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33 少年時代・学生時代6 鎮守の森 06/07/1 | ||||
小学生の頃、この答えは、2種類しかあり得なかった。「学校」(小学校のグランド)と「お宮さん」(近くの溝旗神社の境内)であった。 |
わざわざ説明するまでもないが、いつもの癖で、この話に出てくる地域(19歳まで住んでいたところ)を、現代の衛星写真を使って解説する。
ご覧のように、昔住んでいた小学校校区は、岐阜市の真ん中にある。 |
だからこそ、少年たちにとって、「お宮さんの森」は、大きな意味があった。
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昔の自宅の前から、西を向いて撮影した写真。 |
二つだけ変わらないものがある。 |
一方、お宮さんといえば、境内でのかくれんぼ、鬼ごっご(名前や詳細は忘れてしまったが、いろいろな役のある複雑なルールの「鬼ごっこ」)、ぽこぺん、缶蹴り、だるまさんが転んだ、などなどいろいろな遊びに日の暮れるのを忘れて遊んだ。 |
この溝旗神社の創建は、境内に掲げてある「御事歴」によれば、用明天皇の2年である。 この天皇は、推古天皇の2代前の方で、西暦に直すと、586年のことになる。本当なら、1400年以上の歴史のある神社ということになる。 |
神社のタイプとしては、京都の八坂神社や愛知県津島の津島神社などと同じ、素戔嗚尊を祀って、夏の疫病除けを祈願する神社なのである。 |
つまり、学校はいわばルールに則った人工の空間であったが、一方神社は、もっと自然で創造的な空間だった。 |
日常の思い出もずいぶんあるが、この溝旗神社の思い出といったら、なんといっても、夏の提灯祭りである。 |
暗くなる前の境内前の広場。社務所に聞くと、昔はここも境内地だったそうだが、今は岐阜市の公園となっている。(撮影日06/07/10 以下同じ) |
広場の南にも、店が並ぶ。綿菓子や輪投げなど、40年前と同じ種類の店もある。 |
神社の祭礼とは別に、公園の一番南の広場では、特設の「ステージ」が作られ、15時頃から、子どもたちによる出し物がはじまっていた。 |
夕暮れになると、各町内から提灯を掲げた氏子が集まってくる。 |
中には、提灯に火を付けないで持ってくる町内もある。 |
鳥居をくぐった参詣者は、お祓い所で、お祓いを受ける。 |
昔の思い出では、もっとたくさんの火を灯した提灯に囲まれて参拝したような気がするが、まあ致し方ない。 |
家族で話題にしてみた。
サッカーのリフティングができて、一輪車にも乗れる。 |
鳥居の左に、手水舎がある。 |
中学生になってからは、もう境内で遊ぶことはなくなっていたし、提灯祭りも、高校に入ってからは、行かなくなった。この神社で遊んだ思い出は、中学3年生の提灯祭りで終わっている。
彼女の驚きの笑顔が、この鎮守の森における思い出の最後となった。 |
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