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44 熟年時代・老年時代その3 病気の山3  23/10/26
  私のパーキンソン病1 パーキンソン病とは?   U.U.U.とは?
 ■いきなり余談■
 「パーキンソン」というのが病気の名前であることは,自分がその病を罹患するまでついぞ知らなかった。
 余談であるが日本史の江戸時代末期,アメリカの軍艦が日本に開国を迫り,幕府が撃退するという事件が起きる。モリソン号事である。この特徴的な名前を生徒に覚えさせるのに意外と苦労をする。なんのひっかけもない,「事件の名称は何ですか」という質問に、1クラス40人中5人以上は珍妙な回答を記入する。「モリリン」「モソリン」「モンリン」などなど。
 授業中にしっかりと聞いていた諸君は間違えようもない質問であるが,教師の「発音の記憶」 =「モリソン」がない場合は,自分が記入したノートやプリントの字(おおむね眠くて正確ではない)を勝手に解釈して,モリリンなどの珍答が生まれるのである。
 そういう現象が生じることが分かったのち、私は必ず次のようにアドバイスした。
「必ずふりがなをつけなさい。「もりそん」とひらがなで。」
 実はこれだけ言っても「モリソンで正解率100%を達成」するのは難しい。
 大学医学部の先生方,学生諸君は,パーキンソンと正しく書くでしょうか?パーキンリンやパーキリソンとは表記していないでしょうか?如何でしょうか?
 いきなりの脱線で失礼。さて本題:)

(1)パーキンソン病とは何か
 パーキンソン病は今からおよそ200年前の1817年に英国人医師ジェームズ・パーキンソンによって始めて報告された神経性の進行性疾患である。
 今日の日本ではパーキンソン病患者は,総計18万人程いると考えられえている。単純に割り算すれば,1000人に1.5人程度の割合である。ところが,高齢になるとその比率は増え,65歳以上では100人に一人はパーキンソン病患者となると推計されている。
 人数は多めであるが,「難病」に指定されており,給与・年金等本人の収入にもよるが医療費は本人負担上限が決められれている。私の場合は負担上限額は1万円である。
 パーキンソン病とはいかなる病であろうか。2023年3月まで教えていた岐阜大学の学生にその「病い」の正体を尋ねたが,正解は2・3割であった。
 普通に考えれば,特に若者には関心・認知度は低い病気である。

 パーキンソン病は、脳の深奥(中脳)で作られ分泌される神経伝達物質=ドーパミン(ドパミンともいう。体のバランスをとり運動を調節する物質)の分泌量が減少し,運動が困難となる病気である。 
 「物を動かせ」という通常の運度命令も,このドーパミンが大量に存在して実現可能となる。不足すると当該命令が実行されないばかりか,脳内神経系のネットワークが乱れ,やがて他の神経細胞にも影響を与えるようになっていく。

※京都大学大学院教授髙橋良輔著『パーキンソン病を知りたいあなたへ』2016年NHK出版 p24-25

 【人体画像写真シリーズ5】パーキンソン病患者の脳中心部の写真。私の写真である。ネアンデルタール人の写真では,決してない。

(2)パーキンソン病の特徴(運動症状)
 一般にパーキンソン病の患者の運動症状の特徴は大きなものが4点挙げられる。
 安静時振戦(ふるえる)
 動作緩慢・無動 (動きがにぶく小さくなる,または動けない)

 筋肉がこわばりかたくなる(筋強剛・固縮)
 姿勢を保てず転びやすい(姿勢反射障害)
 
 これらの症状は全ての患者に生じるものではなく,有無・強弱は様々である。
 たとえば,私の近くで接していただいている方はよく理解していただいているが,私はもう発病からおよそ10年になるが,震えはほとんど無い。
 一方で,よく転ぶ。今まで最高に華々しいクラッシュは,岐阜大学の駐車場での事件である。ある夏の日の帰宅時,自動車まであと50m程のところで不幸にも夕立に見舞われた。更に不幸にも手にはその日提出させた学生のレポートを抱えていた。
「濡らしてはいけない」,反射的に小走りになった。数秒後,自動車にたどり着いたが,予想どおり止まれない。昔取った杵柄で.スライディングを試みたが失敗し,前のめりに転んでいわゆる顔面制動し,顔は血まみれ眼鏡は「全損」という結果となった。ちなみに,それでも抱えたレポートは離さなかった(日清戦争後の道徳の教科書に掲載された,兵士木口小平の「死んでもラッパは離しませんでした」の世界だった)。なんと,勢いに任せその状態で車を運転して自宅へ帰った。妻にはその無謀さを叱られた。ドパミンの分泌は弱かったが,アドレナリンの分泌はアントニオ猪木並だったと言うギャグは,言えなかった。
 今まで最大の「流血事件」は,夢の中で起こった。
 あとで触れるパーキンソン病患者の悲運動的特徴の一つとして,「夢をよく見る。それに応じて大声を出す」と言うのがある。
 その時は夢の中で悪者の飛行機を追いかけていた。その敵機に飛び乗ったと思ったら実はベッドから飛び落ちて,運悪くベッド横に置いてあった整理ダンスの角に目の上の出っ張りの骨をぶつけ,大流血の惨事となった。今回は素直に病院へ行った。この事件以来、ベッドの周囲80㎝には何も置いていない。
 因みに,目の前で人が転倒すると,側にいる人は寄って集って倒れた人を助け起こそうとする。倒れた人にとっては感謝すべきありがたいことなのだが,実はそれはあまりよくない。人は倒れると,いわば直立二足歩行的ベクトルが崩壊しており,その再構築にちょっと時間がかかるからである。
「大丈夫ですか」と言っていきなり抱き起こすよりも,「あれあれどこも痛いところはありませんか。手を貸しますから起きましょう」ぐらいのゆっくりしたタイミングがベターである。

(3)私はどのようにしてパーキンソン病と診断されたか
 一般に患者がパーキンソン病と診断されるには,普通の病気より時間がかかると言われている。その原因は,ひとえにこの病気についての無知によると考えられる。
 私の「それ」ヘの始まりは,「声と喉」の「不調の自覚」からだった。「商売道具」とも言うべき人前で大きな声を出すことに苦労し,取り分け言葉の区切りが不鮮明になった感じた。取り分け歌舞伎役者が見得を切るような強弱・抑揚をつけるのができづらくなった。
 医者通いの最初は定年退職まで一年半となった,2013年の秋のことであった。診療科は,もちろん,耳鼻咽喉科である。
 医師は定番の方法として,内視鏡による咽頭部の撮影、異物の確認を行い,「異常なし」との診断した。
 しかし,本人的には異常はあるのである。この後約10ヶ月間に,同じクリニックで同様の画像診断を3回やってもらった。セカンド・オピニオンが必要と思い他の耳鼻咽喉 科でも内視鏡診断をやってもらった。その結果も何れも「異常なし」であった。

 本人が声が出しづらいと思っているのに,医者は異常なしという。
 それどころではない。
 いつも私の話を聞いているはずの教頭や職員も,「特に変わったことはありません」という。
 決定版は妻である。
「何も変わってないよ。思い過ごしじゃない。」
 私のあまりのしつこさに医師は辟易とし,
「それでは愛知県の医科大学の耳鼻咽喉科へ紹介状を書きますから受診してはどうですか?」

【人体画像写真シリーズ5】咽頭部内視鏡撮影。何も異常のない「綺麗な声帯」です。
 

 その頃私は,その年と前年の岐阜県高校野球選手権大会の開会式の録音テープを聞き比べて,その年の「挨拶をする声」が前年のそれより,自分の思い通り出ていないことに確信を得ていた。この結果,通院に不便な愛知県の大学よりも通いやすい岐阜大学医学部付属病院へ,町医院の紹介状なしで駆け込むことを決断した。紹介状のない診察なので初診料は4,500円(今はもっと高い)と高額だった。
 最初に行ったのは総合診療科。ついで,耳鼻咽喉科(また上の写真を撮られた),続いて消化器内科.,その次にはなんと精神神経科(この頃私は鬱病的であった)。
 そして次の整形外科で,狭い診察室を歩いて何度も往復させられたあとで,「うちの守備範囲ではありませんが,ここで診てもらう必要があります」と言われたのが,神経内科
 愚かにも私はこの時点では,神経内科という診療科目はもちろん,パーキンソン病のことさえは何も知らず,
「この科はどういう分野を扱うのですか。何か重大な病気にかかているのですか?」
と聞き返してしまった。整形の医師は自分で病名は言えないため,困った顔をして答えた。
「神経内科へ行けばはっきりすると思います。」

 この後神経内科で,心筋シンチグラフィ(心臓を支配する交感神経の働きを放射性物質の心臓集積の具合で確認する)とダットスキャン(黒質線条体節前ドパミン機能画像=ドパミンの取り組み具合を確認する)の2つの画像検査を受け,画像上どちらも機能不足が診られ,パーキンソン病と診断された。退職後4カ月を経た2015年7月のことで,最初の兆候から2年が経っていた。

 およそ病気というものは早期発見する法が対処も早く治癒・事後の経過もよい。パーキンソン病の場合は病気の認知度の低さもあって,早期発見は難しい。パーキンソン病友の会(患者の団体がある,詳しくは次節)で時々意見を交わすが,発覚まで5年以上も苦しんだという方も見える。
 そういう点では,2年で病名確定という私の場合は、まだ幸福だったかもしれない。


(4)パーキンソン病の特徴(非運動症状)
 先に挙げた4つの運動症状的特徴に対して,非運動症状的特徴は次のように多数挙げることができる。
 ①便秘
 ②排尿障害(頻尿)
 ③多量の汗
 ④立ちくらみ(起立性低血圧)
 ⑤冷え 

 ⑥むくみ
 ⑦
性機能障害
 ⑧うつ・不安
 ⑨意欲の低下
 ⑩寝言や寝ぼけが目立つ
 ⑪レム睡眠行動異常症)
 ⑫衝動の抑えにくさ
 ⑬幻覚・妄想
 ⑭認知機能の低下
 
※柏原健一著『パーキンソン病のことがよく分かる本』講談社,2015年,P10-16  
 非運動症状は圧倒的に種類が多い。
 但し,こんなに列挙したにもかかわらず,さらにこれ以外の症状で苦しんでいる者もいる。私が苦しんでいるもの,それは下肢・腹部・胸部などの痛みである。この中には,脊柱管狭窄症だけでは説明のつかない痛みもあり,患者としては不安の種となるところである。 
 前節でも触れたように各都道府県別に,「パーキンソン病友の会」が結成され,政治家等を顧問にして活動を行っている。パーキンソン病の最新治療の紹介や,自分たちに有利な厚生政策の要求の他,カラオケ研修なども開かれている。カラオケは何の為にかといえば,大きな声を出す訓練のためである。
 カラオケ研修には私も一度出席したことがある。私も含めて皆さん恐ろしく下手である。パーキンソン病の特徴が見事に表現されている。(-_-;)

(5)U.U.U.(このタイトルは何だ?)
 患者(友の会会員)が集まると必ず話題になることが前節の➀から⑭の中に一つある。何だと思われるか?
 ➀の便秘である。このページ最後の話は,大便は・うんちの話である。食事前の方は読むのをお控え願いたい。
 パーキンソン病患者病状の特色としてほぼ全員便秘に苦しんでいる。私は最初,便秘は女性に特有なものとたかをくくっていたが,パーキンソン病的便秘に,見事にはまってしまった。

 ところで皆さんは夏目房之助という人物をご存じか?明治時代の文豪,夏目漱石の長男の長男(つまり孫)にして,漫画家,漫画批評家として活躍している人物である。特に,1978年から1992年まで『週刊朝日』に連載された森下典子との共作,「学問デキゴトロジー」は日常の何でもないできごとを鋭い視点(?)で眺め,独特のマンガ表現によって多くの読者の支持を得た。
 その作品の一つが,U.U.U,である。
 この単語を省略せずに書くとこうなる。Unbelievable Ultra Uncho つまり信じられないほど大きなうんこ(人間の)のことである。
 ある日デキゴトロジーの編集部に,とても巨大な円柱状のうんこが公衆便所に排泄され遺棄されていたとの情報がもたらされた。丸大ハム・鎌倉ハム・伊藤ハムなど一流ハム会社の類似形状・サイズの商品の太さ・直径・サイズを凌駕する,それはとても,この世の物とは思えない排泄物であった。(ハム会社の皆さん、変なたとえで申し訳ありません)
 当初,編集部はこの情報に懐疑的であった。
 ところがその記事がデキゴトロジーに掲載されると,「私も見た」「あそこの便所にもあった」との情報が次々届き,ついにデキゴトロジーではその偉大なうんちをUnbelievable Ultra Unchoと名付け,本格的に調査することになる。
 最終的には,排泄人をひどい便秘に悩む(つまり貯便能力がある)かつ肛門の括約筋に柔軟性がある比較的若い女性の排泄物と推定した。
 私は当初その記事を読んだとき,正直「これはちょっと眉唾物」と思った。
 いくら何でも,ハムの直径(7~8cmと思われる)を越える便を排泄するなど人間業ではないと感じたからである。

 しかし,その発想は誤っていた。
 なんと,私自身がU.U.U.を排泄することになったのである。パーキンソン病にはひどい便秘がつきものである。発病4年目の初夏,特にひどい便秘となった。二週間近く音沙汰なしである。仕方なく下剤を飲んで出勤(公立高校退職後の私立高校)したら,3時間目の空き時間に,それは急に始まった。
 痛みを感じるぐらいの下腹部の活発な動きと肛門部に近いところでの排泄感が重なり,何かとんでもない物を排泄したいが体が順応できないという感じになり,攻撃と休息を間欠的にくり返すこと40分。ついにU.U.Uを生み出したのである。洋式便器なので大方水没していたが,それは堂々たる形相をしていた。
 ここで私は排泄完了の安堵感に包まれながら,もう一つの重大な問題に気づいた。
「流れるか?」
 実はこのドラマはここで終わったのではなく,まだ後半があった。
 しばらく逡巡したのち,私は普通の愚か者の行動をとった。安堵感と肉体的疲労の中で私はよく確かめず排水レバーを下げた。洋式便器であったので,取り敢えず便器の排水口はU.U.Uを吸い込もうとする。しかし途中で力を失い,水が逆流する状態となった。私の期待に反して,頼りない音ともにU.U.Uが行き手を遮ぎり,その結果として便器内の水面が上昇し始めた。この恐怖は経験した者にしかわからない。
「あふれたら,どうする」
 幸い堤防を溢水して汚染水が便器外に拡大することはなく,私は教頭・校務員さんに迷惑をかけただけで,事件は収束した。但し関係者は,私以外誰も,真実を見誤っていた。
「トイレットペーパーをたくさん流さないでくださいね。」
 違う。犯人はU.U.U.そのものなのである。


 このあと現在までの5年間に,代わった職場で1回,岐阜市民病院で1回,妻の実家で1回,そして自宅で2回,最初のを加算すると合計6回,U.U.U.による事件を引き起こし,多くの方に迷惑をかけた。実家と自宅の3回はいずれも貫通に業者の出動を要請し,代金もかなりかかった。妻は怒り心頭に発して叫んだ。
「家ではしない。もししたくなったら,クスリの***へ行って来てちょうだい。(近くにある)」


 いくら何でもそんなわけにはいかない。そこで考えた。
「相手がデカければ小さくしてやればいい。」
 それ以後我が家の便所には,300円ほどで購入した右の写真の道具が常備してある。本来の任務とは異なる場面への出動となったが,これまで3度,U.U.Uを相手に大活躍し,見事撃退した。私は敬意を込めて,スライサー(slicer)と呼んでいる。

 パーキンソン病を生きるには人知れぬ努力と犠牲が必要である。

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