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 25 少年時代・学生時代3  名鉄電車1    03/01/30     

 突然暗い話で恐縮だが、2003年1月、給料が大幅に下がった。
 
 何か悪いことをしたわけではない。
 実は、岐阜県の職員全員が、給料表の変更によって、有無を言わさず減給となった。
 本県の行政職給料表というのは、1級から11級の級別があって、私の場合、7級の22号という給料をもらっている。


行政職給料表

 ところで、今回あらためて気が付いたことがある。私の給料表の7級というのは、「困難な本庁課長補佐」という分類である。これは別に、「私が取り扱いが難しい人間」という意味ではない。困難な仕事に従事しているので、ちょっと給料を多めにやろうという意味の困難である。業界用語は難しい

7級 困難な本庁課長補佐
改正前 改正後
1号 284,300 278,700
2号 293,800 288,000
21号 437,000 428,300
22号 440,700 431,900

  それが、上表のように、改正された。
 つまり、22号俸の私は、440,700円から431,900円へ、8,800円も下がってしまったのである。下げ幅は低いが、7級1号も7級2号も下がっており、県職員全体が減給となったのである。
  ついでにいうと、「期末・勤勉手当支給割合」、つまり、ボーナスの支給率も1年で、0.05ヶ月分の支給減となった。
 単純に計算すると、この両方の分で、1年間に168,555円のマイナスである。あんまりだー。何も悪いことしてねーぞ。
 2週間前、大学の同級生で、みずほ銀行にいる友人と会った時、給料の話になった。
 今銀行は不良債権・経営難で給料もだいぶ下がってきたが、それでも、まだ教員よりは相当上である。当然ながら全盛期のバブルの頃は、そのころの私たちの年収より1000万円以上上回っていたという。すげぇー。
 世の中景気のいい時は、あまりあがらず、景気が悪くなると、ちゃんと下がる。う〜ん、これではやっぱり必要以上のやる気はおきねぇ。
 不況で県の財政が赤字となっているおり、やむ得ないと言えばその通りだが、抵抗も対応もできないのは、とても悲しい。仕方ねぇよね、公務員だもの。
 人間、こういうむなしさを味わうと、「う〜ん。別の人生だったらこんなことはないよなー。」と勝手に思ったりする。あそこであちらに行っていれば、今はあの職業に就いている。そういうのって、みんなあるよね。タレントとか、医者とか、・・・。(そんなはずないか)

 「
時をさかのぼるチケット」が欲しくなる時、というのはこういう時だろうか。
 私の場合は、もし、大学卒業時点で、教員になっていなければ、名古屋鉄道=名鉄電車の社員となっていた。
  ※これについては、一度書きました。未読の方はこちらへ

 給料が下がった日、1月21日に、もし名鉄電車に入社していたらどうなっていただろうなーと考えていたら、その4日後の1月25日の新聞を見て驚いた。
 その名古屋鉄道が2003年3月期の連結決算で430億円の赤字を出すことが決まり、これにともない、2004年度内に岐阜県内の4路線と愛知県内の一部路線の廃止を決定したのだ。
 岐阜のルネサンス・ホテルからの撤退、日本ライン下り観光の解散、博物館明治村の子会社化、その他子会社の解散など、思い切った大改革の発表となった。
 3年間で名鉄グループ255社を200社近くにまで整理し、グループ従業員の約13%にあたる5400人を削減するという。大リストラ計画だ。


 これは、すでに2001年9月に廃線となった、名鉄谷汲線。北野畑駅での、電車すれ違い。左側は大正時代に作られた今となっては貴重な木製電車。

 これは、2001年の谷汲線、揖斐線黒野−揖斐間の廃線によって、それ以後終点の駅となった揖斐線黒野駅。発表では、2004年にこの駅も廃止となる。


 大学4年の1月、せっかくもらった内定を断りに名古屋の本社ビルに行った時のことを思い出した。人事課採用担当係長が言った。
「教師になりたいからって、そんなこと言わずにうちに来なさいよ。もし、文学部に関係する仕事がいいのなら、博物館明治村だってあるし。」
 あそこであの選択をしていたら、子会社明治村に移され、やがてはリストラ・・・。という運命だったのかもしれない。

 1年、168,555円ぐらいの給料減の方が、まだよほどいいか。
 で、ちょっと頑張って働く気になった。

 それにしても、狭い選択肢だった。どっちにしても、金持ちにはなれなかった。 


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