現物教材 世界史13

 近代09  世界で最初の蒸気機関車 リチャード・トレヴィシックの蒸気機関車 12/11/19記載  | 目次へ

 イングランド南西端の半島部のコンウォールに生まれたリチャード・トレヴィシック(1771〜1833)は、1804年2月21日、ウェールズのペナデラン(Pen-y-daren)で、世界初の蒸気機関車の走行に成功しました。
 次がその蒸気機関車のプラモデル(現物教材)です。


 写真13−01 リチャード・トレヴィシックの世界初の蒸気機関車モデル (撮影日 12/11/19)


 全体のボリュームが大きくなりますから、次の順序で説明します。
リチャード・トレヴィシック?誰なんだその人物は。
この現物教材の入手先 HANNANTS
トレヴィシックの機関車の特徴


リチャード・トレヴィシック?誰なんだその人物は。          | このページの先頭へ |

 まずは、リチャード・トレヴィシックの紹介です。
 「そんな人物名は初めて聞いた」・「イギリスで蒸気機関車を動かしたと言えば、その男ではなく、
ジョージ・スティーヴンソンではないか」と思われる方が大半です。
 
 高校の教科書にも次のように書かれています。


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 これが、ごく普通の高校の世界史の教科書の記述です。スティーヴンソンが蒸気機関車や鉄道の発達に大きな貢献をしたことは読み取れますが、「リチャード・トレヴィシック」の名前は、記述のどこにもありません。

 しかし、日本の教科書が、「蒸気機関車は
スティーヴンソンが発明・開発」したとの、「事実を誤解させる表現」をとっているのとは対象的に、普通の鉄道の本には、明快にリチャード・トレヴィシックの名前が挙がっています。
 次をご覧ください。


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 世界的には、リチャード・トレヴィシックこそが、機関車を最初に発明した、「機関車の父」ということなのです。

 もちろん、イギリスの教科書には、もう少し詳しく
リチャード・トレヴィシックの活躍とその最後が書いてあります。


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 リチャード・トレヴィシックは、蒸気機関車の最初の発明者であったにもかかわらず、蒸気機関車を鉄道事業にすることは実現できず、ペルーに渡ったのち、同国の独立の混乱に巻き込まれて、帰国後は貧困のうちになくなりました。鉄道史への寄与という点では、スティーヴンソンとは大きな違いがあります。これが、リチャード・トレヴィシックが我が国では取り上げられない理由と考えられます。
 しかし、最初の発明者、「
蒸気機関車の父」であることには変わりありません。ここであらためて強調しておきたいと思います。

 このことについては、実は私も、2010年にイギリスのマンチェスターに行き、それがきっかけで、イギリス鉄道史を詳しく調べるまでは知りませんでした。
 調べた内容は、2011年の春に、→「マンチェスター・ロンドン研修記07に詳しく書きました。こちらをご覧ください。
 
 そのアピールが影響を与えたとは思えませんが、来年度から使用される日本の高等学校の新学習指導要領適応の新しい教科書の中には、次の
ようにリチャード・トレヴィシックの名前を挙げるものが出てきました。(上の、山川出版、東京書籍の教科書も新学習指導要領対応ですが、以前のままで、リチャード・トレヴィシックの名前は見ることができません。)


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 とはいっても、リチャード・トレヴィシックの名前は、教科書の本文ではなく、年表や絵の解説に登場しただけです。スティーヴンソンは本文に登場していますから、当然巻末の索引にも出てきますが、リチャード・トレヴィシックはまだそこまでは目立っていません。さて、高校の世界史の先生の何%が、このささやかな変化に気がつくでしょうか。大きな期待は・・・・・、無理ですね。


この現物教材の入手先 HANNANTS           | このページの先頭へ |

 この教材は、プラモデル「1804 TREVITHICK The World’s First Steame Locomotive 」(1/38)です。
 イギリスのプラモデル販売のウエブサイト、
HANNANTS で探しました。
 価格は、12.49ポンド(日本円換算、1594.76円)で、もう一つ購入した、「スティーヴンソンのロケット号」(同価格)と一緒に航空便で送ってもらって、送料は17.51ポンド(2235.73円)でした。製品一個より送料の方が高くついてしまいました。10月29日にインターネットで注文して、11月11日に到着しました。

 このサイトからは、欧米の多くのメーカーの商品を買うことができます。
 この商品の製造元は、アメリカの会社、MINI CRAFTです。
  ※ HANNANTS http://www.hannants.co.uk/ 
  ※ MINI CRAFT http://www.minicraftmodels.com/index.htm
 
 
HANNANTSのトップページから検索した結果、他に現物教材となるプラモデルとして購入したいと思ったものは、次のものです。
  ・ノアの方舟(1/350) 3951.33円(キリスト教の『旧約聖書』の話です)
  ・タイタニック号(1/350) 9883.61円
  ・ダグラスC54(1/144) 2371.06円(ソ連のベルリン封鎖時に空輸で活躍した輸送機です)
  ・古代ギリシア三段櫂船(1/72) 6588.63円(サラミスの海戦等に登場する軍船です」)
  ・ギリシア軍重装歩兵(1/72) 988.49円
  ・イギリス戦艦ドレッドノート(1/350) 5007.04円(超弩級戦艦の元祖です)


 写真13−02・03 パッケージとパーツ (撮影日 12/11/12)

 外国製の製品であったため、組み立てに苦労した話は、こちらです。
  →日記「久しぶりのプラモデル作り、外国製は手強い。8時間の苦闘」


トレヴィシックの機関車の特徴          | このページの先頭へ |

 では、せっかくですから、トレヴィシックの世界初の蒸気機関車の特徴を、プラモデルのアップ写真から説明します。ややマニアックになります。(^_^)

 まず、下の図1をご覧ください。蒸気機関車の基本的な構造を説明します。


 車体の構造は、ボイラー本体部分の下に4つの車輪が付けてある簡単なものです。運転席というものはなく、写真左側にボイラーの焚き口があります。
 ボイラー
焚き口からU字型の配管構造となっており、内部でぐるっと回って、焚き口のとなりの煙突から排気されます。
 ボイラー内の上部に蒸気を出し入れする
シリンダが1筒ありました。つまり、1気筒です。そこからつながっているピストン棒が真横に突き出ています。シリンダ内の蒸気の作用によって、このピストン棒が前後に動きます。それによって、その往復運動がコネクティングロッドによって写真右側のクランクピンに伝えられます。
 
クランクピンによって、歯車A、及びそれと同じ軸に取り付けてある反対側のはずみ車が回り、これによってピストンの往復運動が回転運動に変わります。
 その回転が、
歯車Bに伝えられ、さらに、同時に歯車Cに伝えられて、それと同軸の車輪が動くという仕組みです。
 2軸の車輪を同時に動かすため、とても大きな
歯車が4個使われているのが特徴です。まるで時計のようです。
 2軸駆動にしたのは、速度と牽引力のうちの牽引力を重視したためです。2軸同時に動力を伝えるには当時の技術では歯車かチェーン(自転車やバイクのそれです)が必要ですから回転力は高くなりません。しかし、軸馬力は2倍になります。

 なおシリンダから出た排蒸気は、煙突の内部に噴き上げ、通風をよくして石炭の燃焼を助ける仕組み、
排気ブラストとなっていました。この原理は、蒸気機関車の歴史を通して受け継がれていきます。
 この機関車は、ボイラーの焚き口とピストンが同じ側(写真の左側サイド)にあり、石炭を追加投入するという点においては全く不便な作りとなっていました。
  ※参考文献7 齋藤晃著『蒸気機関車 200年史』(NTT出版株式会社 2007年)P5  

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 この時トレヴィシックの蒸気機関車が走ったのは、ウェールズのカーディフの北にある、タフ川沿いのマーサーとアベルカノンの間の約15km(9.5マイル)です。詳しく紹介しているHPによれば、ここにはもともと人力馬車を走らせる線路があったのですが、その上を初めての蒸気機関車が走ったのです。
  ※マーサーの紹介サイト 「
OLD MERTHYR TYDFYL」(英文です)
    Top page http://www.alangeorge.co.uk/index.htm  
    トレヴィシックの紹介 http://www.alangeorge.co.uk/PenydarrenLocomotive.htm

 彼の蒸気機関車は、9トン(10トン説もあり)の鉄を載せた5両の貨車を牽引しその上に見物していた70人の人の乗せて出発し、
時速8kmほどのスピードで走ったとされています。時速は早めのジョギング程度だったわけです。歩く程度なら遅すぎますが、これぐらいならまあ最初の蒸気機関車としては合格点です。
 ただし他に問題がありました。
 目的地の運河まで
約15kmあまりでしたから、時速8kmなら2時間弱での到着になるはずでした。
 しかし、実際には、
4時間半もかかってしまいました。走り出せば時速8kmは出るのに、なぜこんなに時間がかかったのでしょうか?
 理由は、とても簡単です。途中で停車していた時間が長かったからです。では、なぜ長い間停車しなければならなかったのでしょうか?
 そこでクイズにしました。次の〔  〕の中に適することばを入れてください。

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 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

 そうしばしば停車し、しかも発車に時間がかかっては、目的地到着までに時間がかかるはずです。

 トレヴィシック自身は、
1本シリンダの蒸気機関の限界を知っており、すでに2本のシリンダを装備してクランクの角度を90度ずらして車輪を動かす仕組みにすると、このような立ち往生は免れることができるとわかっており、その仕組みの特許も取っていました。しかし、工作技術の問題から、この機関車は1本シリンダとなってしまい、案の定、何回も立ち往生する羽目になってしまったのです。
 ピストンが動かなくなると機関車を貨車と切り離して少しだけ動かして調整するため、再出発にはまた貨車と連結する必要があります。このため、長さが異なる連結棒を備えていたと伝えられています。

 また、当時はボイラーを組み上げるための薄くて圧力に耐えうる鉄板もなく、定置式の蒸気機関に使われていたものをそのまま横にして車輪をつけた機関車でした。このため、車重は5トンを越えていました。これを支える軌道の技術があればよかったのですが、それもまだ開発されていませんでした。
 鉄のレールを地面のうえに敷くことそのものは、すでにイギリス北東部では実用化されていました。もともとニューカッスル地方の炭田地帯では、すでに17世紀後半には、人力馬車が木製軌道の上を運搬する輸送システム、馬車軌道(ワゴンウエイ)が発達しており、
1750年代になると、鉄製のレールも登場しその耐久性をしだいに高めていたのです。
 
 しかし、まだこの時代は、製鉄業も発展の途上にあり、錬鉄の圧延レールはまだ一般的には使われていませんでした。レールといえば、もろい鋳鉄(鋳物)製の75〜90cmの短いものをいくつもつなぎ合わせて造られており、それまでの馬が引っ張る貨車と荷物の2トン程度のものまでなら耐えることができましたが、倍以上の蒸気機関車の重さには耐えることができませんでした。
 また、現在のように枕木を横に並べて軌道を安定させるという技術もまだありませんでした。このため、トレヴィシックの機関車は、線路を壊してしまったわけです。

 ついでにいうと、この時の線路の形状は、今と異なっています。次の拡大写真をご覧ください。

参考文献一覧へ

 写真13−04 再現されている当時の車輪とレール (撮影日 12/11/19)


 トレヴィシックの蒸気機関車には馬車のような普通の車輪がついており、現在のような脱線防止の内側のへり(フランジ)はありません。反対に、レールはL字型となっており、この出っ張りが車輪の脱線を防止する仕組みでした。
 馬車鉄道用のレールと車輪としては、この時点ではすでに現在のような形のレールに、車輪の側にフランジを付けたものも製作されていました。しかし、
トレヴィシックの最初の機関車は、古いタイプの車輪とL字型レールを使っていたわけです。

 なお、初めて車輪に
フランジをつけた蒸気機関車は、トレヴィシックがこの翌年の1805年に製作した機関車といわれています。
  ※参考文献3 クリスティアン・ウォルマー著安原和見・須川綾子訳前掲書 P28
  ※三区文献7 齋藤晃前掲著 P6−8

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 写真13−05・06 左:斜め前  右:ボイラーの焚き口は中央下です (撮影日 12/11/19)


 写真13−07・08 左:歯車とは反対側のサイドです。おおきなはずみ車です。(撮影日 12/11/19)
 右:手前に定規を並べました。目盛りがぼやけていますが、台の長さが24cmです。この実物教材は、生徒を驚かすほどは大きくはありません。 


 トレヴィシックのこの蒸気機関車を復元したレプリカが、カーディフの「National Museum Wales」にあります。実際にレプリカが走っている映像を見ることができます。この博物館では、最初に走った地名を冠して、世界最初の蒸気機関車を「The Penydaren loco」と呼んでいます。
 ※National Museum Wales トップページ http://www.museumwales.ac.uk/en/home/
 ※トレヴィシック機関車の動く姿の動画 http://www.museumwales.ac.uk/en/rhagor/article/trevithic_loco/

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 なお、トレヴィシックは自身の発明を鉄道というシステムに結びつけることはできませんでしたが、その子は19世紀なかばに、イギリスの西海岸を走る当時世界一の鉄道会社、ロンドン&ノースウエスタン鉄道の技師長となりました。
 また、その子二人、つまりトレヴィシックの孫兄弟は、19世紀後半に明治政府の御雇い外国人として相次いで来日し、日本の鉄道の発展に大きく寄与しました。


 【リチャード・トレヴィシックの蒸気機関車 参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

木村靖二他著『詳説世界史』(山川出版 2012年3月文部科学省検定済 教科書センター用見本)

尾形勇他著『世界史B』(東京書籍 2012年3月文部科学省検定済 教科書センター用見本)

クリスティアン・ウォルマー著安原和見・須川綾子訳『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』(河出書房新社 2012年)

R・J・クーツ著今井宏・河村貞枝訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ イギリスW』(帝国書院 1981年)
木畑洋一・松本宣郎他著『世界史B』(実教出版 2012年3月文部科学省検定済 教科書センター用見本)
 

川北稔他著『新詳世界史B』(帝国書院 2012年3月文部科学省検定済 教科書センター用見本) 

 

齋藤晃著『蒸気機関車 200年史』(NTT出版株式会社 2007年)