伊奈波神社と善光寺の解説です。地元の方以外は読み飛ばしてください。
伊奈波神社の起源は、社伝によれば第12代景行天皇の時代といいますから、真実なら4世紀の昔ということになります。
その後仏教が伝わり、神道と結びついて神仏混交の時代となると、この神社には、宮寺(神宮寺ともいう。神も仏教を喜ぶという発想から、神社所属の社僧が神社の祭司を仏式で行いました。神社所属の寺院です。)として、満願寺という寺が建てられました。
明治維新となって神仏分離令(明治新政府は当初神道国教化を進め、神仏混交を否定)が出されると、宮寺の満願寺は廃仏毀釈によって、廃寺となってしまいました。
したがって、写真の善光寺は、伊奈波神社の門前にありますが、伊奈波神社とは何の関係もありません。
実は、この地には、16世紀に建立されたと伝えられる善光寺堂がありました。
善光寺というのは、あの「牛に引かれて善光寺参り」の長野市の善光寺です。この寺は百済から伝わった阿弥陀如来仏を秘仏として崇拝する無宗派の寺です。(無宗派というのは、天台宗や浄土真宗などどの宗派にも属していない寺という意味です。そういう寺が存在するのです。)
善光寺の信仰が全国的に有名になるにつれて、あちらこちらに、善光寺ゆかりの阿弥陀仏の分身を信仰する寺や阿弥陀仏を祀った善光寺堂が生まれました。
この伊奈波の地の善光寺堂は、伊奈波神社の宮寺の満願寺と真言宗醍醐派の安乗院によって護持されてきました。そのうち、上述のように満願寺は明治になって廃寺となってしまいましたので、残る安乗院が善光寺堂を護持することとなりました。時が流れ、この寺は真言宗の寺というより、善光寺堂がメインとなって、現在では、善光寺安乗院(真言宗醍醐寺派)となっているわけです。
上の写真を見て、神社、宮寺、神仏混交、神仏分離、廃仏毀釈、善光寺(阿弥陀如来)信仰、無宗派の寺・・・・・・、いろいろ理解が必要です。
我々の身近にありながら、日本の神道と仏教を正しく理解するということは、なかなか難しいことですね。 |