日本の文化7
<解説編>
               

1006  寺院と神社の数の多少は?  |文化の問題へ|  |宗教の問題へ|  |日本史の問題へ| 

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はじめにこの問題の意図、日本の信仰及びその歴史の授業について 

 まず、この質問の意図についてです。
 常識のある方、常識を持つに至った方はそんなバカなというかもしれませんが、宗教とか社会的な通念とかが苦手な今時の高校生には、神道と仏教の違い、ひいては神社とお寺の違いについて、はっきりわからない人が少なからずいます。(もちろんそのまま大人になった方もおられるはずです。)

 今から12年前のことですが、「現代社会」の授業で日本人の信仰を扱うところの冒頭で、「君たちの周りに神社とお寺とどっちがたくさんあると思う」と質問しました。
 「お寺が多い」「神社が多い」とかいう声を期待していたところ、正直で元気な生徒が、真っ先に「先生、そんなこと言ったって、わからへん。
神社とお寺とどう違うの?」と、質問を発しました。

 その質問が出た瞬間に、そのクラスの他の生徒から、「えー、何でそんなことも知らんの?」と驚く声が上がりましたから、常識のある生徒も多くいるとはわかりました。しかし、ここで、「どうしてそんなこと知らんのか」てな怒り顔をしたら、せっかくの勇気ある発言が台無しです。
 すぐに機転を利かして、「非常識な生徒がどのくらいいるか」、確かめました。

 「そうかそうか、まだ神社とかお寺とか教えていなかったから仕方ないね。あらためて聞くけど、神社とお寺の違いを隣の席や近所の人とで説明し合ってみなさい。」(この隣近所言い合いは、授業の基本的な手法です。)

 「鳥居がある」「卍のマーク」、みんなわいわい騒ぎはじめましたが、確かにわからなさそうな生徒もいます。
 「よし、わかっている人とそうでない人がいるようだ。よくわかっていない人はどのくらいいるかな、ちょっと手を挙げてごらん。」

 教師がこういう質問をして、生徒の反応があるかないかは、教師自身がそれまでわからない生徒に何をしてきたかが反映されます。恥ずかしくても手を挙げたらちゃんと教えてもらえるという「実績」があれば、ちゃんと手を挙げてくれるものです。

 
神社とお寺の違いがわからない生徒は、およそクラスの3分の1程いました。 
 この時のクラスは、 高校入試の国社数理英5教科500点満点の成績が、320点ぐらいのクラスでしたから、決して学力が低いクラスというわけではありません。

 しかもテストの成績にはあまり相関せずに、わからない子が分布していました。意外な結果です。

 神道と仏教のそれぞれの基本的な違い。日本の歴史の中でどのように関係し合って来たか。怨霊、祟り、勧請・・・。いろいろ教えていかないと、地歴公民科の学習に厚みが欠けてしまうような気がします。個々の事件史とは別に、日本史でも、1年間または2年間教える授業の「筋」(骨格のテーマ)として、信仰の問題は絶対に意識しておかなければならないものであると思います。

 最近はやりの「熊野古道」を取り上げるまでもありませんが、日本の古典的な観光地はいずれも古代以来の信仰そのものと関係があるところばかりです。神道と仏教がわかると、「旅」も豊かになります。 
 正解をいう前に、いろいろ御託を並べて申し訳ありません。このクイズ、授業に臨む思いです。 

     

 
 「
神社とお寺の違いがわからない」という生徒諸君の、一見した非常識さについても、現実には無理からぬものがあります。
 日本の「伝統文化」である
神仏混交(しんぶつこんこう)は、ぱっと見、ややこしい状況を生んでいます。

 上の写真は、岐阜市で初詣客が一番多い
伊奈波神社の元旦の光景です。
 
伊奈波神社そのものは、右手奥の鳥居の向こう、参道を登ったところにあります。しかし、左手には、善光寺安乗院という寺院があります。
 小学生の子どもがここへ初詣に来て、神社か寺院か、いったい、どこへお参りに来たと認識するかといえば、これは難しいものがあります。


 伊奈波神社善光寺の解説です。地元の方以外は読み飛ばしてください。

 伊奈波神社の起源は、社伝によれば第12代景行天皇の時代といいますから、真実なら4世紀の昔ということになります。
その後仏教が伝わり、神道と結びついて神仏混交の時代となると、この神社には、宮寺(神宮寺ともいう。神も仏教を喜ぶという発想から、神社所属の社僧が神社の祭司を仏式で行いました。神社所属の寺院です。)として、
満願寺という寺が建てられました。
明治維新となって神仏分離令(明治新政府は当初神道国教化を進め、神仏混交を否定)が出されると、宮寺の
満願寺は廃仏毀釈によって、廃寺となってしまいました。

 したがって、写真の
善光寺は、伊奈波神社の門前にありますが、伊奈波神社とは何の関係もありません。

 実は、この地には、16世紀に建立されたと伝えられる
善光寺堂がありました。
 
善光寺というのは、あの「牛に引かれて善光寺参り」の長野市の善光寺です。この寺は百済から伝わった阿弥陀如来仏を秘仏として崇拝する無宗派の寺です。(無宗派というのは、天台宗や浄土真宗などどの宗派にも属していない寺という意味です。そういう寺が存在するのです。)
 
善光寺の信仰が全国的に有名になるにつれて、あちらこちらに、善光寺ゆかりの阿弥陀仏の分身を信仰する寺や阿弥陀仏を祀った善光寺堂が生まれました。
 
 この伊奈波の地の
善光寺堂は、伊奈波神社の宮寺の満願寺と真言宗醍醐派の安乗院によって護持されてきました。そのうち、上述のように満願寺は明治になって廃寺となってしまいましたので、残る安乗院が善光寺堂を護持することとなりました。時が流れ、この寺は真言宗の寺というより、善光寺堂がメインとなって、現在では、善光寺安乗院(真言宗醍醐寺派)となっているわけです。

 上の写真を見て、神社、宮寺、神仏混交、神仏分離、廃仏毀釈、
善光寺(阿弥陀如来)信仰、無宗派の寺・・・・・・、いろいろ理解が必要です。
 我々の身近にありながら、日本の神道と仏教を正しく理解するということは、なかなか難しいことですね。


寺院と神社、府県別の比較                  | このページの先頭へ |

 
 さて、正解に入りますが、その前に、
下の日本地図に都道府県別に神社が多い所と寺院の多い所を表示します。
 どんな結果になるか、想像してから、地図をクリックしてください。



 全国47都道府県のうち、31県では、神社の方が寺院より多くなっています。
 その差が最大なのは、新潟で、神社4789、寺院2822とその差は、1967です。

 
北海道・埼玉・東京・神奈川・山梨・愛知・三重・滋賀・京都・奈良・和歌山・大阪・島根・山口・香川・沖縄の16都道府県では、寺院の方が神社より多くなっています。
 その差が最大なのは、
大阪で、寺院3362、寺院726とその差は、2636です。

 これだけ見ると、神社が多い都道府県が多くなっています。
 寺院優位の地域は、首都圏・近畿圏に集まっています。

 さて、日本全体では、どちらが多いでしょうか?


さて、ここで重大な、お断りです。
実は、いろいろ調べましたが、
日本の神社と寺院の数は、正確にはどこにも把握されていません。
「え、では、上の数字はなんじゃ」
と言われてしまいそうですが、ここに示した数は、文化庁編『宗教年鑑 平成17年度版』(ぎょうせい)によりました。

 しかし、そこに掲載の数は、
現実の寺院・神社数ではなく、正確には、「法人として登録されている神社・寺院数」です。
 岐阜県神社庁に問い合わせたところ、現実には、
有名な神社でも法人となっていない神社もあるとのことです。
    例 岐阜県の「お千代保稲荷」(おちょぼいなり 海津市)
       「車折神社」(くるまざきじんじゃ 各務原市)
 
 しかし、非法人の寺院・神社数は、それほど多くはないとのことでした。そのため、ここでは、

   
神社数・寺院数≒神社法人数・寺院法人数

として、説明しています。


寺院と神社多いのは?                        | このページの先頭へ |

 さてやっと正解です。
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