岐阜の原風景・現風景1
 写真を題材に、岐阜の「名所」を紹介します。
| メニューへ | | 前へ | | 次へ |
 県道173号線の謎とは? その2 小紅の渡し 

 県道173号線の先にある階段は何でしょうか?
 階段に貼り付けてある表示は何を意味しているのでしょうか?

【写真1】 地図へ行く
 階段の表示を拡大すると、「小紅の渡し」とあります。
 「おべにのわたし」です。


【写真2】 地図へ行く
 階段を昇って堤防に上がると、長良川の河川敷と川面が見えます。対岸には船が係留されています。
 対岸の堤防の上には小屋が見えます。


 
 場所は、長良川河口から46.4km地点です。


【写真3】

 「県道173号線の謎」というのは、実は、この県道には、長良川を渡河する橋が架けられておらず、岐阜市鏡島と対岸の同市一日市場(ひといちば)の間の長良川を渡し船で渡河していることです。
 もちろん、自動車は渡れません。
れっきとした県道の一部が渡し船になっているのです。
 この渡し船が、、岐阜市の名物、「
小紅の渡し(おべにのわたし)」です。



県道173号線の長良川渡河は、橋ではなく渡し船です。

上の地図は、グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)の写真から作製しました。

 【写真4】 北岸にある船頭さんの待機所。横側から。

 【写真5】 正面から


 小紅の渡しは、岐阜市内唯一の渡しで、県道ですからその管轄は県です。岐阜県庁の道路維持課が管理しています。
 実際には、市の土木事務所を通して、「小紅渡船船頭組合」が運行の委託を受けています。現在は、特別な日を除いて2名の船頭さんが交代で勤務しています。
 2007(平成19)年3月21日と4月28日にお邪魔して、いろいろお話をお聞きしました。ありがとうございました。(以下の写真の解説部分の会話は、船頭さんにお聞きした内容です。「船」は船頭さんのことです。)


【写真6】 地図へ戻る
 北岸の船着き場です。
 この石段の上が堤防で、堤防の上に小屋があります。
 全体の様子は【写真2】をご覧ください。
 この写真は下流を写しています。遠くに見える橋は、河渡橋です。
 岐阜市内には旧中山道が通っていました。城下町でもある加納宿の一つ西の宿が、河渡宿です。
 船着き場には、2艘の船がつながれていますが、手前が渡し船です。


【写真7】 地図へ戻る
 船の中央部です。
 オレンジ色のものは救命胴衣です。
 この船の定員は9名です。救命胴衣の数がちょっと・・・・。

「ああ。小屋にちゃんとおいてある。」

「・・・・・」

 
 船頭さんの後側の青と白の構造物は、船外機(エンジン)を覆うためのカバーで、鵜飼いの鵜が青色で描かれています。


【写真8】 地図へ戻る

「今は、船外機で運行していますが、昔は違っていたんでしょうね。」

「私がこの仕事に就いたのは4年前からだが、それ以前は、手こぎでやっていた。
 船外機では風情がなくなるから手こぎがダメなら廃止するという意見もあったが、結局、今のように楽に運行できる仕組みになった。

「船頭さんの給料はどのぐらいですか。」

「2日働いて2日休むという勤務だが、お金は、まあ、お小遣い程度。ほとんどボランティアだがね。」

「船の中にある水色のスコップのようなものは何ですか?」(【写真7】の船頭さんの足下にある水色のもの)

「ああ、あれは、水を掻き出すスコップ。夜、ひどい雨が降った時は、朝来ると船の中に雨水がたまっている。普通の漁の船(注【写真6】の奥側の船)より幅が広いもんだから雨水もよくたまる。朝8時からの運行開始のため、朝6時頃に来ることもある。」

「大変ですね。台風の時は?」

>

「台風の時は、船が流れないように一晩中見張る。去年やその前はよかったが、平成16年は台風がいくつも来て大変だった。囂々と流れる川は、そりゃ怖いもんだ。
 このすぐそばの一日市場に家があるから、長良川のことはこの仕事に就く前から、よく知っている。堤防が整備されたせいか、昔より豪雨の時の流れが速くなった。上流の郡上の方で豪雨があると、7時間か8時間ですぐ増水する。」


 2006年の年末には、【写真8】の「お知らせ」にあるように、2か月ほど渡船が停止されました。
 渡船の底に亀裂が入り、浸水がひどかったため、修理に出されたのです。【写真7】にあるように、船底から船側にかけてガラス塗料を塗って浸水を防ぐ措置が施されました。
 費用は100万円以上だったそうです。名物渡船を残すのはなかなか大変です。

 春から秋までの季節がいい時は、平日でも30〜40人の乗船客があります。
 
毎月21日の「弘法様」の日には、鏡島の乙津寺に参拝する人が多く利用し、船頭さんはその日だけは2名勤務となります。

 上の説明板にあるように、現在は無料です。
 しかし、北岸の一日市場(当時は本巣郡合渡村)が岐阜市に合併される前は、有料でした。(船頭は伝統的に一日市場の住民が務めており、一日市場の人々は無料でしたが、岐阜市の人々は有料だったというわけです。)1955(昭和30)年頃の料金は、人は10円、自転車は15円、リヤカーは20円だったそうです。 
丸山幸太郎監修『岐阜の原風景』(株式会社郷土出版 2006年)P109


【写真9】 地図へ戻る
 南岸から声がかかると、船頭さんが北岸の船に乗り込んで出発です。
 離岸は竿を使って慎重ですが、すぐに船外機を使ってあっという間に川を渡ります。
 川幅は100m程ですから、対岸到着に2分とはかかりません。
 写真の右手奥の山は
金華山です。
 


【写真10】 地図へ戻る
 対岸(岐阜市鏡島側)で待っている人を乗せます。


【写真11】 地図へ戻る
 この時は小さなお子さんも含めて、6人が乗り込みました。
 子どもさんは、弘法様の縁日で買った風船を持っています。

 昔は、長良川には、
岐阜市内だけにも9カ所の渡しがありましたが、今はこの小紅の渡しが残っているだけです。


| メニューへ | | 前へ | | 次へ |