かくて、家には、あいかわらず常勤講師をしている長男と我が夫婦の3人が残ることなった。(私の両親が相変わらず離れに暮らしてはいる。)昨年より1名減である。1名減っただけで、やたら夫婦二人だけの時間が増えた。しかも、23歳の長男の面倒を見る必要はない。家の中に扶養家族がいなくなり、実感として、「子どもが巣立った」という感じである。
妻
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「なんとなくさびしいね。」
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私
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「お母さんは、叱る相手がなくてつまらんだろう。父さんはそうでもないぞ。かえって邪魔されんでいい。」
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妻
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「何か二人だけの時間が増えて、新婚時代に戻ったような・・・・。休みごとにどこか小旅行でも行こうか。」
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私
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「お互い顔を見ていると、新婚時代なんて気分ではない。年をとった。」
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妻
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「いやらしい。またそういう夢のないことを言う。」
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私
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「それに日曜日は月3回学校がある。通信制勤務だ。」
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妻
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「じゃ、土曜日だけでも。」
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私
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「疲れる。過労死する。」
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妻
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「・・・・」
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子どもを育て上げるという感覚は、やはり、母の方が格別強いに違いない。大役を終えたと思っている妻と、それほど変化がない日常が続いていると思っている夫との意識のギャップは小さくない。 このままでは、熟年離婚に行きかねない。
で、ちょっと気を遣った。
私
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「いつかのコマーシャルに、『女房酔わせてどうするの』と言うのがあったが、どうか。」
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妻
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「私はお酒は飲めないっちゅうの。わかっとるくせに。」
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私
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「そうか、そういう台詞もだめだな。飲ませてゲロはかれたら、後始末が大変だ。」
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妻
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「(--;)・・・・・・」
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私
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「『もう、母さんって呼ぶのやめるか』というCMもあったが・・・。」
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妻
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「で、なんてよんでくれますか。」
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私
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「う〜ん、でも今更、名前も呼びづらい。『おい』とか。」
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妻
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「(--;)・・・・・」
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何んとかとりつくろうつもりが、フォローにもならず、おおよそ最悪の弁解になった。
私
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「えー、ところで、よくここまで育ってきたもんだ3人とも。」
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妻
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「本当ね。」
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私
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「よくここまで熟年になったもんだ二人とも。」
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妻
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「そういえば、結婚25周年のイベントとかもやっていない。」
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私
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「えっ、そうだっけ。別れずに、ここまで来たから偉いもんだ。」
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妻
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「『主人公』の歌詞の中にある、『あそこの分かれ道で選びなおせるなんて』思わずにすんだから良かった。」
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私
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「石の上にも3年、尻の下にも25年。よく我慢した。」
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妻
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「何それ。」
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私
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「昨年、ある人が学校に講演に来て、『もう一度人生やり直せるのなら、奥さんともう一度結婚するって言えますか。言える人手を挙げてください。』っていわれて・・」
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妻
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「挙げたの?」
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私
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「挙げなかった。」
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妻
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「何で?」
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私
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「挙げなかったら、講演者の人に、悲しそうな顔で、『あなた、自信を持って手を挙げられるようにしてください』って言われた。」
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妻
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「常識的にはそう言うよね。」
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私
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「自分はそうではないと思う。人生なんてものは、小さな決断や偶然の積み重ねで作られるものだ。
たとえ40年前の中学生にもどって、記憶だけは残っていて、それでいて君と出会って、同じ生活するなんて、できるはずはない。それこそ今の幸せを冒涜することになる。やり直したら、きっと、失敗する。そう思うほど、幸せなことはないと思っている。だから生まれ変わっても君と結婚するんではなく、他の人と結婚して、きっと後悔する。そういう方が正しい。」
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妻
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「理屈が通っているような、何か他の願望があるような・・・・・・・・・・・。」
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私
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「連休には、また大阪へ行こう。」
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妻
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「そうね。きっと部屋の掃除もできとらんて。」
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あそこの分かれ道で『選び直し』、なんて考えたことはなかった。それが一番の、幸福。
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