一つの成素として近畿地方において日本語が形成されていった。そして縄文語は、稲作の遅れた北海道、沖縄、東北地方に、より多く残されてと言うふうに考えているのです。だから日本語、特に古代日本語とアイヌ語、そして沖縄語の間にはひじょうに共通のものが多いのです。それは単語だけの共通ではなく、有韻構造も文法構造も、母音の数も子音の数も、ほぼ共通しています。『古事記』や『万葉集』にはアイヌ語でしか解釈ができない言葉がいくつか残されています。そしてさらにだいじなことは、アイヌ語、沖縄語、古代日本語においてはただ単語の一致だけではなくて、語根が同じだと考えられるものが無数にあると言うことです。」(チェコ生まれの日本文化研究家、ウィーン大学スラヴィク教授の発言)
※梅原猛・藤村久和前掲書P194
北海道の地名の多くがアイヌ語に語源があるというのは多くの方がご存じですが、アイヌ語そのものについては、私も含めてあまりご存じなかったのが実情ではないでしょうか。
最後に、時々日本語としても使われる主なアイヌ語と語源です。
日本語 |
アイヌ語 |
意味 |
トナカイ |
トゥナッカイ |
トナカイ |
ラッコ |
ラッコ |
ラッコ |
コタン |
コタン |
集落 |
カムイ |
カムイ |
神 |
シシャモ |
シュシャム |
柳+葉 |
ピリカ |
ピリカ |
美しい、良い |
ユーカラ |
ユーカラ |
アイヌ叙事詩 |
ニポポ |
ニポポ |
木の人形 |
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札幌のテレビ・ラジオ局STBのサイトには、ラジオアイヌ語講座の案内と講義が掲載してあります。
※サイトはこちらです。→http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/index.html
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