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 35 女、妻、母X 選び直し              08/04/20

 今年の春もまた、我が家は「人事異動」ばやりとなった。
 私(父)と長男Kは異動はなかったが、残る3人は、それぞれ「異動」があった。
 妻は、5年間努めた関市の学校から私の勤務する学校にほど近い(自動車で5分)学校へ転勤となった。それまでは、通勤に1時間近くかかり、朝は7時10分に出なければならなかったことを考えると、随分時間的に楽になった。共働きの女性にとって、時間的余裕は何よりであろう。

 もっとも、その代わりに、シビアな「うーん困った」いう問題も発生した。それまで、妻は盲学校と特別支援学校に続けて13年間勤務していた。会社のサラリーマンの方はご存じないだろうが、普通の高校ではなく、今日でいう特別支援教育の学校に勤務すると、本給が1割ほどアップする。妻はそれをずっともらっていたが、この転勤によってもらえなくなった。
  「その代わりヒマになった。命に関わる心配を毎日毎日、気にすることもなくなった。ほっとした。」といっているので、昇級分のストレスからは解放されたようである。

 しかし、困ったことに収入が減った。これはシビアな問題である。この手当の額は、年功序列で年が経ればすぐに追いつくという金額ではない。
 今、私は定時制・通信制の高校に勤務しているので、実は、私も定通手当というのを本給の8%もらっている。
 つまり、平成19年度は夫婦二人で通常の給料より余分にもらって経済的にはリッチだった。その片方がなくなったのだから、それはそれは痛い。(この先、いつか私も転勤になるともっと痛い。後から見て平成19年度が我が夫婦の最高収入の年だったということになりそうだ。)

 それはさておき、妻の転勤で私には仕事が増えそうだ。家事手伝いではない。実は、妻の通勤経路は途中までは私と全く一緒で、彼女は私の勤務する学校の前を通って、さらに5分走って自分の職場に着く。もちろん、同時には出かけない。私は定時制、彼女は全日制勤務であるから、家を出る時間が違い、当然妻の方が早く家を出る。

 したがってこんなこともおこる。
 少し遅く起きて出勤の準備をしていると携帯電話が鳴った。すでに学校に到着した妻からである。

「あのねー、家に自分の弁当忘れてまった。届けてくれん。」

「ええい、亭主をなんと心得る。」

「いいがね、どうせ同じ方なんだから。」

 かくて、妻の学校の門前まで行くことになった。これからもこの宅急便は活躍させられそうである。

 リニモの見えるアパート。1年だけの住居。引っ越しは名古屋にしては珍しく、雪の降る日だった。(撮影日 08/02/10)


 次男Yはまだ大学生であり、この春から4年生になった。本来なら引っ越しなどする時期ではないのだが、この3月から新しい住まいに移った。昨年は名古屋市郊外にある大学の近くのリニモが見えるアパートにいたのだが、そこを引き払って、妻の実家に妻の母(Yから見ると祖母)と一緒に住むことになった。
 妻の実家は、彼女とその姉と女ばかりの姉妹で、実家を嗣ぐものは誰もおらず、義父が亡くなってからは、義母が一人暮らししていた。そこへ、次男Yが同居人となった。いずれ、養子かなんかでその家を嗣ぐつもりである。まあ、それも一つの決断であろう。

 次男という気楽さを利用して、ちゃっかりうまいところに収まったといえばいえなくもない。また、あえてそんな「家」を背負うこともなかろうにと思わないわけでもない。うまくいくことを祈るばかりである。 


 もっと思い切ったことをした息子がいる。3男Dである。
 彼はこの3月に高校を卒業したが、結局受けた大学は皆不合格になり、天下の「素浪人」となった。
 問題は、どこで浪人をするかである。
 元々関西の大学が志望校であった彼は、なんと、大阪に自分が気に入る予備校があるといいだし、ちゃっかりアパートの独り暮らしを決めこみ、この4月から大阪府民となってしまったのである。これまた、いさぎよいというか、あっぱれな決断であった。これが英断か無謀な行為かはあと11ヶ月もすれば答えが出る。次男以上に、ひたすら神仏に祈らなければならない。今年もあちこちの神社にお参りすることが増えそうだ。


 
 大阪天王寺区の町中で、浪人生Dは生活することになった。もちろん、奥の高層マンションなんかではなく、もっと手前の普通のアパートである。
 
 面白いことに、近鉄上本町駅から歩いて5分という超中心地にありながら、家賃は4万5千円とそれほど高くない。

 大阪だからだろうか。

  


 かくて、家には、あいかわらず常勤講師をしている長男と我が夫婦の3人が残ることなった。(私の両親が相変わらず離れに暮らしてはいる。)昨年より1名減である。1名減っただけで、やたら夫婦二人だけの時間が増えた。しかも、23歳の長男の面倒を見る必要はない。家の中に扶養家族がいなくなり、実感として、「子どもが巣立った」という感じである。

「なんとなくさびしいね。」

「お母さんは、叱る相手がなくてつまらんだろう。父さんはそうでもないぞ。かえって邪魔されんでいい。」

「何か二人だけの時間が増えて、新婚時代に戻ったような・・・・。休みごとにどこか小旅行でも行こうか。」

「お互い顔を見ていると、新婚時代なんて気分ではない。年をとった。」

「いやらしい。またそういう夢のないことを言う。」

「それに日曜日は月3回学校がある。通信制勤務だ。」

「じゃ、土曜日だけでも。」

「疲れる。過労死する。」

「・・・・」

 子どもを育て上げるという感覚は、やはり、母の方が格別強いに違いない。大役を終えたと思っている妻と、それほど変化がない日常が続いていると思っている夫との意識のギャップは小さくない。 このままでは、熟年離婚に行きかねない。

 で、ちょっと気を遣った。

「いつかのコマーシャルに、『女房酔わせてどうするの』と言うのがあったが、どうか。」

「私はお酒は飲めないっちゅうの。わかっとるくせに。」

「そうか、そういう台詞もだめだな。飲ませてゲロはかれたら、後始末が大変だ。」

「(--;)・・・・・・」

「『もう、母さんって呼ぶのやめるか』というCMもあったが・・・。」

「で、なんてよんでくれますか。」

「う〜ん、でも今更、名前も呼びづらい。『おい』とか。」

「(--;)・・・・・」

 何んとかとりつくろうつもりが、フォローにもならず、おおよそ最悪の弁解になった。

「えー、ところで、よくここまで育ってきたもんだ3人とも。」

「本当ね。」

「よくここまで熟年になったもんだ二人とも。」

「そういえば、結婚25周年のイベントとかもやっていない。」

「えっ、そうだっけ。別れずに、ここまで来たから偉いもんだ。」

「『主人公』の歌詞の中にある、『あそこの分かれ道で選びなおせるなんて』思わずにすんだから良かった。」

「石の上にも3年、尻の下にも25年。よく我慢した。」

「何それ。」


「昨年、ある人が学校に講演に来て、『もう一度人生やり直せるのなら、奥さんともう一度結婚するって言えますか。言える人手を挙げてください。』っていわれて・・」

「挙げたの?」

「挙げなかった。」

「何で?」

「挙げなかったら、講演者の人に、悲しそうな顔で、『あなた、自信を持って手を挙げられるようにしてください』って言われた。」

「常識的にはそう言うよね。」

「自分はそうではないと思う。人生なんてものは、小さな決断や偶然の積み重ねで作られるものだ。
 たとえ40年前の中学生にもどって、記憶だけは残っていて、それでいて君と出会って、同じ生活するなんて、できるはずはない。それこそ今の幸せを冒涜することになる。やり直したら、きっと、失敗する。そう思うほど、幸せなことはないと思っている。だから生まれ変わっても君と結婚するんではなく、他の人と結婚して、きっと後悔する。そういう方が正しい。」

「理屈が通っているような、何か他の願望があるような・・・・・・・・・・・。」


「連休には、また大阪へ行こう。」

「そうね。きっと部屋の掃除もできとらんて。」

 あそこの分かれ道で『選び直し』、なんて考えたことはなかった。それが一番の、幸福。


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