diary2024-03 DBS前後 何が変わったか

PD、DBS、何気ない日常、旅、そして映画。日々の思いを綴ってみました。

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159 2024年2月21日(水) DBSの前後何が変わったかー詳述
 未来航路復活版,新・未来航路を読んでいただいている読者の方から意見をいただきました。
「昔の未来航路のように,些細なことに興味ち図などを用いてあきれるくらい子細に描く,その根底には説明するということへの情熱・こだわり,というのが見え隠れしてそれが私を未来航路に引き付けた。また,時々見せる奇抜な発想も面白かった。
 新未来航路ではたとえばUUUのような作品をもっと書いてくれ。」

 この課題の実現は簡単ではないが,頑張ってみようと思う。

 中日新聞名古屋本社生活部に三浦耕喜というお名前の記者さんがおられます。プロフィールによると,1970年岐阜県各務原市生まれということですから私より15歳年下です。岐阜北高校,京都大学を卒業され海外でも活躍されましたが,2016年8月に若くしてPDと診断されました。私の診断のおよそ1年後です。
 若いせいか残念なことにPD症状の進行は早く,DBS手術は私より1年早い,2022年の秋に受けられた。その後,DBF治療は順調かというと実はなかなか体調とのマッチが起こらず,2023年も8月から12月まで休職された。
 今年になって復活され,以前と同じ「わけあり記者が行く」というパーキンソン手記を連載中です。(2024年1月19日)これから治療に入ろうとする人は是非参考にしたいものです。シリーズの古い部分は図書館に行かなければ読めません。
 但し,次の部分は筆者の勘違いと指摘できそうです。
「私「わけあり記者こと三浦耕喜は,反転攻勢をかかけることを決意した。武器は「脳深部刺激療法」(DBS )という脳外科手術だ。実際に手術が受けられるのは,希望者の二十人に一人という狭き門。検査入院で私は医師が目を見張る数値を引き出し,手術のし甲斐がある「手術適応」との太鼓判さえ押された。」(2022年8月31日)
 私の岐阜の担当医師はこのような状況はないと説明,さてどちら?

 本日,2月23日の記事を見ると,
on と off の調節に苦しんでおられることが詳述され,自分は患者(被介護者)と介護者の両方の気持ちを理解する立場にあり,それこそが「存在理由」であると書かれていました。反対にDBSについては言及なしでした。 

(1)パーキソン病と難病指定
 厚生労働省は原因が不明の病気等の338疾病を難病に指定しています。パーキンソン病もその一つで,患者数は全国に16万人を数えます。
 不幸に患者となった場合は,書類を整えて都道府県・指定都市に申請し審査の上,支給認定がなされ,医療費が受給されます。毎年申請する必要があります。自己負担額の上限が所得等によって決定され,その上限までが本人の負担額となります。私の場合は1万円です。
  ※難病情報センター https://www.nanbyou.or.jp


全国パーキンソン病友の会冊子

(2)患者団体の活動
 患者によって各都道府県パーキンソン病友の会が結成され(全国会員数8,000名,岐阜県は名誉会長長谷川更正氏(患者の配偶者)・会長山口芙美子氏(患者本人)会員総数160名=令和5年度),総会の開催(事務的な手続きと外部講師による最新医療等の紹介),会員交流会や各サークル活動を開催し,また大事なこととして毎年の国会への請願を行います。
 パーキンソン病の場合,皮肉なことに患者人数が多いため「難病指定」から外すべきという意見があり,それへの反論や,遺伝子治療など先端医療への取り組みに対する補助などを求めて毎年請願が行われます。
 というと,何かすごく政治的な難しい活動をする団体に思えて来て敬遠してしまいます。確かに世話になっている国会議員もいます。(岐阜県選出参議院議員渡辺猛之氏など)
 しかし,基本的には友の会は,
「私たちは何のために友の会の活動をやるのか原点に戻って考えてみましょう。まず,会員相互の親睦です。初めて病気を宣言された時,年数が過ぎて進行期に入り,症状が進み,孤独感からから心配,不安に襲われます。そんな時,仲間がざっくばらんにいろいろな情報や知恵を教えてくれます。仲間がいれば心強いものです。友の会はそのような仲間づくりの場なのです。」
 ※岐阜県パーキンソン病友の会令和5年度活動方針より

 下手な卓球,これよし。下手なカラオケこれまたよし。目的は愚痴のこぼしあい。自分の身体についてのアドヴァイスが欲しければ,誰かが答えてくれます。 

 
岐阜県パーキンソン病友の会冊子

KNGは岐阜県難病団体連絡協議会を意味する
(3)DBSで何ができる様になったか。詳述。
 それでは,このページのメインエベント,DBS手術によって体の機能・体調がどのように変化したかをやや詳しく報告します。
 順不同ではわかりずらいでしょうから,さきの日記02で使った障害の分類を使用します。


 ①12月15日段階(手術の翌日) 
  □大幅に改善できる   △やや改善できる   ×改善できない
 ② 2月 7日段階(手術から50日あまり)
  □大幅に改善した     △やや改善した    ×改善していない   ■悪化した

 ①②
1 □■安静時振戦(ふるえる)
 
最初の1から4はPDの運動障害の基本です。「安静時振戦」は私の場合は外観は震えているようには見えないが,本人の神経には体幹がまるでモーグルをする人の膝のように,震えています。これは,手術後は前よりひどくなりました。痛み止め「リリカ」(プレガバリン系の鎮痛剤,神経性疼痛・しびれを抑える)がたよりです。
 手術では鎮静効果はなく,むしろ以前より悪化しています。

2 □□動作緩慢・無動(動きがにぶく小さくなる,または動けない)
 
小刻みな動作ができなかったがそれができるようになりました。両手を前に突き出してひらひらさせる,グーチョキ・パーをくりかえすなどが典型例で,歯磨き・タイピングなども同じ原理に含まれます。もっともタイピングは意外と片手指2本or1本の方が正確に打てます。
 もう少し大きな動作では,補助カートの動かし方が例となります。

A


 

D 

 写真は普通の歩行補助カートの運転です。Aは普通にカートの後ろに立って前方へ移動する,
いわば「位置について」です。
 このあと,健常者は前にもうしろにも自由に足を出すことができますので(B・C),結果的にカートは前・後へ進んでいきます。
 ところが,PD患者はドパミン不足によって動きが遅く鈍くなるまたは動けなくなるので,カートの場合は写真D
のような姿になります。
 私がDのような姿になっているのを見て妻は,「
足を前に出して」と叫ぶばかりでしたが,足がすくんで前に出ない人に向かってそう言っても,何の解決にもなりません。
 ここでの最も有効なアドヴァイスは「体を引いてまっすぐ立って」, つまりカートを戻して写真Aの状態に戻ることなのです。     

3 □□筋肉がこわばりかたくなる(筋強剛,固縮)
4 □□姿勢を保てず転びやすい(姿勢反射障害)
5 □□すくみ歩行

 
これらはDBS後,劇的に向上しました。PD患者初期のまだこういう症状が強く出ていない頃は,なぜ大股で歩けない・なぜ歩こうとしないなどの基本的疑問がPD患者への対応を妨げ,また病状が進んでからは,上記のような一方的アドヴァイスに腹を立てました。
 DBS後の今では外出時でも自分で遠い位置に設定した目標物,例えば電信柱を目指して,正しい直立二足歩行の姿勢をとることを心掛けることで,歩行距離は伸び,歩くことは苦痛でなくなりつつあります。大きな変化です。体の部位でいうと,「腰が前進する」感じです。
(但し左ひざの関節症だけは,PDとは関係なく歩いた後には激痛をもたらしている。


6 □△日内変動(1日のうちでon・offの変化が激しい)
 
 on と off  の定義は人によって異なるし,どの時点が変わり目なのかも曖昧である。それでも本人の記憶にもとづく現在と過去の比較は,まだしも多少正確であろうと考え,下のグラフを作ってみました。 


 これは,あくまでさきの日記2401に示した私のon と off を現段階と比較するものであり,線の科学的根拠というよりは単なるイメージ図に近い。私としてはDBS手術の結果,on  の時間はこれまでの倍近くに伸び,offとの違いもそれほど大きく感じなくなった。
 その一番いい例が朝起きての「始業」のである。この時は理論上としても実感としても,夜のうちにドパミンの代わりをする物質を使い切ってしまっているのであるから大変であることはご理解いただけるであろうか。冬は厚い冬布団をはねのけることがまず大変であった。足の反動を使ってベッドから降り,カートにつかまりながらこれまた反動を利用して立つ。そして自分の体があらぬ方向へ傾いていくのを修正しつつ,何とかトイレにたどりつく。この間距離にして僅か4m。この「大騒動」が毎日の始まりであった。
 その作業の最中に妻が,「下剤ここに置いとくから飲んでー」とかの指示を出すが,彼女は未だに大事なことを理解していない。
「PD患者は,複数の指示を処理していくのが苦手である。」

 ちょっと横道に入りました。この朝の「始業」など,健常者なら鼻歌を歌いながらそう意識もせずにこなしていく行為です。いま改めてDBS によって健常者に近い「動作環境」取り戻して,以上のような分析ができます。

7 ×△喋りにくい(ろれつが回らない,吃音)

 これに関しては,ちょっと目標が高すぎるのかもしれません。教師であった以上,「しゃべり」にはちょっとこだわりがあります。理想的な話術には,「歌舞伎の見栄」・「落語の間」・「漫才の掛け合いのリズム」などが,含まれなければなりません。教師絶頂期であった,40歳ぐらいに目指したことが理想ですから,現在の状況では,△はやむを得ないところです。   

  こういう細やかな筋肉を動かすことは健常者ならいろいろ気を遣うところですが,PD患者は絶望的です。
 リハビリをいろいろ教えてくれた言語療法士(理学療法士ではありません)によれば言葉をしゃべるなどという微細な動作はPD患者の苦手とするところです,リハビリにも発声練習が必要ですといって,「アオイウエオアオ」などの舌や咽頭の動きのリハビリを受けました。
 さらに,PDは顔の表情筋などへのコントロールも失うため,「ハイ笑って,チーズ」などの記念写真も苦手になります。
A 2020年8月 B 2022年6月

 上の写真はAは2020年8月に北海道に旅行した時の写真,Bは2022年に奈良県に旅行した時の写真です。よく見ると顔の右半分の笑いがぎこちないですね。
 その他,箸使い,ネクタイを結ぶ,歯を磨く,服のボタンをかける,靴を履く,ペットボトルのふたを悩むことなく開ける,両手でタイピングする,ヨーグルトの蓋を阻喪なく最後までめくることができる,などいろいろなことができなくなりましたが,DBS のおかげでほとんど復帰しています。
 下の写真もその一つです。これはDBS手術後60日程を経た頃の写真で,「うまい」を連発しながらカップ麺「飛騨高山ラーメン」食べています。

 ここで突然「HPビルダー」に付属する「ウェブアニメーター」を使ったパラパラアニメの登場です。
 おいしそうに「高山ラーメン」を食べているように見えますか。

 10年前の古・未来航路の時代は,ウェブページを作るいろいろな技術が身についていて工夫ができましたが,中断期間中にすっかり忘れてしまいました。
 これから徐々に回復していきます。
 その先陣がこのアニメとしたのロールオーバー効果です。下は昔は緑色の黒板でしたが,今回はホワイトボードです。

 ここでクイズです。
 答えは,ホワイトボードの上にマウスを持ってくると問題の下に出てきます。               
8 ××臭覚障害(ほとんど臭いが感じられない)
 これはコロナに感染した人の後遺症として有名ですが,PDの症状としてもあります。実は私はPDにかかる前から,「金木犀の香り」と言われても殆んど分からず,家族の失笑を買っていました。そして,PDによってよほどのことでない限り,たとえばガス漏れの臭いでさえも分からなくなってしまいました。
 妻の料理が鼻でわからないのが生涯にわたる悲しみです。

9  △■下半身の痛み痺れ
12 △■腹部膨満感
13っs △□胃食道逆流症

 運動障害・精神障害から15項目設定したが,そのうち三つだけが■の印,むしろ悪化と判定しました。この下半身の痛み痺れと腹部膨満感 というのは関係がないように見えて,PDの罹患者の私には連動して起きていると思えるものです。
 膝下の鋭い痛み足首の痛みそして腹部の痛み,加えて1の揺れ震え。これらがPD的総合的な痛みであるか,それぞれ坐骨神経痛・脊柱管狭窄症・消化器系の重大疾患であるかは,神のみが知るところです。
 悪あがきはしたくないが,やはり怖いのと痛みに耐えられないのとで,今週は胃腸の中を空っぽにして消化器の検査を受けます。おのずと13のほうも注意払ってもらえるでしょう。

10 △□便秘(2~3日に1度の排便)
 基本的には下剤の世話にはなっているが,UUUのような大事にならずに済んでいる。10の便秘に関しては,なんだこりゃ44のUUUに詳述しているのでこれ以上は説明しません。但し,on と off の差が大きく,offの時動けないような方だと,10の作戦遂行とかさなってしまい下痢の時とぶつかると,冷や汗を一升かいた挙句に,自分で自分の始末の処理をしなければならず,みじめこの上ありません。
 私はその経験を前DBS時代に3度したことがあります。(-_-;)

11 △□排尿障害(排尿感覚が異常に敏感となり,粗相する)
 これに関してはまたいろいろ申すことがあります。
 自律神経障害のためでありましょうか。尿意を催して排尿に至るまでの時間が異常に短いときがあります。「小便してえな。このTV番組がCMに入ってから行こう。」という判断をするのは日常的です。これで漏らしてしまったら噴飯ものであるが,健常者はこれでそれほど粗相することはありません。
 PD患者は違うのです。いつもいつものことではないですが,尿意を感じたらほんの数十秒で排尿ということがこれまでしばしばありました。この時,
on であるなら問題はありません。杖・カート・車椅子などを総動員すれば,何とか便器のそばまでたどりつけます。
 しかしこの時もしoffであったら・・・・・。
 正直に言うと家の中で漏らしたことが10回以上,家の外でも10回以上の阻喪をしました。夏の暑い日,便器のほんのそばまで行きながら,汗でパンツを下げることができずアウト,というのもありました。カートには尿瓶が常備してありますがその尿瓶でも間に合わず,横にあったゴミ箱に排尿したこともありました。
 クライマックスは2023年の秋にやってきます。この時は残暑が厳しく,気温は不安定でした。そのため私の膀胱のセンサーはまった狂ってしまっていました。3日で4回お漏らしをし,妻がついに命令しました。
「紙おむつをはきなさい」
 これはみじめでしたが,大きな効果がありました。最初のころの効果で特筆すべきは,友達の家で開催された同窓会に紙おむつを履いて行った時の事件です。いざトイレへ向おうとしたら,公共施設や我が家と違って手すりがないことに気づきました。机の角・冷蔵庫の取って,いろいろ苦労の割には進める距離は短く足はすくんで,きわめて残念ながら,トイレに入った瞬間,後ろの扉も閉める暇もなく,もらしました。しかもたっぷりです。えらいまずい状態です。どうしたらいいでしょうか。
 幸か不幸かその時は妻が万一のことを考えて,2回分吸収できる紙おむつを履かしてくれていました。これがすごかったんです。なにしろ2回吸収ですから,かなりの分量を排出してもびくともしません。しかも排出した姿勢がよかった。尿はポリマーが吸収してくれてそこに「貯蔵」してくれるわけですが,これまでには横漏れを起こすということもありました。しかし,この時はまっすぐ便器に正対して排尿しており,そのガードは完璧でした。
 3時間後に家に着くまで,ズボン・足元,何度もチェックしましたが漏れているようすはありません。完璧でした。凄いもんです。
 間に合わなくとも大丈夫という安心感が大きいと思いますが,焦って時間を浪費して阻喪というパターンがなくなり,排尿に関しては,物理的にも精神的にも安定した状態で10月中旬の検査入院(名古屋大学医学部付属病院),12月の入院・DBS手術(名古屋メディカルセンター)といい結果につながりました。
 11月以来,阻喪なしの日が続いています。もちろん,この2か月はおむつも履いていません。

14 △□肩や背中のこわばり
  この症状は私としてはほんの初期のころから現れていたもので,いわば元祖PDというべきものです。今から8年前,授業を受け持っていた生徒が,職員室にやって来て言いました,
「M先生,先生は授業中に黒板に向かっていて僕達のほうを振り返るとき,なんか変です。」
「何が変かな」
「他の先生は柔軟に振り返るのに,先生は柔軟ではありません。」
 この生徒とて私の体がどうなっているのかその真実を知る由もないわけで,そういう意味ではなかなかの見識です。こわばった私の背中は彼らにどう見えていたのでしょう。

15 △△視覚障害(物が二重に見える・焦点を合わせるのが遅い・しづらい)
 この障害も私固有のものかもしれません。「物が二重に見えて(例 2車線道路が4車線に見える)います」と眼科に駆け込んだら,
「それはレンズを動かす筋肉の異常ということも考えられるので,注意していてください。」
 私が愛車ダイハツ・キャストを売り払ってしまったのは,実はこの目の障害が一番の理由でした。DBS後には寝転がってテレビを見るときだけ映像は二重に見えるため,片目をつぶりますがそれ以外は不自由はしません。大幅な向上です。

  今の段階で私にはあまり不自由とは感じられていないが,他のPDの方から見ると挙げておくべき症状としては,以下のものがあります。(だんだん増えていくことになります)
 16.嚥下障害(物をなかなかの見込めない)

 
  この時点でのDBS手術の Before and after は,大きく成功の判定の方へ傾いているように思われます。しかし,本当はどうなのか。
 来週から岐阜PD友の会の活動にも参加して,色々情報を収集したいと考えています。


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