現物教材 経済2

005 インフレ ジンバブエ・ドル セット                |現物教材:目次:現代社会・経済へ | 

 インフレ紙幣教材シリーズの3番目です。
 まず、先の二つとまとめて紹介します。

 

時代と国

現物教材紙幣

第一次世界大戦後のドイツ(こちらです→)

5000万マルク紙幣

1993年のユーゴスラビア(クイズ現代政治へこちらです→)

5000億ディナール紙幣

2008年のジンバブエ

1000億ジンバブエドル


 経済学用語でいうハイパー・インフレーションというのは、我が国の第二次世界大戦後のそれも含めて、国が戦争に敗れたり政治が極度の混乱に陥った時、何度か発生しました。
 現在では希になりましたが、それでも時々発生します。上の2の1990年代の旧社会主義国ユーゴスラビアの分裂と内線はその例です。

 今年の前半からアフリカの南部の国ジンバブエでインフラがおこっているというニュースを聞いていましたが、あれよあれよという間に、とんでもないインフレーションになってしまいました。その結果、ジンバブエドルが世界経済の現物教材になってしまいました。
 
 その状況を次の項目で説明します。

 1 インフレの状況  2 1000億ドル紙幣  3 インフレの原因  4 インフレの収束

 1 インフレの状況      | 目次へ |

 ジンバブエ中央銀行(Reserve Bank of Zimbabwe http://www.rbz.co.zw/)の発表によると、2008年7月の時点で、ジンバブエのインフレ年率は、231,150,888.87%となりました。
  ※この数字は現在も中央銀行のHP(上記)のTopに掲載されています。
 インフレ率という数字は、昨年に比べて物価がどれだけの割合増加したかを示す数字です。100円の商品が110円になった場合、インフレ率10%と表現します。ということは、インフレ率100%の場合、1年間で物価が2倍になったという意味します。
 231,150,888.87%ということは、1年間で物価が
231万150.8887倍になってしまったということです。

 ジンバブエドルの価値の下落は当然為替レートに現れ、対ドル・対円為替レートは、日本時間で7月19日の時点では、次のようになっていました。
1アメリカドル 271億6467万7690.87ジンバブエドル
1日本円   2億5589万6356.19ジンバブエドル

 これだけ値上がりすると、ジンバブエ国民の買い物も大変なことになります。
 何しろ1年前
100円の商品が、2億3115万0788円になっているのですから、現金での支払いはとんでもないお金を持ち歩かねばならないことになります。
 Garbagenews.com というサイトには、2008年03年08日のジンバブエでの買い物の状況の写真が掲載されています。(こちらです→ http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/03/post_3210.html
 世界史の教科書に掲載されている第一次世界大戦後のドイツのように、お札を束ねて煉瓦のようにして支払っています。10万ジンバブエドルや20万ジンバブエドルの煉瓦です。お札の金額を紙幣の枚数ではなく、秤(はかり)で重さを量っている写真も載っています。

 インフレに応じて高額紙幣がどんどん発行されていくのは、どのハイパーインフレーション時でも同じです。
 その結果、2008年7月21日に、額面が最高の紙幣、
100,000,000,000(1000億)ジンバブエドル紙幣が発行されました。(もちろん、この時点ではこれ以降もっと額面の高い紙幣が発行される可能性もありましたが、結果的に、これが最高額となりました。)

 それが今回の現物教材です。
 実は、この紙幣は、高額紙幣であると同時に、12日間しか通用しなかった貴重な紙幣です。


 2 1000億ドル紙幣       | 目次へ |

 この紙幣は、ヤッフー・オークションで入手しました。
 最初にこの紙幣に注目した2008年8月下旬の段階では、最高落札金額が12,000円を超えたことがありました。そんな高額ではとても入手する気にはなりませんでしたので、しばらく待ちました。
 そして、9月中旬には5000円前後に落ちてきましたので、落札しました。私の入手金額は5000円+送料です。なかなかの出費となりました。(--;) 
 上記の7月半ばの対円レートからいうと、1000億ジンバブエドルは、390円ほどにしかなりません。まったくぜいたくな買い物です。妻には内緒です。(--;)
 2008年11月1日段階では、2ヶ月前よりも出品数も大幅に増えて、
オークションでも2000円〜3000円前後で手に入りそうです。これぐらいならまあまあですね。 

 1000億ジンバブエドル紙幣の裏側には、2頭のキリンと、おそらくは穀物貯蔵施設だと思われる巨大な施設がデザインされています。


 3 インフレの原因        | 目次へ |

 さてさて趣味の世界では紙幣を紹介したところで終わって何ら差し支えありませんが、このサイトは、あくまで教材研究サイトです。授業でハイパー・インフレーションの現物教材を使った以上、どうしてそのインフレーションが生じたかを説明しないで過ぎるわけにはいきません。
 ジンバブエの歴史も含めて、以下に年表風に簡単に説明します。キーパーソンは、この国の
ムガベ大統領です。
  ※この項目は、情報サイト「
All about」(Topはこちらです→http://allabout.co.jp/)を参考にしました。
    記事そのものはこちらです。→http://allabout.co.jp/career/worldnews/closeup/CU20080813A/


年  代

事  項

説   明

1890年代

 

植民地南ローデシア成立   

 イギリスの南アフリカ会社の経営植民地をイギリスが直接支配、南ローデシアと称される。「ローデシア」は「ローズの家」の意味。ケープ植民地の首相南アフリカ会社の設立者セシル・ローズ(世界史の教科書にも出てきます)の名前に由来します。
 白人による大農場経営が進展。国土のほとんどは白人大農場主の所有地となっていきます。
 第二次世界大戦後、イギリスからの独立に際して、白人勢力と黒人勢力による闘争が激化します。

1965年

11月

ローデシアとして独立

 白人勢力がイギリス植民地から独立を宣言。このあと南隣の南アフリカ共和国と同じように白人政権による黒人差別政策が続けられます。

1980年

4月

ジンバブエ誕生

 反政府武装闘争を行っていた黒人勢力が新政権樹立ムガベ氏が首相に就任。国名をジンバブエと改称。

1987年

 

ムガベ氏、大統領に就任

 議院内閣制が廃止され、大統領制に移行。ムガベ大統領は、当初は、白人勢力との融和政策をとっていたが、次第に独裁化し、白人弾圧政策へ移行。

2000年

8月

白人農場を強制収容開始

 白人が所有していた大農場を強制収容し、農場で働く黒人再分配する仕組みが行われました。このため、白人勢力の支配は崩壊したものの、それまで安定して農業生産を行っていた白人勢力が国外退去したため、技術的なレベルダウンから農産物生産は大幅ダウン。それまで同国の有力な外貨獲得手段が消滅しました。

2002年

 

ジンバブエ大統領選挙

 ムガベ大統領、4選。選挙の際、大統領が野党勢力を弾圧。以後、欧米諸国との関係が悪化。

2003年

 

インフレ率600%

 農業生産の低下に飢饉、欧米諸国の経済制裁等の複合要因によりインフレが発生。

2007年

9月

外資系企業の株式強制譲渡法

 ジンバブエ国内の外国資本系企業に対して株式の過半数をジンバブエの黒人に譲渡するよう義務付ける法案が国会で可決されました。

2008年

3月
6月

大統領選挙

 3月に行われた大統領選挙の結果は5月末によってようやく公表されましたが、得票率はムガベ大統領43%、野党対立候補のツァンギライ候補は47%でした。選挙法では過半数の得票を得た候補がいない場合は決選投票となっており、6月末に行われることになりました。
 ところが、これに対して
ムガベ大統領が再び野党の弾圧を実施。野党党員が拷問・殺害される事件が相次ぎ、対立候補ツァンギライ氏は、やむなくオランダ大使館に避難し、立候補を断念。6月27日の決選投票でムガベ大統領の5選が確定。

2008年

7月

欧米諸国の経済制裁

 ムガベ大統領のこの乱暴なやり方に対して、欧米諸国は大統領派人物の資産凍結などの経済制裁を実施。ジンバブエ国内経済もますます混乱を極め、極端なインフレが進行。
 ただし、7月11日
国連安全保障理事会にアメリカが提出した制裁決議案は、ロシア・中国の常任理事国やベトナムなどの非常任理事国の反対によって否決されました。


 簡単に言えば、独裁者ムガベ大統領の強引な経済政策による経済の混乱と反対派弾圧に対する欧米諸国の経済制裁などが要因となったインフレーションといえます。


 4 インフレの収束        | 目次へ |

 下の紙幣は、額面が10ジンバブエドルとなっています。これは何でしょうか?

 国名のジンバブエとは、国民の70%以上を占めるショナ人が話すショナ語で、「石の館(家)」を意味する。ジンバブエの国土の東部中央にはグレート・ジンバブエ遺跡があり、東西1.5km、南北同じく1.5kmの広さに、石造建築物群が数多く残されています。紙幣の裏面のテーマは、やはり農業です。

 2008年8月1日、あまりにもインフレが進んでしまったジンバブエ経済を再建しようと、中央銀行はデノミネーションを実施しました。デノミ率は100億分の1です。つまり、旧100億ジンバブエドル=新1ジンバブエドルとするデノミです。
 この結果発行された新紙幣の一つが、この10ジンバブエドルです。
 ということは、上の、
旧1000億ジンバブエドル紙幣1枚が、この新10ジンバブエドル紙幣1枚と交換されたわけです。

 さてこのインフレの収束はというと、実は今の時点でははっきり分かりません。
 ただし、9月以降、ジンバブエに関するインフレのニュースはあまり報道されなくなりました。ということは、少なくともひどいインフレがそれ以上進行することはなかったということだと思います。
 もう少し時間が経て、はっきり確認できたら、追記します。