現物教材 世界史13 |
イングランド南西端の半島部のコンウォールに生まれたリチャード・トレヴィシック(1771〜1833)は、1804年2月21日、ウェールズのペナデラン(Pen-y-daren)で、世界初の蒸気機関車の走行に成功しました。 |
写真13−01 リチャード・トレヴィシックの世界初の蒸気機関車モデル (撮影日 12/11/19) |
全体のボリュームが大きくなりますから、次の順序で説明します。
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まずは、リチャード・トレヴィシックの紹介です。 |
これが、ごく普通の高校の世界史の教科書の記述です。スティーヴンソンが蒸気機関車や鉄道の発達に大きな貢献をしたことは読み取れますが、「リチャード・トレヴィシック」の名前は、記述のどこにもありません。 |
世界的には、リチャード・トレヴィシックこそが、機関車を最初に発明した、「機関車の父」ということなのです。 |
リチャード・トレヴィシックは、蒸気機関車の最初の発明者であったにもかかわらず、蒸気機関車を鉄道事業にすることは実現できず、ペルーに渡ったのち、同国の独立の混乱に巻き込まれて、帰国後は貧困のうちになくなりました。鉄道史への寄与という点では、スティーヴンソンとは大きな違いがあります。これが、リチャード・トレヴィシックが我が国では取り上げられない理由と考えられます。 |
とはいっても、リチャード・トレヴィシックの名前は、教科書の本文ではなく、年表や絵の解説に登場しただけです。スティーヴンソンは本文に登場していますから、当然巻末の索引にも出てきますが、リチャード・トレヴィシックはまだそこまでは目立っていません。さて、高校の世界史の先生の何%が、このささやかな変化に気がつくでしょうか。大きな期待は・・・・・、無理ですね。 |
この教材は、プラモデル「1804 TREVITHICK The World’s First Steame Locomotive 」(1/38)です。 |
写真13−02・03 パッケージとパーツ (撮影日 12/11/12) |
外国製の製品であったため、組み立てに苦労した話は、こちらです。 |
では、せっかくですから、トレヴィシックの世界初の蒸気機関車の特徴を、プラモデルのアップ写真から説明します。ややマニアックになります。(^_^) |
車体の構造は、ボイラー本体部分の下に4つの車輪が付けてある簡単なものです。運転席というものはなく、写真左側にボイラーの焚き口があります。 |
この時トレヴィシックの蒸気機関車が走ったのは、ウェールズのカーディフの北にある、タフ川沿いのマーサーとアベルカノンの間の約15km(9.5マイル)です。詳しく紹介しているHPによれば、ここにはもともと人力馬車を走らせる線路があったのですが、その上を初めての蒸気機関車が走ったのです。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
そうしばしば停車し、しかも発車に時間がかかっては、目的地到着までに時間がかかるはずです。 |
写真13−04 再現されている当時の車輪とレール (撮影日 12/11/19) |
トレヴィシックの蒸気機関車には馬車のような普通の車輪がついており、現在のような脱線防止の内側のへり(フランジ)はありません。反対に、レールはL字型となっており、この出っ張りが車輪の脱線を防止する仕組みでした。 |
写真13−05・06 左:斜め前 右:ボイラーの焚き口は中央下です (撮影日 12/11/19) |
写真13−07・08 左:歯車とは反対側のサイドです。おおきなはずみ車です。(撮影日 12/11/19) |
トレヴィシックのこの蒸気機関車を復元したレプリカが、カーディフの「National Museum Wales」にあります。実際にレプリカが走っている映像を見ることができます。この博物館では、最初に走った地名を冠して、世界最初の蒸気機関車を「The Penydaren loco」と呼んでいます。 |
なお、トレヴィシックは自身の発明を鉄道というシステムに結びつけることはできませんでしたが、その子は19世紀なかばに、イギリスの西海岸を走る当時世界一の鉄道会社、ロンドン&ノースウエスタン鉄道の技師長となりました。 |
【リチャード・トレヴィシックの蒸気機関車 参考文献一覧】
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