現物教材 世界史1

 原始・古代001  ロゼッタストーン                     | 目次へ

 <この項目は、2004年4月29日に改訂>

 ロゼッタストーンは、フランスのナポレオンがエジプトに遠征した際、

2002年8月にロンドン大英博物館で撮影。周囲がガラスケースで保護されているため、反射して撮影はうまくいきません。

1799年7月1日にナイル川の河口の町ロゼッタ(Rosetta)で発見した碑文の一部です。

【ナポレオンの説明】
 この時フランスは、イギリスと激しく争っていました。制海権を握られているフランスは、イギリスを苦しめる打開の策として、イギリスとインドとの通称ルートであるエジプトを制圧を考えました。その結果、3万8000人もの将兵をナポレオンに委ねて、エジプトに遠征させました。
 この時フランスは、1793年〜94年のジャコバン派の支配のあとに成立した穏健派の総裁政府の統治下にあり、ナポレオンはこの段階ではまだフランス軍の単なる司令官でした。
 
 1798年フランス軍はエジプトに上陸しました。この時フランスはエジプトを含めた中近東全体を植民地とする野心があったため、遠征軍には200に近い科学者や技術者が帯同していました。フランス軍は、エジプトを支配するオスマントルコ軍との戦い「ピラミッドの戦い」に勝利します。
 しかし、程なく駆けつけたイギリスのネルソン提督の率いる強力な艦隊の前に、アブキール湾の戦いでフランス遠征艦隊は敗北し、ナポレオンは翌年エジプトを脱出します。

【石の説明】
 この石はフランス軍によってナイルの河口、アレクサンドリアの東にあるロゼッタで発見され、同行の科学者によってその価値が認められました。この後、フランスはイギリスとアレクサンドリア協定を結び、正式にエジプトにおける敗北を認め、石は他の古代エジプトの遺物とともにイギリスに引き渡されました。1802年には大英博物館に運ばれ、公開されています。
 
 石は長さ約1m、幅約75cmほどの大きさで、黒色の花崗岩で作られています。表面には、3種類の文字で同じことが書かれています。写真の上段から、ヒエログリフ(神聖文字、古代エジプトの最も古い文字)、デモティック(民衆文字、ヒエログリフの略字体)、古代ギリシア文字です。すでに知られていた古代ギリシア文字が併記されていたことは、エジプト古代文字の解読の大きな手助けとなりました。右はヒエログリフ部分とデモティック部分の拡大です。




【文字の解読】
 この碑文をきっかけとして古代エジプト文字の解読に成功したのが、フランスの天才的言語学者ジャン・フランソワ・シャンポリオンです。1822年のことでした。
 碑文は、紀元前195年、国王プトレマイオス1世が神官団に対して行った免税措置を、神官団が褒め称えて古都メンフィスで作製されたものです。
 この時のエジプトは、アレクサンドロス(アレクサンダー)大王時代の後の、プトレマイオス朝の時代です。この王朝の最後には、クレオパトラ7世が登場し、ローマ帝国に滅ぼされます。
 
 さてお待たせしました。ここからがこのサイトの読ませどころです。ヒエログリフを使ったお遊びです。
 ヒエログリフは、基本的には象形文字で6000文字程あります。同時に、表音文字として使われているものが、24個あります。つまり、アルファベットのようなものです。同じ文字なのに二つの種類が含まれているということが、解読を難しくしました。そういえば日本語の「漢字とかな」は、これと同じ理屈ですから、日本人が考えればもっと簡単だったかもしれません。
 
 シャンポリオンは、表音文字を解読するのに、人名を手がかりにしました。左上の図を見てください。
 王名は、名前ごとに楕円のようなもので囲ってあります。
 彼は、ギリシア文字でプトレマイオスと記載されているのを見つけ、それが、ヒエログリフのどれに当たるかを調べました。そうやって、次々に表音文字や象形文字を解読していったのです。図の1がプトレマイオスと発音できる文字です。
 では、2や3は何と読めるでしょう。2は少し知識があれば何とかなりますが、3はちょっと苦しいです。
 
 また、右上の下段は、実際にはあり得ない、私の名前「Mizuno」です。しかし、これも、ちょっと苦しい気がします。(上の左の2・3を考える参考にはしないほうがよいです。) 
 ※フィリーップ・アーダ著 吉村作治監修林啓恵訳  『ヒエログリフを書こう』(2000年翔泳社)

 ※ヒエログリフやエジプト学の専門サイト  http://www4.justnet.ne.jp/~anubis/  


ジグソーパズル800ピース
できあがると縦横64cm×49cm

ネクタイ
これは図柄が今ひとつで、締めていてもよほどの識者でないと、ロゼッタストーンとは思ってもらえません。(-.-)

厚さ2cm、縦横33cm×25cmのいかにもそれらしい置物(壁掛け)

9.99ポンド(約1900円)

30ポンド(約5800円)

40ポンド(約7600円)

 ※価格と為替レートは、004年4月段階のものです。

【品物の入手】
 上の現物の入手は、すべて、
大英博物館のミュージアムショップのオンラインショッピングで購入したものです。
 つまり、下記のサイトにアクセスして、クレジットカード払いで購入(もちろん、shipping 郵送料は別に払います)すると、船便で送ってもえます。

 ※大英博物館ミュージアムショップ http://britishmuseum.co.uk/
 ※大英博物館そのものは http://www.thebritishmuseum.ac.uk/
 
 このミュージアムショップは、大変商売熱心です。
 私が初めて購入したのは2000年でしたが、 それ以後、案内のメールは2ヶ月毎に、さらに、カタログ冊子が年2回ずつ、ずっと送り続けられています。他のいくつかのミュージアムショップでも購入していますが、これほど熱心な所はありません。さすが大英博物館。

 大英博物館は、世界中の宝物が集まっている観があります。確か、幕末に4カ国連合艦隊にこっぴどくやられた長州の砲台の大砲もあるそうです。18世紀・19世紀にイギリスがいかに世界を荒らし回ったかの名誉ある記念の館です。
 私は決して右翼ではありませんが、20世紀前半の大日本帝国の悪行の数々なんか、大英帝国に比べれば、大人と子どもほどの違いがあります。いかがでしょう。

 大英博物館のミュージアムショップで購入した物は他にもあります。
 エジプトの死者の書の「審判模型」はこちらです。
 


近代001  各種スパイス                                           | 目次へ

 ヨーロッパ人による「大航海時代」の結果、世界の歴史は真の意味での「世界史」=世界の一体化がはじまりました。 そのヨーロッパ人の航海の動機のひとつは、言うまでもなく、香辛料の獲得です。
 
 大航海時代を教える際には、是非、実物の香辛料と、その意味について、たっぷりと生徒に聞かせたいものです。

 コショウ・ナツメグ・クローブなど香辛料は、当時のヨーロッパ人にとって次のような効能を持つ宝物でした。

  1. 香辛料が発する香りは、冷蔵庫のない当時、次第に腐っていく肉の腐敗臭をとるために不可欠のものであった。

  2. 香辛料そのものに防腐効果があり、肉を長持ちさせることができた。

  3. 健胃腸薬であったのをはじめ、伝染病・婦人病など様々な病気に効く薬と信じられ、はたまた催淫剤としても期待されていた。

 現在ではどこでも手に入るこれらの香辛料ですが、当時は、アジアの特定の地域でしか産出しませんでした。そのため、大航海時代前の西ヨーロッパの人々は、香辛料の入手に苦労しました。

 たとえばインド原産のコショウは、インドとヨーロッパの間に位置するイスラム系の商人、地中海貿易を牛耳るイタリア商人の手を経て西ヨーロッパまで運ばれたため、法外な値段となりました。
 
  「香辛料を直接手に入れて大もうけをする」
 これこそが、ポルトガル人がスペイン人がそして遅れてオランダ人がイギリス人が、多くの犠牲をものともせずアジアに向かった理由でした。

 1603年5隻の船団を率いて帰国したジェイムズ・ランカスターは、乗組員の半数を病気等で失ってしまっていましたが、香料諸島から100万ポンド(重量)のスパイスを持ち帰りました。
 当時、ロンドンではナツメグは、10ポンド(重量の単位)が50シリング(お金の単位で0.5ポンド) で売られていましたから、単純に計算すると50万ポンドのお金を手に入れることになります。
 ちなみに彼の乗った船は、1600ポンドで購入されていますから、手にする50万ポンドは相当な額になるでしょう。
 もっとも、大成功してあまりたくさん運んでくると値段が下がってしまうという、経済の原則が働いて、商人たちを苦しめはしましたが・・。
「世界史クイズ編へ」
 ※ジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争』(2000年朝日新聞社) 


ブラックペッパー ナツメグ
   
和名 黒コショウ(胡椒)インドのマラバル地方原産  和名 肉づく インドネシアのモルッカ諸島(香料諸島)原産

クローブ シナモン
   
和名 丁子(ちょうじ)インドネシアのモルッカ諸島(香料諸島)原産  和名 肉桂・桂皮・にっき ベトナムが原産といわれている。 

胃腸薬

現在売られている漢方系胃腸薬には香辛料が多く含まれている。

 例 太田胃散分包
  <1包1.3g中>
   ・桂皮  92mg
   ・肉づく 20mg
   ・丁子  12m


 日本人が現在消費する香辛料は、市場規模で約570億円(1998年度)。これには、わさび・からしのチューブ入り香辛料も入っていますが、その中で、コショウは全体の21%、約120億円の規模となっています。
 ところで、コショウにもには白コショウと黒コショウがありますが、ヨーロッパでは白が、アメリカでは黒が、消費の主流です。両者を混ぜてしまったブレンドコショウは日本独特のものだそうです。黒コショウの野性味と白コショウの芳香性をうまくミックスして、日本の食卓の洋風料理にあうようにしたのでしょう。
 こんなところにも、日本文化が得意な「外来品の日本化」が現れています。

 唐辛子は、同じ香辛料でも、もともとアメリカ大陸産のもので、これも大航海時代以後世界に広がって行きました。コショウなどと違って各地で栽培することができたので、日本でも16世紀に伝来した後各地で栽培されます。
 江戸時代に急速に広がったそば・うどんの薬味として「七味唐辛子」が不可欠のものとなり、最盛期には、100種ほどの品種が栽培されました。虫除けにも使う「鷹の爪」もその一種です。
 現在の日本ではあまり栽培されておらず、消費されるものの大半は中国製です。

 また、香辛料の医学的な効用については、中世ヨーロッパ人の怪しげな信心とは別に、現代では、かなり深く研究されています。
 消化促進・肥満防止・強壮・発汗促進・咳止め・下痢腹痛止めなどの他、抗酸化作用によるガンの防止などの効果も明らかになっています。

 写真の香辛料は、
エスビー食品GABANスパイス株式会社などの商品で普通にスーパーの店頭で売っているものです。1瓶・1袋が300円から500円です。
 香辛料そのものの説明は、
エスビー食品のサイトに、たっぷりと掲載されています。
     http://www.sbfoods.co.jp/spiceherb/ 

 ところで、エスビー食品というと若い世代の人には、何を作っている企業と思われているでしょうか。

 この項目では、上記のサイトに御世話になりましたので、お礼にちょっと同社の宣伝をします。
 エスビー食品の前身は、日本で初めて純国産のカレー粉の製造に成功した山崎峯次郎氏が創立した「日賀志屋」という会社で、その創業は1923(大正12)年だそうです。以後、カレーとスパイスの会社として発展をしてきました。

 1930年以来商標として、太陽(sun)と鳥(bird)を図案化したものを使用し始め、1949年には、その商標の略号を正式社名とし、ヱスビー食品となります。1992年からは「ヱ」を普通の「エ」に変えて、エスビー食品となっています。 
 面白いことに、私が使っているワープロ「一太郎11」では、えすびーしょくひんと入力すると、古いタイプの「ヱスビー食品」と一発転換します。
 最近では、スパイスに加えハーブの分野でも業績を伸ばし、同社のサイトでは、「PICE & HER」となっています。これからの世代の人は、sun & bird ではなくて、そちらの方の「エスビー」と理解するかもしれません。

 私たちより年輩の世代では、カレーライスは、今のようにいつでも食べることができるものではなく、みんなが集まった時のごちそうという感じでした。幼いころは、もちろんレトルトカレーというものはありませんでした。
 1959(昭和34)年には、ヱスビー食品から即席カレー粉をもなかの皮にくるんだ「即席モナカカレー」が発売され、全国ヒットとなりました。