稲荷信仰の元祖は、京都にある伏見稲荷です。
もともと、平安京が建設される前から現在の京都の地に勢力を張っていた渡来系一族の秦(はた)氏にゆかりのある神様で、宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ のちの稲荷大神)というの方がおられましたが、この神様は、米などの五穀をはじめ、すべての食物や蚕桑を司る神様でした。
五穀豊穣の象徴は、稲がうまく生長することですから、稲が生育するという意味で「稲生り」(いなり)の神様と呼ばれましたが、その姿が稲を背負っている形に描かれたことから、「稲生り」に「稲荷」の字があてられ、稲荷信仰が成立したと言われています。
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京都市伏見区の伏見稲荷(撮影日 2006年8月12日) |
かの有名なたくさんの鳥居 |
平安時代初期、平安京に空海が起こした真言宗の教王護国寺(東寺)ができると、神仏習合の考えから、伏見稲荷が同寺の鎮守として位置づけられ、真言宗の隆盛とともに、稲荷信仰も広がっていきました。
さらに、中世になって、農業生産力の発展の上に、手工業・商業が盛んになると、稲荷は、単なる農業神から手工業生産、商業、屋敷の神様へとその「守備領域」を広げていき、「衣食住の太祖、万民豊楽の神霊」として崇拝されました。
このため、特に江戸時代になると、町々や大名の屋敷などにも勧請(かんじょう 神が分身して新しい土地に移ること)され、あちこちに祠が作られました。
次のように言われています。
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「江戸の市中では、最も多いものの一つは稲荷神祠であるといわれたが、これは全国的な傾向で、津々浦々に至るまで、稲荷大神が奉祀された。この稲荷神勧請のことは現代も引きつづき行われ、現在その神社数全国で3万余に達し、諸神のうちでは最も多い。これに個人の邸内祠などを加えればほとんど無数であって、その信仰の広くして強いことが知られる。」 |
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※薗田稔・橋本政宣編『神道史大事典』(吉川弘文館 2004年)P83 |
クイズ1006の解説で説明したように、あくまで、この研究のデータの元になっている「神社」というのは、法人登録をされている神社です。
街角の祠やビルの屋上、個人の邸宅内の祠は、法人登録さされていないでしょうから、上の引用の、「全国3万余」というのは、食い違うのです。
したがって、何をカウントして第一位とするかどうかを明確にして話をしなければなりません。
このクイズでの神社数は、あくまで、神社庁に法人として登録されている数です。 |